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【清水和夫×高平高輝クロストーク】今回はエンジンの話
「ガソリンエンジンを止めて100%電気自動車にしま~す!」なんて感じでいろんなメーカーが宣言したのは…ほんの数年前の話。しかし今、その100%EVシフトがジワジワ揺るいできたと感じること多々。
そんななか、EVシフトに積極的なハズ?の欧州イタリア・フェラーリから、究極のガソリンエンジン「V12」搭載車が発表された。
どーいうこと???
そんな話題から今回の【清水和夫×高平高輝クロストーク】は、エンジンに関わるアレコレについて語ってもらった。
【清水和夫プロフィール】
1954年生まれ東京出身/武蔵工業大学電子通信工学科卒業。1972年のラリーデビュー以来、N1耐久や全日本ツーリングカー選手権、ル・マン、スパ24時間など国内外のレースに参戦する一方、国際自動車ジャーナリストとして活動。自動車の運動理論・安全技術・環境技術などを中心に多方面のメディアで執筆し、TV番組のコメンテーターやシンポジウムのモデレーターとして多数の出演経験を持つ。自身のYouTubeチャンネル「StartYourEnginesX」では試乗他、様々な発信をしている。2024年も引き続き全日本ラリー選手権JN-6クラスに「SYE YARIS HEV」にて参戦。
【高平高輝プロフィール】
大学卒業後、二玄社カーグラフィック編集部とナビ編集部に通算4半世紀在籍、自動車業界を広く勉強させていただきました。1980年代末から2000年ぐらいの間はWRCを取材していたので、世界の僻地はだいたい走ったことあり。コロナ禍直前にはオランダから北京まで旧いボルボでシルクロードの天山南路を辿りました。西欧からイラン、トルクメニスタン、ウズベク、キルギス、そして中国カシュガルへ、個人では入国すら難しい地域の道を自分で走ると、北京や上海のモーターショー会場では見えないことも見えてきます。モータージャーナリスト清水和夫さんをサーキットとフェアウェイ上で抜くのが見果てぬ野望。
みんな「電気にする」って言ったクセに…フェラーリ・チリンドリのV12とトヨタの中国向け4気筒
清水:フェラーリはチリンドリを出して“エンジンが主であり続ける”みたいな。
高平:噂ですけど、メルセデスはV12を作っているっていう?
清水:みんな“プランB”は持っているんだもんね。
高平:AMGはV8をもう一回出すし、新しいエンジンも動いてるっていう噂が…? V8は間違いなくやっている。4気筒プラグインハイブリッドは全然売れなくて、C53とかは止めるって。
清水:結局ね、中国で3気筒がダメ。それでトヨタはヤリスの4気筒を作る。気筒数で“3”って言うのが中国ではダメ。ダウンサイジングというか“ダウンシリンダー”がダメで“アップシリンダー”にしないと。
高平:ナンバープレートとかですごい制限があって、お金払っても乗りたいっていう人も。あと“8”などの縁起のいい数字とか、マーケットによっていろいろありますから。中国にとって“V8/4.0L”っていうのは、4L以下だとそこで税金が変わるし。だから凄く良いのに、まだ止める必要ないんじゃない?みたいなのはありますよね。
そういえばフェラーリV12チリンドリ(Ferrari 12Cilindri[ドーディチ チリンドリ])、先ごろ海外試乗会がありましたね。
清水:そうか! 最近のドイツ車のV8はみんな4L、スーパーカーも4.0L V8が多いのは、中国の影響か! だが、オレはまだフェラーリV12チリンドリに乗っていない。同じV12のプロサングエは乗ったけど。
MF:エンジンがどうなるか?っていうのはみんな今、すごく興味があって。ホンダみたいに止めるって言い切って本当に止めそうなところもあれば、止めるって言ったけど“それはマーケットによりけりって言ってあったじゃん!”っていうところもあるわけじゃないですか。
清水:でもホンダの三部さん(三部敏宏/みべ としひろ/本田技研工業取締役社長)は頭が良いから、口には出していないけど研究所のどこかの密室でエンジン、やってると思うな。
高平:そうですよ。ホンダは今、新興国、東南アジア…南南西にあんなに力入れているのに、エンジンやめて全部EVにするなんて、そんな非現実的な。特にインド、パキスタン、インドネシアなんてまだまだモーターっていうか電気なんてやれないでしょ。
エンジンを語るならまず“幻? 「ホンダ」のピエヒ博士??”
清水:ピエヒさん(Ferdinand Karl Piëch/フェルディナント・ピエヒ/オーストリア出身/1937年-2019年没)が1989年くらいにドイツの「デア・シュピーゲル(Der Spiegel)」っていう雑誌のインタビューを受けた。フォルクスワーゲンの企業ネタだったんだけど、その最後の方に「生まれ変わったら自分はホンダで働きたい…」というピエヒの話が出てくる。「えっ? それは何でですか?」って、そういう下りがあるんだ。
清水:ピエヒは自分が28歳の時にポルシェ社に入り、356から911の6気筒エンジンを作れって言われた時に、世界で参考になるエンジンはあるのか?と思ったら、誰かが「ホンダのエスハチ(S800)がいいんじゃないか?」って。当時ホンダなんか誰も知らなかったんだけど、エスハチをヴァイザッハ(開発センター)で買った。
で、エンジンを回したら、当時のポルシェのエンジンよりも高回転でパワーもあった。ピエヒはビックリしたわけですよ。911が出たのは1964年だから、1962年くらいの話ね。「ホンダっていうのはどういう会社なんだ!?」って興味を持った。
清水:そうしたら、1964年にホンダがいきなり、ニュルブルクリンクにV12エンジンのF1マシンを出した。で、またピエヒはビックリするわけ。で、翌年の1965年のメキシコGPでホンダが勝っちゃって、またピエヒがビックリする。それで、ピエヒは 60年代末に、ル・マンのレース部門のマネージャーをして917を作る。その時に自分が作った911の水平対向6気筒エンジンを2コくっつけて、ようやく917の水平対向12気筒ができた。だけど、ホンダはもうすでに1965年にF1で勝っていたんだよね。
だから、「ホンダという会社がイノベーションに長けた自動車メーカーなのか」っていうことをピエヒは知り、 「自分は生まれ変わったらホンダで働きたい…」っていうことをデア・シュピーゲル誌で語っている。
トヨタの生産方式を学んだフォルクスワーゲンのピエヒ
清水:そのインタビューでは、「二番目に働きたかったのはトヨタ」だと。それはピエヒがフォルクスワーゲン・グループのトップをやっていた頃、硬直化したドイツの自動車メーカーがトヨタの生産方式をみんなで学んでいた時にアメリカのベアリングメーカーのドイツにおけるトップをやっていたヴェンデリン・ヴィーデキング(Wendelin Wiedeking)をポルシェのトップに据えた。で、ヴィーデキングにトヨタ生産方式を学べと言った。
どうしていいかわからないから、大野耐一さんというトヨタ生産方式を作った大親分の愛弟子(トヨタをリタイアされた方たち)を雇った。それでヴァイザッハで徹底的に改善方式を実行していく。その時の通訳がスガヌマさんという人で、ボクは昔から仲の良い人で、いろんな話を聞かされた。
清水:工場へ行き、ベルトコンベアで運ばれてきた部品を付けようとしても付かない。すると2階に上がり2階の部品棚から持ってきて付けるわけ。至るところで人間が工場内を1階と2階を上がったり下がったりしているから、その第一声が「ポルシェは猿を飼ってるのか?」って、日本人のその愛弟子が言うことをそのまま正直に通訳したら、ポルシェのプロフェッサーたちは出社拒否するくらいプライドを傷つけられて…。それでもヴィーデキングはピエヒの命を受けていたから、トヨタ方式をやり抜いた。
そうしたら、部品の倉庫が満杯だったのが全部綺麗に要らなくなって、ポルシェが最も先に品質を高める生産方式を学んだ。そしてポルシェはそれを、ポルシェエンジニアリングGmbHという別会社を作り、フォルクスワーゲン、アウディ、BMW、メルセデス・ベンツに教えていった。
まぁとにかく、ピエヒはホンダのエンジンに惚れ込んでいたってことだね。
高平:ピエヒはその後もずっとホンダのことが気になっていたようで、お忍びで日本に来る時は必ずホンダの新車に乗っていた。すぐに手に入らないときは、某誌が持っていたクルマを貸したこともある。皇居の周りとかその辺の高速とか、どこでもいいから、とにかく変な5気筒が出たり、変な搭載位置のレジェンドが出たりすると、 「とにかく乗ってみないことには…」って。フォルクスワーゲン・ジャパンとかには一切何も言わないで、自分の親衛隊だけドイツから連れて来て、やりたいことやって、スズキとか部品メーカーのトップと会談して、また帰っていくっていうのを随分やっていましたね。
ポルシェはホンダLOVE♪ VTECエンジンの凄さに嫉妬
清水:ポルシェの現地の試乗会に行くといろいろリリースが出るじゃない。「ガソリンターボの可変バリアブルジオメトリーをやったのはホンダ・レジェンドのウイングターボです!」と、ポルシェの公式リリースに入っている。ポルシェはずっとホンダをリスペクトしているんだ。997 のGT3が出た時に、「初めてピストンスピードがホンダのS2000を上回りました!」ってリリースに出てくる。秒速24mね。
高平:ポルシェ、気にしていたんでしょうね。面白いですよね!
清水:ピエヒは、「エンジンは回転数なんだ」と言っている。まぁF1は1万6000rpm、1万7000rpmってやっているけど、量産エンジンで 9000rpm回すなんて。S2000エンジン(F20C/2.0L 直4DOHC VTEC)が9000rpmと書いてある。ホンダはいち早くVTECをやったじゃない。ポルシェは悔しくてしょうがない。その後、バリアブルカム(i-VTEC)。ことごとくポルシェはホンダにやられている。
高平:いい話ですね。
清水:そういう話をこの前、三部さん(三部敏宏/みべ としひろ/本田技研工業株式会社 取締役代表執行役社長兼CEO)と青山さん(青山真二/あおやま しんじ/本田技研工業株式会社 取締役代表執行役副社長)に教えた。
高平:ホンダはホンダで、ポルシェがバリオカム(Vario Cam)に変わった時、ホンダの方たちは、VTECってタペットとカムの当たりが一定になると異常摩耗する…などをなかなか解決できなくて、1ヵ所に当たらないように上手に回す工夫をしたりとか、そういう風なことをやってVTECが実現できた。でも、いろいろ使っているうちに弊害がある。
でも、それがポルシェのバリオカムにはなくて、ポルシェは一体どうやってるんだろう?と思ったら、材質だけなんだと。ボクスターを買って分解して、でも「ウチ(ホンダ)にはこんな特殊で高すぎるものは使えないよ!」みたいな。ホンダとポルシェ、お互いにそういうことをやっていて、へ~!と思いました。
エンジンのそういう技術的なところは、わかる人たちの間では「アイツら次はどうすんだろう?」っていう思いがずっとあるんだなと思って。
MF:でもそのポルシェもマカンはEVになる。911も今度は電動が入る。ホンダは本当かどうかわからないけど「エンジンやめて全部電気か水素にします」って言っているんですけど、じゃあその裏側はどうなのか?っていうことをみんな知りたい。ポルシェの911が、例えば2030年になったらニュルで走らせるとかっていう話もあるんでしょうけど、どんな風にするのか。ホンダは2035年からは本当にエンジンを止めるのでしょうか?
清水:エンジンはこの先もう消えてなくなるのか、燃料系がオルターナティブ(代替)の燃料でサステナブルなICE(インターナル・コンバッション・エンジン)になるのか、そこが一番ホットな議論、今回のテーマだと思う。
ホンダ・CVCCエンジンの功績
清水:もうひとつ、ポルシェとホンダの関係で言うと、1970年のマスキー上院議員(※エドマンド・マスキー/ジミー・カーター政権で第58代アメリカ合衆国国務長官。上院における最初の環境保護論者)が「カリフォルニアの汚れた空を取り戻したい」とマスキー法を出す。それがカリフォルニア規制。それでいきなり「NOx(窒素酸化物)を10分の1にしろ!」っていう。が、世界中の自動車メーカーは「無理!!」って言ったけど、唯一そこにチャレンジしたのがホンダのCVCCエンジン。1972年にホンダ・シビックがその最初のEPA(米国環境保護庁)の基準をクリアした、というのがあった。
清水:当時、ポルシェとフォルクスワーゲンのビートルが空冷をやっていた。その時にホンダはCVCCを出す前に「空冷じゃ無理」っていうのを、中村さん(中村良夫/なかむら よしお/ホンダのエンジン技術者/元F1チーム監督)は「水冷じゃなきゃダメ」と考えていた。
その時に本田宗一郎さんは「いや、空冷じゃなきゃダメだ! 原理原則で余分なものをくっつけちゃいけない」と。それでホンダのなかで大論争が起きた。だけど排ガス規制が来るのはもう見えているから、「会長、絶対にこれは水冷にしなきゃいけませんよ!」ということを、中村良夫さんは本田宗一郎さんに言うんだけど、本田宗一郎さんは頑として信用しなかった。
清水:その時に中村さんはF1での繋がりがあったポルシェのピエヒに頼んで、その人脈でフォルクスワーゲンが何を考えているか?ということを聞きに行った。そうしたら「ワーゲンも1974年に空冷のビートルを止めてゴルフを作る…」という話を聞き出して、「ほらね!」って。
で、その話を中村良夫さんが持ち帰ってきて、「ホンダもやっぱり水冷にいかなきゃいけない」って。
高平:そのゴルフが今年2024年で50周年。本田宗一郎さんはその後も、「コレ(空冷)の方がいいんだ…」とず~っと言っていた、という話も残っているくらい。「どうせ最後は空気で冷やすから」って。
清水:本田宗一郎さんの発言は理が通っているね。しかし、ポルシェは1996年ぐらいまで空冷で頑張って、911をアメリカに出すんだけど、結局、排ガス規制のためにどんどんパワーが落ちていき、911が厳しい状況になった。なので、逆に924とか水冷の3.0L 4気筒とか、V8の928とか、フロントエンジンのクルマを出すようになった。911はこのまま死んじゃうんじゃないか…みたいな状態になったんだけど、最後の最後で911は空冷から水冷に切り替えて996が出た。
高平:あの時も、コンペティションの分野では、ヘッドだけ水冷っていう水平対向のような。ル・マンもそうだし、ラリーカーとかのいろんな実験エンジンはすでに積んであって、効率上げてパワーを出してっていうのを考えた時には、やっぱこれしかないか、みたいな。それをおくびにも出さずに「うちは空冷で何の問題もないです~」って言いながら、サクッと変えるところは変えるっていう、ドイツ人の本音と建前を見極めないと。
飛行機屋さんが自動車産業の基盤を作り上げた
清水:トヨタにはパブリカ(1961年)を水平対向2気筒で作った長谷川龍雄(はせがわ たつお)さんがいて、日産プリンスには中川良一(なかがわ りょういち)さんがいた。ホンダの中村さん、トヨタの長谷川さん、プリンス(日産)の中川さんのこの3人とも中島飛行機で航空機屋さん。それと、スバルの百瀬晋六(ももせ しんろく)さん。中島飛行機から出てきたエンジニアたちが、日本の自動車産業の技術基盤を作り上げた。
高平:面白いですね。ドイツのエンジニアリングも、元を辿ればチェコ、オーストリア、ハンガリー帝国のボヘミアの辺りの武器や兵器とかで必要とされた冶金工学とか、爆発、燃焼とかの、あれがヒットラーの時代を超えて戦後まで続き、それがポルシェ、メルセデスの基礎となったっていうのは事実ですから。その辺はどこかでは繋がっているんですね。
今の時代エンジンを、しかもV12を出したフェラーリってどうでしょう?
清水:オレはまだ乗っていないけど、フェラーリが出したチリンドリ。チリンドリが気筒っていうのはわかるんだけど、“12”は?
高平:ドーディチ・チリンドリ(12 Cilindri)。「12C」と書けばいいんじゃないかと思うんですけど、12Cだと 最近ではマクラーレンもそうだし、昔アルファロメオなどもV12を作っていたので、もしかしたら弊害があるのかもしれません。だから「ドーディチ・チリンドリ」って言わなくちゃいけないのかな。
清水:さすがにエンジンの発表会はヨーロッパじゃやりにくいから、マイアミと日本でワールドプレミアをやった。ヨーロッパで今こんなエンジンを発表しようものなら、いくら右傾化しているとはいえ、ヨーロッパでは「今頃V12なんてエンジン作りやがって!」って言われちゃう。ヨーロッパじゃエンジン車の発表なんかできないだろうね。不買運動が起きちゃう。
高平:まぁ不買運動が起きても、内心は「フンッ!」と思っているのかもしれない。
清水:炎上商法みたいな!
高平:トップブランドほどイメージを大切にしないといけないっていうのはありますけどね。イタリア国内ではフェラーリの販売台数は超~少ないです。イタリア国内で普通に走っているフェラーリって、ほとんど見たことがない。イベントやレースとかになれば別ですよ。でも、普通に移動していて高速道路でフェラーリは見ない。
清水:お金が落ちているところしか買えないよ。中東とかロシアとか、武器商人が買っているとかね。
高平:「世界中でポルシェが一番売れている国はどこ?」ってアメリカ人に聞くと、「マイアミ」って。いや、それは国じゃないでしょ!って言うんだけど。ちなみにその次は?って聞くと「カリフォルニア。その次はハワイ」だって。フェラーリも多分、一緒。
清水:みんなオープンカーで走りたいからね。ランボルギーニなんか日本市場は凄く良いし。
高平:フェラーリもちょっと前までは、日本が5本の指に入るくらい売れている。
清水:いわゆる“信者”がいるっていう意味だよね。フェラーリが上場した時に40ドルくらいの株が、今450ドルくらい。あの時に1000万円くらいで買った信者は、今1億円持っている!
高平:そういう人たちが、ロイヤルカスタマーとして、「ドーディチ・チリンドリもどうですか? アナタのために一台あるんですけど~」みたいな。
清水:クルマのモデル名が“ドーディチ・チリンドリ=12気筒”ってすごい名前。エンジンが車名になったっていう部分がスゲ~よね。
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濃い…話が濃過ぎる! もちろん、今回のクロストークは当然、まだまだ…To be continued