初めて買ったクルマはスバル・レガシィRS! 28年間乗り続けジムカーナにも参戦したターマックスペシャルはグループAマシンを目指して進化中

初代レガシィといえばワゴンブームを巻き起こし、日本のワゴンのスタンダードとなったツーリングワゴンがあまりに有名。一方で、スバルのWRCと言えば初のチャンピオンマシン、マニュファクチャラーズタイトル三連覇の立役者、インプレッサWRXの存在感が大きい。それに対して、レガシィのセダンRSはあまりに陰が薄い。しかし、ハイパワーワゴンたるツーリングワゴンGTも、インプレッサWRXの活躍も先にレガシィRSの存在があってこそ。そんなレガシィRSを28年乗り続けるオーナーと、その愛車を紹介しよう。

初代レガシィRSを振り返る

初代レガシィのトップグレード「RS」はセダンのMTのみという設定だった。

初代レガシィは、スバルが社運を賭けて開発した新時代のドライバーズカーだった。そのトップグレードとして設定されたのがRSで、エンジンはレガシィと共に新規開発されたEJ20型2.0L水平対向4気筒DOHC16バルブインタークーラーターボを搭載。フルタイムAWDと組み合わされ、全面刷新されたシャシーと足回りにより優れた運動性を発揮した。

EJ20型2.0L水平対向4気筒DOHC16バルブインタークーラーターボ。220ps/6400rpm・27.5kgm/4000rpmの出力は当時クラス最高レベルに達していた。

その高性能をアピールする場として10万km速度記録に挑戦し、記録達成が1989年のレガシィデビューに華を添えたのはこれまで幾度となく語られている。
さらにデビュー翌年の1990年からはプロドライブとのジョイントでWRCにもワークス参戦。苦難の末、1993年にレガシィRSはスバルにWRC初勝利をもたらしたのだった。

レガシィRSによる10万km速度記録挑戦。
1993年ニュージーランドラリーでスバルはWRC初勝利を飾る。

初代レガシィのツーリングワゴンがヒットしたのはRSのエンジンをATにもマッチングさせたEJ20ターボを搭載し、ハイパワーワゴンと言うジャンルを切り拓いたGTの存在が大きい。

コンディション抜群の初代レガシィ・ツーリングワゴンGTはオプションフル装備!? スバルと日本のステーションワゴンを変えた1台

MotorFan.jp編集部は、あるスバルファンのミーティングを取材する機会を得た。そのミーティングはスバル車の世界的コレクターとして界隈で有名な@BOXER_GrA_GC8さんの主催するもので、この時は特に1990年代のスバル車が集まった。そのうちの1台が、BOXERさんが所有する初代レガシィ・ツーリングワゴンGTだ。コンディション抜群、前期型の5速MT、当時のほぼフルオプションという貴重な個体を、"いもっち"こと井元貴幸氏の筆で紹介しよう。 REPOERT:井元貴幸(IMOTO Takayuki) PHOTO:MotorFan.jp

さらに、レガシィRSで熟成した基本コンポーネンツをより小さく軽量なボディに搭載したインプレッサWRXがWRCにおいて活躍できたのも、レガシィRSでの蓄積があってこそ。
そう考えるとレガシィRSはその存在感以上に、その後のスバルの躍進に繋がる礎を築いたクルマと言えるだろう。

WRCを走ったインプレッサWRXを運転した! カルロス・サインツがドライブした本物のプロドライブ製グループAマシンです!!

MotorFan.jp恒例の年末年始企画『2023年、今年のクルマこの1台』! 今年もモータージャーナリストやライターなど、MotorFan.jpで活躍する執筆陣が、それぞれ「これだ!」という1台を選びます。自他ともに認めるスバオタ、"いもっち"こと井元貴幸氏が選んだのは、なんとホンモノのグループAラリーカー! PHOTO:MotorFan.jp/STI/SUBARU

28年間乗り続ける初めて購入したクルマ

今回取材に応じてくれた青木さんのレガシィRSは、青木さんが21歳の時に初めて購入したクルマで、以来、28年間所有しているという。

青木さんのレガシィRS。

青木さんは若かりし頃にNHK BSで放映していた番組でWRCに夢中になり、特にランチア・デルタが好きだったそうだ。その後、いよいよ自分のクルマを購入する際に、家のクルマがレオーネだったことからスバル車を選択。スバルがWRCのマニュファクチャラーズタイトルを獲得したことからインプレッサWRXを考えたものの、当時はまだ高かったためレガシィRSに落ち着いた。

青木さんのレガシィRSは1989年式。

ジムカーナ地区戦参戦車

まるでターマックラリーのテストカーかレッキ車のような雰囲気を漂わせる青木さんのレガシィRSだが、それもそのはず。一時期はこのクルマでジムカーナに参戦しており、JAFの地区戦(※)まで進んだそうだ。現在も走行会などに参加しており、ターマック仕様のセッティングとなっている。
※JAF公認競技で、県戦(都道府県)→地区戦(東日本や近畿、中国などの地方選手権)→全日本とエリアが拡大し、競技レベルも上がっていく。

ローダウンに大径ホイールの組み合わせで、フロントはかなりネガティブキャンバーが付いている。
8J×18インチのスピードラインホイールに、225/40R18のミシュランパイロットスポーツ・カップ2を装着。

そのためか、18インチというクルマの時代を考えればかなりの大径ホイールを履かせており、ローダウンと相まって迫力のあるルックスになっている。取材時は225幅のタイヤだったが、フェンダー叩き出しにより9J×17インチホイールで245/40R17サイズのタイヤも使えるそうだ。

グループA時代のスバルファンには定番のスピードラインのゴールドホイール。

そのホイールの隙間から覗くブレーキがまたスゴい。インプレッサWRXの限定車S202用のナックル、ローター、キャリパーのセットがたまたま中古で安く手に入ったのだそうだ。

インプレッサWRX S202のブレンボ製対向4ポットキャリパー(フロント)。
リヤは同じくインプレッサWRX S202のブレンボ製対向2ポット。ローターはスリット入りだ。
真後ろから見るとリヤもかなりネガティブキャンバーになっている。

エンジンはレガシィとインプレッサをミックスして製作

GC8型インプレッサWRX STIバージョン5の事故車が手にはいることになり、そのエンジンを流用。ただ載せ替えるのではなく、元のレガシィのブロックを使い、ヘッドとピストンをインプレッサのものを使用。その際に、エンジンハーネスはGC8用を使いつつ、レガシィのハーネスを一度バラして再製作するという手の込みようだ。

青木さんのレガシィRSのエンジンルーム。

そのエンジンパワーを受け止めるクラッチは、EXEDYのハイパーコンペR(メタル/ツインプレート)を使用。
さらにインタークーラーは冷却効率を重視して前置きに変更。バッテリーをトランクに設置したり、ウォッシャータンクを下位グレードの容量の小さい=小さくて軽いものに変更するなど、軽量化と重量配分を考慮したチューニングも行われている。

ちなみに、この年式となる気になってくるエアコンだが、二代目インプレッサWRX(GDB型)用のコンプレッサーに他車種流用部品を組みわせて、元気に稼働中だそうだ。

エアコンはマニュアルエアコン。本来なら操作パネルの上に吹き出し口があるのだが、カーボンパネルで埋めてイノベート製エアフロメーターを設置している。オーディオはAM/FMラジオ。

グループAレプリカを目指して

レプリカというとカラーリングをイメージすると思うが、青木さんのレプリカはむしろ機能面が重視されている。
ラリーレプリカの定番といえばやはりボンネット前端に設置するライトポッド。さらにボンネットの開閉をボンネットピン仕様としている。
さらにトランクリッドもFRP製として軽量化。開閉もボンネット同様にピン固定とした。

ライトはライトポッド装着では定番のA.P Rally。
1992年までのワークスカー(RACを覗く)に倣ったトランクリッドは数少ないレプリカカラー部分。
FRPのトランクリッドを固定するために、ボンネット同様にピン仕様としている。

さらによく見るとサイドミラーが小さいことに気が付く。これはレックスのミラーを流用しており、そのステーは本物のグループAマシンのもの。ただし、当時ものではなく、現地で再生産されたものを入手したそうだ。
そして極め付けはルーフベンチレーター。インプレッサWRXは後にルーフベンチレーターを装着したグレードも出てきたが、レガシィRSにはもちろん存在しない。これはルーフを加工して設置したものだ。

ルーフベンチレーター。左右とも開閉する。
室内から見たルーフベンチレーター。

インテリアは完全に競技車両

そこから室内に目を映せば、張り巡らされたロールバーは全て溶接されており、後席を外した2名乗車。フルバケットシートに4点ハーネスと、完全に競技車両となっている。

シートはレカロのSP-G、4点ハーネスはサベルトの3インチを使用する。 

ロールバーも念入りに組まれており、ドア開口部には前後ともサイドバー(フロントはクロスで)が入るほかリヤは斜交バーだけでなくトランク側のバルクヘッドをプレートで塞いで剛性をたかめている。内装はほぼ全て剥がしており、塗装が剥き出しになっている。

Bピラーとロールバーを繋ぐプレート(丸穴のついた板)もグループA車両を模したもの。取材当日、本物のグループAレガシィを採寸していたので、作り直すのかもしれない。

ロールバーはダッシュボード貫通タイプ。助手席足元には消火器も設置している。フットレストはラリーやダートトライアルではお馴染みのオクヤマ製。フロアのプレートは東急ハンズで廃材を購入して自作したものだそうだ。

ダッシュボードこそノーマルの面影を残すものの、メーターを含めてかなり手を入れているのがわかる。ステアリングはmomo製2本スポークを装着。バックスキンはラリーファンにはたまらないセレクトだ。
フロントのロールバーはAピラーと肉抜きしたプレートで溶接で結合してある。
メーターはセンターにスタック製(タコメーター、スピードメーター)、左にDefiの排気温度計、右に同じくDefi製のブースト計を配置。カーボンパネルに、ウインカーや各種警告灯と合わせて埋め込まれている。
これまたこだわりの逸品。プロドライブ製のグループAマシン用シフトノブ。プロドライブのグループAマシンは6速なので「6」と表記されているが、青木さんのレガシィは通常の5速。シフトブーツの手前にSTI製の5速シフトパターンが貼ってある。

プライベートメンテで楽しむレガシィライフ

驚いたことにこのレガシィRSは全てプライベートでメンテナンスしていると言う。しかも、基本的には車検を通してナンバーを取得して自走可能な状態にしているそうだが、取材時はナンバーを切って積載車で走行会に参加。群馬サイクルスポーツセンターで走りを楽しんでいた。

まるで1990年代前半のラリーでのテスト中のような光景。

2024年はレガシィがデビューしてから35周年。青木さんのレガシィRSも1989年式だけに同じく35年を迎えることになる。すでに貴重な存在となった初代レガシィだけに、いつまでも元気に走っていてほしい。そして、この先どこまでグループAマシンに近づいて行くのかも気になるところだ。

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