最速へ挑み続けた怪物マシン列伝!
トップシークレット RB26スープラ

1998年10月、英国で行われたV-OPTと英『MAX POWER』誌の合同取材。その最中に起きた“事件”は、日本チューニング史において最も有名な速度違反として語り継がれている。
ロンドン郊外のA1ハイウェイを走行していたRB26DETT換装のJZA80スープラが、制限速度112km/hの区間で317km/hを記録。実に205km/hオーバーという前代未聞のスピード違反により、スモーキー永田は現行犯逮捕されてしまったのだ。

当時は「会社が潰れるかもしれない」と本気で落ち込んでいたというスモーキー永田。しかし、判決は28日間の免許停止と罰金という形で決着。その後、英国から「ナガタが欧州で伝説のヒーローになっている」と知らされることになる。
結果としてこの一件は、トップシークレット、そして“スモーキー永田”の名を世界へ知らしめる大きな転機となった。
ヴェイルサイド R1 STREET DRAG MODEL

1999年、ニュージーランドで開催された公道最高速イベント『ラリー・ニュージーランド』へ、ヴェイルサイドが投入したのは1460psを誇るフルチューンのR34 GT-Rだった。
GT3540ツインターボ仕様のRB26DETTは、ブースト圧2.8キロ時に1460ps、最大トルク118kgmという、現代基準で見ても異次元のスペックを発揮していた。

しかし、アタック当日の路面はウエットコンディション。ドライバーのDaiは「路面が平坦ではなくハンドルを取られるし、雨で全開にできない」と語りながらも、恐怖と戦いながらアクセルを踏み続けた。
そして記録したのは346.2km/h。しかもこの速度は5速のまま到達したもので、6速は未使用だった。つまり、このR34 GT-Rにはまだ大きな余力が残されていたのである。

もしドライ路面で6速全開アタックが実現していたら―。
そんな“もしも”を残したまま、ヴェイルサイドR1は最高速伝説の1ページにその名を刻んだ。
HKSレーシングパフォーマーCT230R

2006年、HKSは「国内主要サーキットにおけるチューニングカー最速」を掲げ、『レーシングパフォーマーCT230R』プロジェクトを始動した。
ベース車両はランサーエボリューションIX。GT3240タービンを組み合わせた2.3Lエンジンは560psを発揮し、車重はわずか1060kgに抑え込まれていた。
ステアリングを握ったのはNOBこと谷口信輝。まず筑波サーキットで55秒063を記録すると、その後は全国の主要サーキットを転戦しながらマシンを熟成させていく。
十勝、岡山国際、鈴鹿、富士、オートポリスなど各地でレコードタイムを更新し続け、最終的には筑波53秒589という衝撃的なタイムへ到達した。

このプロジェクトの凄さは、一発の記録で終わらなかったことにある。
CT230Rで培われた技術やノウハウ、開発パーツは、その後のタイムアタックシーン全体に大きな影響を与えた。現在も破られていない記録が数多く残されていること自体、このマシンの完成度の高さを物語っている。
フレンズ マークII

“ストリート最速セダン”という異端のテーマを掲げて製作されたのが、フレンズのJZX110マークIIだ。
一見するとシンプルなストリート仕様だが、その中身は完全に別世界。前期型2JZ-GTEを3.1L化し、TD06-25Gツインターボと2ステージNOSを組み合わせることで、1200psという常識外れのパワーを手にしていた。

目標は360km/hオーバー。5速8500rpmから6速へシフトし、9000rpmまで引っ張ることで到達可能という計算だった。
しかし、320km/hを超えたあたりから直進安定性が急激に悪化。ドライバーの“人間リミッター”が発動し、最終的には349.8km/hという記録でアタックを終えることとなった。
それでも当時のストリートカー最速記録を獲得した事実は圧倒的だった。
しかも、エンジンルームは驚くほどシンプルかつ美しいレイアウトを維持。その実態は、排気量1Lあたり約400psという狂気的なチューニングレベルを誇る怪物セダンだったのである。
Part.3へ続く