冒険家ライダー・風間深志72歳! 最後の?『ダカール・ラリー』はクルマで初挑戦! まずはレースでライセンス取得【風間深志ダカール・ラリー挑戦記 vol.1】

あなたがもし年季の入ったオートバイ乗りであれば二輪冒険家、風間深志の名は当然ご存じだろう。日本人ライダー初のパリダカ参戦・完走。オートバイによる前代未聞の北極点および南極点への到達。一時期は地上波TV番組にもレギュラー出演するなど、お茶の間にもその顔が知られていたほどだ。
そんな風間さんは、日本最大のオートバイツーリングイベント「SSTR(サンセット・サンライズ・ツーリングラリー)」を主催するなど、72歳になった現在も二輪業界で大きな存在感を発揮している。そして冒険家としての野心も健在。何と2026年1月に開催される「ダカール・ラリー」へ“四輪部門”で出場を目指しているという。75歳での過酷なダカール・ラリーに挑戦するというだけでも驚かされるが、乗り馴れたオートバイではなく四輪というのは一体どういう心変わりなのか。本人に聞いてみた。
風間深志
風間深志
1980年にアフリカ大陸の最高峰、キリマンジャロをオートバイで登ったことを皮切りに二輪冒険家として数々の冒険に挑戦。82年に日本人ライダー初のパリ・ダカ出場と完走を果たし、87年に北極点、92年に南極点にそれぞれ到達した。88年から野外遊びを通じて自然への理解を深めることを目的とした「地球元気村」を主宰(のちにNPO法人化)。2013年より、自身発案によるツーリング・ラリーイベント「SSTR」を毎年開催。1万人以上が参加する本邦屈指の人気を誇る二輪イベント。1950年山梨県山梨市生まれ。
北極点に続き、南極点にもバイクで挑む。この冒険は南極点到達と共に自然環境との共存が大きなテーマになっており、開発に1年以上を費やしたスペシャルマシンが用いられた。オートバイによる南極点到達のインパクトは大きく、当時はTV番組でも放映された。

ダカール・ラリーへの再挑戦はバイクではもう厳しい?

風間さんはこれまで2度、オートバイでダカール・ラリーに出場されているんですよね?
風間:
そう。最初が1982年のパリ・ダカールラリー。次が2004年だったんですけど、事故に遭って大怪我を負ってしまってね。左足はいまも思うように動かせないんですよ。

1982年、風間さんはまだ日本では知名度が低かった『パリ・ダカールラリー』に日本人ライダーとして初挑戦。持ち前のタフネスとモトクロス競技で培った技術を駆使し、見事完走を果たした。

今回のパリダカ挑戦はそのリベンジということですか?
風間:
いや、じつは2017年と2018年にも息子の晋之介とダカール・ラリーを走るつもりで準備を進めていたんです。だけど、足の状態が芳しくなくて選手としての出場は途中で断念せざるを得なかった。結局、僕が監督して息子が走るということで一応現地には行けたものの、ずっと悔しい気持ちが心の中でくすぶっていたんです。ただ、今の自分の年齢や体力、足の状態を冷静に考えると、二輪で出場を目指すのは厳しいと認めるしかない。

22年のブランクを経て2004年に二度目のパリ・ダカールラリーへ。当時、53歳での二輪部門への出場は日本人最高齢だった。4日目のスタート直後に無謀運転のトラックに衝突されリタイア。膝と足首に今の機能障害が残るほどの大怪我を負った。

それで四輪部門の出場を目指しているんですね。ラリーの世界では二輪ライダーから四輪ドライバーへの移行はちょくちょく耳にしますが。
風間:
ただ、僕が注目したのはSSV(サイド・バイ・サイド・ビークル)というクラスです。これはオフロード走行用に設計された市販四輪バギーで走るクラスなのですが、ここ数年で急速に出場台数が増えているんです。僕が現地へ行った2017~18年のエントリーは10台、2022年には100台以上がエントリーしています。

こちらが件のSSV。ちょうど風間さんのダカール挑戦とタイミングを合わせたかのようにカワサキモータースジャパンがSSVを日本で正規販売を開始。風間さんは早速、スポーツモデル「TERYX KRX 1000」を手に入れ、トレーニングの準備を進めているそう。

それはどうしてなのですか?
風間:
一番大きな理由はコストですね。オフロード走行に特化した設計になっているため、従来の四輪部門、つまり市販の四輪駆動車を改造して出場するよりも圧倒的に安くマシンを製作できるんです。軽量コンパクトな車体は公道走行を想定していないため不要な装備品がないですし、一般的な四輪駆動車に比べ車体価格も安価です。そうした優れた資質が多くのプライベーターの支持を得たのだと思います。すでにSSVの有力メーカーはファクトリーチームでの参戦も行なっています。

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ライセンス取得のために72歳にして初の四輪レースに挑む!

風間さんはこれまで四輪でモータースポーツをやったことはあるのでしょうか?
風間:
いや、まったく初めて。でも、ダカール・ラリーのSSV部門に出場するには「国際Cライセンス」が必要なんです。それにはまず国内Bライセンスを取得し、サーキットレースやジムカーナ競技に継続的に参戦するなどして実績を作り、Aライセンスを取らないといけない。色々な人に協力してもらいながらチャレンジを進めているところです。

ダカール・ラリーに出る前から冒険が始まっていますね(笑)
風間:
発見の連続ですよ。とりあえず富士スピードウェイでスポーツ走行をするためにFISCOラインセンスを取得したんです。一緒に受講した約20人のなかで僕がダントツ最年長なのは当たり前として、女性やゴリゴリの競技志向ではないドライバーも多いことに驚きました。フレンドリーにスポーツ走行を楽しむ時代が到来しているんだなと関心すると同時に、少しリラックスできた。じつは、この年齢になって改めてサーキットを走ることに気負った部分もあったのですが、もっと日常的な楽しみとしてやってもいいんだなと。

こちらがレースで使用した三代目マツダ・デミオのレースカー。左足の膝から下が思うように動かせない風間さんでもドライビングできるよう手動運転装置などの装着が行なわれている。

人生初の四輪レースにも出場したとお聞きしました。
風間:
2023年5月13日、富士チャンピオンレース第二戦のデミオレースです。知人から僕のような障がい者でも運転できるように改造されたレースカーを借りて出場しました。このマシンはアクセルは手、ブレーキは足で操作できるようになっていて、トランスミッションはもちろんオートマチック。エンジンはECUをチューンしてある以外は1500㏄のノーマルのまま。あとはブレーキ、足回り、タイヤをレース向けに強化してある程度です。

装備品一式はオートバイウェアで馴染みのあったことからイタリア、アルパインスターズのもので統一。

四輪用レーシングスーツも初めて手に入れたとか。
風間:
そう。驚いたのが装備品の規定が二輪に比べてすごく厳密なこと。ヘルメットやレーシングスーツ、シューズ、グローブはともかく、アンダーウェアやバラクラバ(ヘルメット下に被る目出し帽)、ソックスまで、JAF/FIAの基準に合致した耐火炎のものを着用しなければレースに出場できないんですね。この辺りは二輪のモトクロスやラリーの方がはるかにルーズです。

レーシングスーツ「ATOM SUIT」をはじめ、すべての装備品にはFIAの承認を受けていることを示すタグが付いている。
ヘルメットはこれまでの数々の冒険でも頭部を守ってくれたアライヘルメットの「GP6S」を使用する。

レースは大雨! 四輪は転倒しないからギリギリを攻められる?

デミオレース出場にあたり、マシン等のサポートを行った「ホリゾンタルRD」の面々と。

予想外のハプニングで予選レースを走れなかったそうで。
風間:
お恥ずかしいですが、レースの規定を理解しきれていなかったこちらのミスで予選レースを走ることができなかったんです。競技長に嘆願書を提出して最後方グリッドから決勝レースを走ることになってしまって。

予選レースを走れなかったが、なんとか最後尾グリッドからスタートすることができた。

(写真を見ながら)うわ、凄い大雨。いきなり過酷なコンディションだったんですね。
風間:
チームの仲間からはとりあえず1周2分30秒を目標に走れと言われていたんです。本来なら練習の段階でそのタイムをクリアしてから本番に望まなきゃいけないところなんですけど、色々と事情があってそれが叶わなかった。だから僕なりに必死に攻めました。メインストレートでは時速180㎞以上出ませんけどね。何とか目標タイムはクリアできましたけど、レース自体は29台中29位。まあこれから勉強です。

こちらは風間さんが出場したデミオレースで優勝した池島実紅選手。同じピットだったそう。

ダカール・ラリー出場のためのステップとしてサーキットレースに挑戦したわけですけど、面白さもありましたか?
風間:
面白い、もの凄く面白い。ハマりますよ。例えばスポーツ走行でも攻めすぎてコーナーで飛び出すことがあるんですけど、二輪でそんなことをしたら即病院送りですからね。四輪は転倒がないので、ギリギリを見極めて走れる面白さがあるなと感じました。若い頃は四輪のそういう部分が物足りなくて不安定なオートバイに乗っていたんですけどね(笑)

ライン取りやブレーキングにまだまだ課題は残るが、とにかく今の自分の限界まで踏んだと風間さん。残念ながら今回のレースでは1台もパスすることができなかったが、モチベーションは大幅に高まったそう。ゼッケン#81は初めてのパリ・ダカと同じラッキーナンバー。

ずっとオフロード一筋の方だと思っていたので意外です。
風間:
いやいや、昔からMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)に関わっているから、二輪のロードレースにはそれなりに明るかったですけどね。あと、20代のときは自分でロードレースをやろうと思ったこともあります。
中古のヤマハ TZ350で。で、あるとき練習走行でサーキットを走っていたらやけにエンジンが調子よく回ってね。あれ?なんて思っていたらヘアピンカーブの進入でタイヤがロックしてマシンが止まってしまったんです。レッカーされてピットへ戻ってきて調べたら自分がミッションオイルを入れ忘れていた(笑)。ストレートで焼き付かなくて良かったと、その時はさすがに青くなりましたよ。

それがきっかけでロードレースをやることは金輪際ないなと思っていたのですが、まさかこの歳で、しかも四輪でサーキットを走ることになるとは思いもしませんでした。

世界的な二輪冒険家から「四輪冒険家」への挑戦。その物語の幕はいま上がったばかり。すでにカワサキ製のSSVも入手し、オフロードコースでの本格的なトレーニングもスタートするという。今後も定期的にレポートをお届けする予定なのでお楽しみに。

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著者プロフィール

佐藤旅宇 近影

佐藤旅宇

オートバイ雑誌、自転車雑誌の編集部を経て2010年からフリー編集ライターとして独立。タイヤ付きの乗り物…