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■2代目パルサーに3ドアハッチバックのミラノX1追加
1984年(昭和59)年3月29日、日産自動車はモデルチェンジして登場した2代目パルサー(N12)の商品力強化のため、3ドアハッチバックに新たな「パルサーミラノX1」を追加した。当時、日産は欧州市場の拡大を狙ってアルファ・ロメオとコラボを進めており、その一環としてデビューしたのがミラノX1である。

チェリーF-IIの後継車としてパルサー誕生

1978年5月、チェリーF-IIの後継モデルとしてパルサー(N10)がデビューした。パルサーは、FF方式のエンジンレイアウトやパワートレイン、足回りなどをチェリーF-IIから受け継ぎ、スタイリングはそれまでの曲線基調から直線基調のシャープなフォルムへと変貌した。

“パルサー・ヨーロッパ”のキャッチコピーの通り、欧州車を意識したシャープな直線基調のスタリングが特徴。当初は4ドアファストバックの2ボックスセダンだけだったが、4ヶ月後に3ドアハッチバックとクーペがラインナップに追加された。
パワートレインは、1.2L&1.4L直4 OHVと4速および5速MTの組み合わせを基本とし、1.4L搭載モデルには“日産スポーツマチック”を設定。これは、2ペダル仕様のいわゆる自動MTである。

その後、パルサーはニーズに合わせた車種拡大を図った。5ドアハッチバックやサンルーフ仕様を設定、1980年5月のマイナーチェンジではヘッドライトが丸型2灯から角型2灯へ変更され、さらにエンジンを1.3Lと1.5Lに換装するなど進化を続けた。欧州車風のスタイリングと俊敏な走りのパルサーは日欧で人気を獲得し、大ヒットとはいかないまでも堅調な販売を続けた。
先進のFFワールドカーを目指した2代目

1982年4月、パルサーは初めてのモデルチェンジで2代目(N12)に移行。目指したのは、FF車としての機能を充実させ、すべてにおいて世界をリードする先進のFFワールドカーだった。

スタイリングは、スラントノーズとテーパードフード、リアにかけてはダックテール風のリアエンドを採用した欧州風フォルムで、フラッシュサーフェス化を徹底したボディで優れた空力性能を実現。クーペモデルには、クラス初のリトラクタブルヘッドライトが採用され、専用サブネームの“エクサ”が冠された

パワートレインは、最高出力75psを発揮する1.3L直4 SOHC、85psの1.5L直4 SOHC、95psのそのEGI(電子制御噴射)仕様の3種エンジンと5速/4速MTおよび3速ATの組み合わせ。

”ファンタスティックNEWパルサー“のキャッチコピーで登場した2代目は、先進的でスポーティなモデルとして高く評価され、日米を含めて好調な販売を記録した。
ワールドカーとしてミラノを冠するミラノX1登場

1984年3月のこの日、2代目パルサーのマイナーチェンジで、3ドアハッチバックに「ミラノX1」と称するグレードが追加された。

前年に、欧州での販売強化を目論む日産とアルファ・ロメオが設立した合弁会社ARNA(アルナ)のコラボの成果として、「アルファ・ロメオ・アルナ」がデビューした。これは2代目パルサーのハッチバックに、アルファ・ロメオのパワートレインを組み込んだモデルである。

そのコラボを機に設定されたグレードがミラノX1であり、“ミラノ”はアルファ・ロメオの本拠地であり、“X1”はチェリーの高性能グレードの名称に起因する。ミラノX1は、パルサーの3ドアハッチバックの上級グレード1500に、エアロパーツやブラックとグリーンの2トーンカラーの専用シートなどが装備されて、内外装がスポーティに仕立てられた。



ミラノX1の車両価格は、標準グレードで104万円、EGIのサンルーフ付が124.7万円、ターボが140.9万円に設定。当時の大卒初任給は11万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で標準グレードが217万円に相当する。

ミラノX1は、1986年に登場した3代目でも継承されたが、その後アルファ・ロメオがフィアットの傘下となり、日産との提携が解消されたこともあって、1990年に登場した4代目ではその名は消えた。

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車名に地名が付けられているクルマは意外に多い。有名なところでは、「ロータス・ヨーロッパ」、「フォード・トリノ」、「ダッジ・モナコ」、「ダットサン・サニーカリフォルニア」、「アルファロメオ・モントリオール」、「プリムス・サッポロ」などがある。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。