トヨタ2000GT試作1号車の数奇な運命。第五幕 スピードトライアル本番(後編)【TOYOTA 2000GT物語Vol.5】

スピードトライアル2日目の夜。エンジン不調という、最大のピンチがTOYOTA 2000GTトライアルカーを襲った。エンジンが止まってしまえば世界記録更新の夢はついえてしまう。トヨタとヤマハはその危機をどう乗り越えたのか? そして、大役を果たした試作1号車のその後は…。
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エンジン不調の意外な原因

試作1号車をベースとしたトライアルカーは、空気抵抗になるリトラクタブルヘッドライトは撤去され、夜間走行に備えてフォグランプの位置とグリルに4灯が設置された。

スピードトライアル2日目の1966年10月2日午後7時すぎ。このスピードトライアルで最大の危機が訪れた。それまで快調に走っていたTOYOTA 2000GTトライアルカーの3M型エンジンが、突然、せき込むようなそぶりを見せた。ステアリングを握っていた福沢幸雄は、冷静にマシンをピットに戻すことを決断し、テント式の仮設ピットに滑り込んだ。

エンジンを担当したヤマハ発動機の自動車部開発課長の田中俊二は、その時の様子をインタビューに答えていた。「スタートして初めて、開発責任者の河野二郎さんが宿舎に寝に行くというので一緒に行きました。トロトロと寝ていたら、パチっと目が覚めた。

『エンジンの音がおかしい。“ボロボロ”いっている』というので、河野さんと2人で引き返したら、ちょうどマシンがピットへ入ってメカニックの皆さんが修復作業をやっているところでした」。ピットで作業するメカニックは5、6人のチームでシフトを組んでいた。そこにはヤマハのメカニックも参加していた。

「不規則にミスファイアしているようです」と、ドライバーズシートの福沢が河野チーフエンジニアに状況を説明した。しかし、確たる原因が思いつかない。電気系が疑われ、点火コイルなど各所の接触不良を順番に確認するが問題はなかった。そうこうするうちにバラついていたエンジン音がなぜか復調した。

「よし、とにかく出そう」という掛け声ととともに、トライアルカーは5分47秒のロスタイムでピットアウト。暗闇のコースに戻っていく2つのテールランプを見ながら、メカニックたちは祈るようにエンジン音に聞き耳を立てた。しかし、その願いもむなしくエンジンが再び苦しそうにせき込むのが聞こえてきた。

「エンストしそうです、エンストしそうです」と福沢が無線で訴えた。「できるだけ転がしてピットインしてください」という本部の指示に、福沢は持てる技量を総動員し、息絶えそうなエンジンをなだめすかしながらピットへ戻ってきた。

2回目のピットインでもすぐに原因は特定できなかった。その時、メカニックの高橋敏之がディストリビューターのポイントに、黒い何かが付着しているのを見つけた。当時はカムでポイントを開閉していたので、カムの摩擦面には薄くグリスが塗ってあり、それがポイントに付着し失火していたのだ。そこで誰かの名刺を差し込んで黒い汚れを拭き取り、エンジンを再始動すると聞きなれた端正なエンジン音が蘇った。すぐさまボンネットが閉められ、コースに復帰していった。ロスタイムはおよそ10分だった。

それまでの普通のポイントは、火花が強く掃除してくれるため多少の油が付着しても平気だった。トライアルカーの点火装置は、新しいコンデンサーディスチャージというタイプのセミトランジスター方式だったため、ポイントに流れる一次電流が弱く、汚れが付着すると失火しやすい特性だったのだ。何もかもが初めての経験だったTOYOTA 2000GTの開発。次々と起きるトラブルを克服できたのは、開発チームの現場対応力の高さに他ならない。

河野チーフエンジニアは、後にこう語っていた。「クルマ全体とする、5000点とか6000点の部品がくっついているんです。そのビス1本に至るまで完全であることが必要。トライアルがうまくいくかどうかってのは、すべて信頼性との戦争のようなものなんですね。しかし、ミステイクがないなんてことは、この世の中にないんです。そのミステイクをどう処理していくか? それが我々の腕だと思うんです」

行方不明になってしまったトライアルカー

10月4日午後4時3分。78時間3分2秒78で10000マイルを走り切り、平均速度206.18km/hの3つ目の世界記録を更新し、FIA・Eクラスの13の国際新記録を樹立したトライアルカーが、鮒子田寛のドライブでゴールを駆け抜けた。

TOYOTA 2000GTの世界新記録達成を伝える新聞広告と業界新聞。

10月末の第13回東京モーターショーにトライアルカーが展示され、キャプテン細谷四方洋は皇太子殿下(現在の上皇陛下)に挑戦の過程をご説明するという栄誉に浴した。5ヵ月前には赤サビだらけのスクラップ同然だった試作1号車が、ショーの中心で華々しくスポットライトを浴びることなど、誰が予想できただろう。

しかし、数奇な運命をたどった試作1号車には意外な結末が待っていた。モーターショーの後、トライアルカーが数年間保存されていたことは関係者の記憶にあるのだが、その後は行方不明になってしまったのだ。廃棄もしくはプライベートチームに放出された可能性が高いという。

だが、トライアルカーの雄姿は、日本産業映画大賞を受賞した岩波映画製作の記録映画「サイエンスグラフティ 科学と映像の世界 スピードトライアル トヨタ2000GT」で今でも見ることができる。また、アメリカに渡ったシェルビーレーシングのマシンをベースに、実走可能なトライアルカーのレプリカが製作されトヨタ博物館に収蔵。試作1号車のスピリットを現代に伝えている。(続く)

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