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試作車をベースにトヨペットサービスセンターが製作
ショーン・コネリーが大きすぎた!?
1967年公開の映画『007は二度死ぬ』(You Only Live Twice)に登場するTOYOTA 2000GTは、実際にはジェームズ・ボンド(演・ショーン・コネリー)は運転しておらず、日本の諜報機関・タイガー田中(演・丹波哲郎)の秘書であるアキ(演・若林映子)の運転により、ボンドの危機を救うなどの活躍をスクリーンで見せた。
そもそも、劇中に登場するボンドカーは、前作に引き続きアストン・マーチンが使われる案が濃厚だったという。しかし、全編を日本でロケすることが決定した時点で日本車をボンドカーに起用することが検討され、トヨタを含め数社に打診があったとされている。制作側からの条件は「オープンボディのスポーツカー」だった。
007シリーズを制作するイオンプロダクションのプロデューサー、アルバート・R・ブロッコリとの会談にトヨタから開発チームの河野二郎主査ら3人が出席。席上、トヨタが原案として示したのはトヨタ・スポーツ800に似たタルガトップのTOYOTA 2000GTのスケッチだったという。
撮影までの限られた時間を考え、最小限の改造で済むようリアクォーターをそのまま残そうという考えだった。しかし、プロデューサーが求めたのはあくまでもオープンカーだった。主演のショーン・コネリーが大柄であったことと、運転席と助手席の間からカメラを後方に置いて撮影するにはどうしてもオープンでなければならなかったのだ。
TOYOTA 2000GTの起用にGOサインが出されてから撮影までに残された時間は1カ月足らず。この短期間に2台のオープンカーを製作することになった。
デザインを担当したデザイン部・東京デザイン室の岡田稔弘は、「オープンボディを正式に作る場合、ピラーの位置を変更し、合わせて内装も作り直さなければなりません。その作業には通常15カ月くらいかかります。
そこで河野主査は、トヨペットサービスセンター綱島工場・技術部の塚越昇さんチームに協力と製作を依頼しました」と、当時の様子を語っている。ちなみに岡田稔弘は、その後、デザイン室から製品企画室に異動し、1981年に発売された初代から3代目までソアラの開発主査を務めた。
設計といっても、満足な時間は残されていない。そこで岡田のスケッチを基に縦方向と横方向の5分の1の線図を描いただけで「現場合わせ」の方法で改造は行われた。トヨタの正式な試作工場ではできない作業だ。
フロントウインドウはアクリル製、ソフトトップはダミーだった
ベースとなったのは、車体番号のない生産試作車だったという。オリジナルのTOYOTA 2000GTのサイドからリアにかけての美しいイメージを残すことを念頭に、そのラインから上を切り取ることから作業は始められた。フロントウインドウ上部枠が外され、ルーフ、リアクォーターが切り取られた。
ハッチバックの無くなった後部には、なだらかなカーブを描くデッキが溶接され、トランクリッドが設けられた。デッキ部分には、ガソリン給油口、ラジオアンテナを移設。オープンカーに必要なソフトトップ(幌)は、格納状態に見えるが実は備えられていない。トノカバーのみが用意された。
フロントウインドウも、上の縁には微妙なカーブが付けられ、高さが若干低くされている。ガラスは製作が間に合わずアクリル製のものが使われた。さらに、撮影を考えて取り外しが可能な構造になっていたという。同様にドアも窓枠が切り取られ、サイドウインドウは時間の関係で取り付けられなかった。ホイールはワイヤーホイールを装着した。
TOYOTA 2000GTが採用したX型バックボーンフレームのおかげで、縦、横方向の応力は十分確保されていたものの、ルーフがなくなったことでねじれに対する懸念があった。そこで、X型バックボーンフレームの後ろ寄りの位置にタスキ状の補強部材が追加された。
それでもオリジナルのボディ剛性を保つのは難しかったようで、007の撮影で若林映子扮するアキのスタントマンを務めた元チームトヨタのドライバー、大坪善男によると「さすがにボディ剛性が低くて、カーブでドアが開いたこともあった」という。これらの改造に充てられた時間は、わずか2週間。ほとんど連日の徹夜作業で、純正色のペガサスホワイトに塗られた2台のオープンボディのTOYOTA 2000GTが、撮影車と予備車として完成した。
スクリーンの中で「品川5 ま20-00」の劇用ナンバープレートを付けたTOYOTA 2000GTは、ボンドカーとして期待どおりに活躍。撮影後は、第13回東京モーターショーにスピードトライアルカーとともに展示された。
さらに、2台は1967年のジュネーブ・モーターショーなど各種の海外イベントでも活躍する。その後、1台は富士スピードウェイのペースカーとして使用され、後にブルーに塗り替えられてハワイのディーラーに展示された。
それをトヨタが引き取りレストアしたのが現在のトヨタ博物館の収蔵車だ。ちなみにボディカラーはペガサスホワイトではなく、パールホワイトで塗装されている。残る1台も日本でボロボロの状態で放置されていたのが発見されたが、近年、見事にレストアされて往時の姿に蘇った。
TOYOTA 2000GTのボンドカーについては謎が多い。関係者によると、トヨタ博物館の収蔵車がどういう経緯でハワイに渡ったのか、それ以前に撮影車と予備車のどちらなのかということも正確にはわからないという。60年近い時の流れの中では、2台の数奇な運命を想像するのみだ。(文中敬称略)