排出ガス規制前の国産車たちを旧車と呼んで楽しむことは、すでに定着した文化として語られていいだろう。規制前のクルマというと、その多くが50年以上前のモデルということになる。必然的に何らかの修理やレストアが必要になる時期だ。そこで近年ではフルレストアされた旧車、特にスカイライン系モデルの中古車相場が極端に暴騰している。
確かにフルレストアされた旧車であれば、トラブルに怯える必要もなく新車のようにキレイな状態を楽しむことができる。ただ、古いクルマらしい風情を感じられるかというと微妙。そこでレストア車とは対照的に「未再生原型車」などと呼ばれる、新車時から大きく手を加えられていない個体に注目が集まることも事実だ。
新車から50年以上、大きく手を加えずに維持されてきたということは奇跡的といえるだろう。その間、車検を受け続けてきたとなると、さらに希少。もはやそんな個体は全国探しても簡単に見つかるものではない。それとは逆に近年「納屋物件」などと呼ばれる個体に注目が集まる。
言葉通り納屋に置かれていたわけでなくても、例えば倉庫のような場所で数十年間保管されてきた個体のことをそう呼ぶ。車検を受け続けるには消耗部品の確保など難しい問題をクリアしなければならないが、保管しているだけなら費用はかからない。もちろんナンバーを切ってしまえば自動車税もかからず、単なる置物と化す。今回はナンバーを切ることなく車庫で保管され続けた初代コロナマークⅡが発掘されたことを紹介したい。
初代コロナマークⅡは1968年にコロナの上級車種として発売された新規モデル。セダンとハードトップ、ピックアップトラックが用意され、エンジンは1.6と1.9リッターの2本建てでスタート。人気はハードトップモデルで、コロナやクラウンと違うパーソナルカーとしての需要に応えた。
発売翌年には、さらにパーソナル需要を喚起するモデルが追加される。それが1.9リッター直列4気筒SOHCの8R型エンジンをベースに、DOHCシリンダーヘッドを新開発して生まれた10R型エンジンを搭載する1900GSSだ。トヨタツインカムとしては2000GTの3M型、1600GTの9R型に続く第3弾にあたり、スポーティな上級車種としてスカイラインやローレルに対抗するものだった。
コロナマークⅡは1972年にフルモデルチェンジして2代目へ移行すると同時に、GSSは排気量を2リッターに拡大してスカイラインへの対抗意識をあらわにする。当時は高度成長期であり2代目は初代より売れたものの、今となっては初代も2代目も完全に希少車扱いされるほど個体数を減らした。
だから旧車イベントでもマークⅡを見かけることはほぼないのだが、2022年12月11日に埼玉県北本市で開催された「昭和・平成クラシックカーフェスティバル」の会場に1台の初代マークⅡが展示されていた。当初は展示に気が付かず、知り合いの旧車乗りから「珍しいクルマがある」と教えられて気がついた次第。この初代マークⅡオーナーは儘田一也さんが所有する個体で、このほかにもB10サニークーペに乗られている根っからの旧車好きな方。
サニーに乗られているのに、どうしてマークⅡだったのか聞いてみれば「偶然発掘された貴重なクルマでしたから」との回答。というのも、このマークⅡは1970年に新車で購入された前オーナーが20年前に車庫にしまい、いずれ時期を見て修理して乗るつもりで保管してきたからだった。
いずれ乗るつもりだったからだろう、ナンバーは新車時に付けられたものがそのまま残っている。いわゆるシングルナンバーで「埼55」という文字が残る貴重なもの。しかもボディの塗装や内装など、ほとんどが新車時からの状態をキープしていた。旧車に乗る人であれば「シングルナンバー」「新車時塗装」「手付かずの内装」が残っている個体にどれだけ価値があるかお分かりだろう。サニークーペに乗っている儘田さんも同じ考えで、前オーナーが復活させることを断念すると即座に譲り受けることを決めたのだ。
車庫から引き出すにもブレーキやクラッチが固着して動かせないという話をよく聞く。このマークⅡも移動させるために苦労したが、それは苦労が続く始まりだった。20年間動かなければエンジンは当然かからない。まず燃料系をすべて見直すため燃料タンクを取り外して内部の清掃と同時にサビ落とし。
燃料配管にもサビが進行しているため、新たに作り直す必要がある。燃料系に不安がなくなって始めてエンジン本体に手をかけることになる。ところが保管中、純正のエアクリーナーが燃えてしまいクリーナーケースも見つからない。そこで社外品のエアクリーナーを代用することになるが、エンジン本体は比較的スムーズに再始動させることに成功したようだ。
エンジンが再始動したからといって、すぐに走れるわけもない。キャブレターの調整に始まり駆動系の消耗部品を見直すことが何より大事。さらにはブレーキで、止まることのできないクルマほど危険なものはない。ただ古い国産車で人気の少ない車種だと補修部品の入手に難儀する。
初代マークⅡには前輪ディスクブレーキが採用されているが、キャリパーのピストンが固着していると表面が荒れて再使用できないことも珍しくない。またゴム類も径が合うものを見つけられれば良いが、なければ探し続けるしかない。当然ブレーキホースは消耗品だから補修部品を見つけるか金具だけ再使用してホースを作ることになる。これだけの苦労を乗り越えてはじめて、冬眠していたクルマを甦らせることができるのだ。
儘田さんは1年以上の歳月をかけて苦労を乗り越え、マークⅡを見事に復活させることができた。だからといって純正グリーンが剥がれかかったボディを再塗装してしまうようなことはなく、色褪せたボンネットなどはそのままにしてある。もちろん「埼」ナンバーを引き継げる環境だったため、文字色が薄くなってしまったナンバープレートもそのまま。実に味わい深いクルマとオーナーのお話なのだった。