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■日産がノックダウン生産したVWサンタナを日本で販売
1984(昭和599)年2月7日、フォルクスワーゲンとライセンス提携を結んだ日産がノックダウン生産した「フォルクスワーゲン・サンタナ」の販売が始まった。フォルクスワーゲン・サンタナは、フォルクスワーゲンにおける最高級車のミドルクラス4ドアセダンで、座間工場で日本仕様にして生産、それを日産サニー店とヤナセで販売したのだ。


日本車の大躍進と貿易摩擦
1980年代のオイルショックと厳しい排ガス規制を上手く乗り越えた日本車は、燃費が良くて信頼性に優れ、しかも安価なことから米国を中心に高く評価され、海外で爆発的にシェアを伸ばすことに成功した。
一方、日本車の躍進によって、欧米の自動車メーカーの自国のシェアが大幅に下がるという問題が起こり、また同時に日本市場の輸入車に対する閉鎖性も批判の的になった。この状況は過熱し、ついには政府を巻き込んだ貿易摩擦として国際的な大問題に発展したのだ。
日本メーカーは、この状況を回避するために現地生産に取り組んだり、海外メーカーとの提携に走った。日産は対応策として、1981年にフォルクスワーゲンと“国際貿易上の問題解決に積極的に貢献することを目的として、全般的な協力関係を樹立する”という協定に合意。翌1981年9月には、日本でフォルクスワーゲン車のノックダウン生産を行ない、販売も日産のディーラーが手掛けるという契約を結んだ。
ノックダウンに選ばれたフォルクスワーゲンのフラッグシップ「サンタナ」

日本でノックダウンするクルマとして選ばれたのは、1981年に欧州でデビューしていた「サンタナ」だった。サンタナは、2代目「パサート」の4ドアセダン版でフォルクスワーゲンのフラッグシップに位置付けられるクルマだ。

ノックダウンといえど、日本で生産・販売するためには国内法規への対応はもちろん、日本の5ナンバーサイズに収める必要があった。日産は、サイドモールを薄型にして全幅を5ナンバー枠に収め、日本の法規に適合するように右ハンドルへの変更やヘッドライト、サイドマーカー、ラジエターグリルなどを変更。さらにエアコンの標準装備化など、日本のユーザーに合わせた改良を施した。

サンタナは、直線基調の欧州車らしいスタイリッシュなセダンで、エンジンは縦置きのFFレイアウト。アウディ設計の110psを発揮する2.0L直5 SOHCとフォルクスワーゲン設計の100psの1.8L直4 SOHC、72psの1.6L直4ディーゼルターボの3機種を搭載。トランスミッションは、ガソリン車が5速MTおよび3速AT、ディーゼル車は5速MTのみが組み込まれた。エンジンやトランスミッションの他にも、主要部品はフォルクスワーゲンから供給された。

そして1984年2月のこの日、神奈川県の座間工場で生産された「日産フォルクスワーゲン・サンタナ」が市場デビューを果たす。なお販売は、日産サニー店とフォルクスワーゲン車の輸入販売権を持っていたヤナセでも販売が行なわれた。

車両価格は、標準グレードで226万円(2.0L)/192万円(1.8L)/208万円(1.6Lディーゼル)と高額だった。当時の大卒初任給は13.5万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で385万円/327万円/354万円に相当する。
日本では地味で高かったサンタナの販売は低迷
和製フォルクスワーゲン車として大きな話題を呼んだフォルクスワーゲン・サンタナは、欧州車らしい安定した直進性やハンドリング、乗り心地などは評価されたが、販売は伸び悩んだ。

当時1980年代中盤の日本市場は、バブル景気に火が付き日本が絶頂期を迎える直前でハイソカーと呼ばれた「マークII」や「ソアラ」などが爆発的な人気を獲得した時期。これらのクルマは、スポーティな高級セダンで、高性能エンジンと何でもありの贅沢な装備が売りだった。
そのような中でフォルクスワーゲン・サンタナは、ドイツ車らしく質実剛健的なクルマであり、バブルに沸く日本市場では完全に見劣りし、しかも価格も高かった。1984年デビューのトヨタ5代目マークIIセダンの2.0L標準グレードが114.3万円、トップグレードのグランデが210万円、対するフォルクスワーゲン・サンタナは2.0L標準グレードが226万円なので、販売に苦しむのも当然かもしれない。

その後サンタナは商品力強化されたが、結局1990年に日産とフォルクスワーゲンの提携関係が解消され、フォルクスワーゲン・サンタナの生産も終了した。この頃には、貿易摩擦問題も現地生産が進むなどで徐々に改善されていたのだ。
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日産にとってフォルクスワーゲン・サンタナは収益的にはメリットが出せなかったが、当時のドイツ車のクルマづくりを修得できたことは大きなメリットになったはず。その後、欧州でヒットした「プリメーラ」の開発にこの経験が生かされたとされている。
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