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ルーツは第一次世界大戦の戦闘機

このエンブレムのルーツは、第一次世界大戦に活躍したイタリア空軍のエースパイロット、フランチェスコ・バラッカにさかのぼる。彼の戦闘機には、立ち上がる黒い馬が描かれていた。バラッカは1918年に戦死するが、彼の功績はイタリア国内で広く称賛された。
エンツォ・フェラーリと“跳ね馬”の運命が交差したのは1923年。エンツォは、ラヴェンナのサヴィオ・サーキットで開催されたレースで初優勝を果たした際、バラッカの両親(エンリコ伯爵とパオリーナ伯爵夫人)と出会う。後年、彼はそのときの会話を次のように記している。
「伯爵夫人はこう言った。『フェラーリさん、息子の“跳ね馬”をあなたのクルマにつけてみてはいかが? きっと幸運をもたらすでしょう』と。馬はもともと黒で、これからもそうであり続ける。私が加えたのは、故郷モデナの色、カナリアイエローの背景だった。」
初めて跳ね馬が描かれたのはフェラーリのクルマではなかった

この跳ね馬が実際にサーキットで目にされるまでには、しばらくの時間を要した。1929年、エンツォは自身のレーシングチーム「スクーデリア・フェラーリ」を設立。そして1932年、ベルギーのスパ・フランコルシャン サーキットで開催された「スパ24時間レース」で、跳ね馬が初めてマシンの車体に描かれることとなる。
ただしこの時のマシンは「アルファロメオ 8C 2300 MM」である。当時、スクーデリア・フェラーリはアルファロメオのマシンを使ってモータースポーツ活動を行っていたためだ。跳ね馬のエンブレムを纏ったこの2台は1-2フィニッシュを飾り、バラッカ夫人の言う“幸運”が証明される形となった。
1947年、フェラーリはついに自社製マシン「125 S」で自動車メーカーとしての歴史を歩み始める。ローマ・グランプリでデビュー戦勝利を挙げたこのマシンが、“跳ね馬”を冠した最初のフェラーリである。
レースと共に育まれたエンブレムの意味


跳ね馬のエンブレムは、その後もF1やル・マン、デイトナなど数々の名レースで勝利を重ねる中で、ブランドの象徴以上の存在へと昇華していく。市販車にもこの誇りが受け継がれ、フェラーリにとって“跳ね馬”は、情熱と栄光、そして未来への加速を象徴するアイコンとなった。
現在、フェラーリのエンブレムには2種類ある。ひとつは盾(シールド)型、もうひとつは縦長の長方形だ。盾型には、跳ね馬に加えてスクーデリア・フェラーリ(レーシング部門)の頭文字“S”と”F”が記されている。レーシングカーやレース関連アイテムに用いられ、市販車ではフロントフェンダーに装着されることもある。
一方、長方形のタイプはブランド全体のシンボルとしての役割を持ち、市販車のボンネットに使用されている。そのほか、キーホルダーや販売促進グッズなどに使用されることもある。なお、F1マシンにもノーズにはこの縦型エンブレムがつけられている。ワークス=企業活動であることを意識したものだと考えられる。
ポルシェと同じ馬?


なお、“跳ね馬”の起源については、ポルシェと同じという説がある。バラッカが描いた馬は、彼が撃墜したドイツ軍機に描かれていたものだという話があるのだ。そのドイツ人パイロットがシュトゥットガルト出身だったため、同市の紋章にある黒い馬を機体に刻んでいたと言われている。
この連載の初回に紹介したように、ポルシェ”クレスト”の黒い馬はシュトゥットガルト市の紋章をモチーフにしている。戦闘機のエピソードが真実だとすれば、フェラーリもポルシェも馬の起源はまったく同じということになる。この説の真偽は定かではないが、フェラーリとポルシェという2大ブランドが、どちらも跳ね馬をシンボルとするというのは興味深い一致である。
PHOTO/Ferrari