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シンプルでスタイリッシュな七宝焼きのエンブレム
真のGTを目指した究極のネーミング
国産車初の本格GTとして記憶されるTOYOTA 2000GTだが、実は国産車で初めてグランツーリスモ(GT)を名乗ったのは、1964年4月発表の「いすゞ・ベレット1600GT」だった。さらに同年5月に第2回日本グランプリ・GTクラスの参加資格であった生産数100台を満たす形で発売された「プリンス・スカイラインGT」などがあった。
しかし、それらはチューンナップされているとはいえ、既存車種に追加された1グレードに過ぎなかった。基本コンセプトから真の「GT」として開発された国産車は、やはりTOYOTA 2000GTをおいてほかにない。ちなみに、歴代トヨタ車で排気量をそのまま車名にしたのは、1965年発売の「トヨタ・スポーツ800」、そして1967年に発売されたTOYOTA 2000GTと「トヨタ1600GT」の3台のみ。
開発チームは、当初からTOYOTA 2000GTを「Grand(偉大なる) Touring(乗用車)」にすることにこだわった。「GTレースに出場するようなレース専用車両ではなく、日常の使用条件を満足する使いよさを持った高級なクルマにする」と仕様目標を決めていたのだ。
もちろん、将来GTレースに出場し好成績を得る素地を持つ、スポーツカーとしての性能も盛り込んでいた。そういう意味で、TOYOTA 2000GTというネーミングは必然であったといえる。
エンブレムもデザイナー野崎喩の作品
1965年8月に完成した試作1号車のフロントフェンダーには、逆三角形にデザインされた「TOYOTA GT」のエンブレムが取り付けてあった。試作1号車の公式写真でも、その存在がはっきり確認できる。このエンブレムもデザイナーの野崎喩がデザインした。
リアハッチガラスの右下には、黒地のダイキャスト製の横長エンブレムが取り付けられていたが、試作1号車のそれは「TOYOTA GT」と読める。1966年の東京モーターショーに展示された試作車から、どちらのエンブレムも市販車と同じ「TOYOTA 2000GT」に改められた。
フロントフェンダーのエンブレムは、「TOYOTA」と「2000GT」の文字の下に、茜色のチェッカーフラッグがあしらわれている。逆三角形は野崎の好みだったという。さすがに超高級車だけあって、エンブレムの材質はプラスチックではなく七宝焼きで丁寧に仕上げられた。
そのため、現在でも地金が原型をとどめていれば、メッキをはがし七宝を溶かした上で再度、七宝焼きを施せば新品同様に修復が可能だ。使い捨てのプラスチックではとてもできない芸当だといえよう。
ボディへの取り付けは、エンブレムの裏に3本のピンが立っていてそれをボディの穴に差し込み、ハトメで止めている。当時のエンブレムとしては、ごく一般的な取り付け方法だ。
長い歴史の中で、トヨタの市販車で七宝焼きエンブレムを採用したのは、TOYOTA 2000GT以外では、コロナがベースのトヨタ1600GT(RT55)、初代MR2(AW11)、「TOYOTA 3000GT」を名乗ったスープラ(MA70)など、ごく限られたモデルのみ。とくにトヨタ1600GTのリアピラーに取り付けられたエンブレムは、TOYOTA 2000GTと全く同じデザインだった。ただ、「1600GT」の書体が若干異なることと、チェッカーフラッグの色が青になっていた。
トヨタ1600GTは、3ヵ月先行して発売になったTOYOTA 2000GTの弟分という位置づけだった。ベースとなったコロナ・ハードトップのデザインに、TOYOTA 2000GTチーフデザイナーの野崎がデザイン・アシスタントとして参加していたという縁もあった。(文中敬称略)