■PROFILE
生畑目伸行さん

ホンダのメカニックとして仕事をした後、1975年に独立してセーフティオート墨田をオープン。モトクロス、ミニバイクレース、ロードレースで活躍。1985年にGAWZWAYに社名変更し、関東近辺に7店舗を展開していた。現在はホンダ旧車のパーツを販売する「パーツクラブ」を運営。生畑目さんの技術を知る人達から、古いモンキーの整備やレストア依頼も絶えない。

情報がない時代の試行錯誤、それこそが速さの秘密

モンキー系エンジンには様々なチューニングパーツが市販されていて、それなりの知識のある人が説明書を読んで組み立てれば、誰でもチューニングエンジンを作ることができる。しかし、1970年代は違った。自分で考え、パーツを見つけ出して加工し、何度も壊しながらパワーを出していかなければならなかった。生畑目伸行さんはこの黎明期、自らモンキーをチューニングしてレースに参戦し、幾多の勝利を収めてきたレジェンドだ。

「75年にホンダを辞めて十坪ぐらいのお店を借り、セーフティオート墨田というバイクショップを始めました。そうしたらモンキーやダックスの修理がたくさん持ち込まれてきたんです。ちょうどモンキーでも出られるレースも始まったので、出場してみようかと考えました」

規則はタイヤ径10インチ以下、排気量90ccまでとなるクラス。まずはエンジンの排気量を拡大しなければならない。この頃、モンキーのチューニングパーツは少しずつ販売されるようになっていたが、レースに使用できるものは少なかった。

「まずは軽量化です。車体からエンジンまで軽くできそうなところはすべて削ったり穴を開けたりしました。エンジンに関してはSP武川からダックス70のエンジンを85ccにするキットが発売されていたので、そのシリンダーを使いました。ピストンはCB400Fのφ52mmを加工して使い、88ccにしました」

パワーの要であるシリンダーヘッドとカムシャフトは、何度も試行錯誤を繰り返しながら決めていった。

「ヘッドはダックス70用の純正を使いました。当時はそれしかなかったんですよ。バルブを大きくしてポート加工を行い、吸気の流れを改善しました。最も抵抗が大きくなるバルブガイド周辺は、ポート断面が三角になるように削っていくイメージです。カムはプロフィールを考えて機械加工しました」

レースを始めた当初、アフターマーケットのチューニングパーツで使ったのはシリンダーとマニホールド、キャブレターくらい。あとはすべて自分で考え加工流用した。すべては勘とテストの積み重ね。しかし、生畑目さんが有利だったのは、自らがチューナーであると同時に優れたライダーであったということ。そしてメカニックとライダー両方の優れた技術とセンスを持っていた。

「足周りもエンジンも少しずつ完成されていき、各地のレースで勝てるようになりました」

クランク折損との戦いが“昭和モンキーチューン”を進化させた

例外は筑波サーキットで開催されていた10インチクラス。2ストロークの改造モトクロッサーが大挙して参加してくるため、モンキーでは歯が立たなかったとか。それでも一度は3位表彰台を獲得している。

この頃になると国内のミニバイクチューニングとカスタム人気が急激に高くなってきた。バイク雑誌でもチューニングに関する記事が増え、JRPの武川雅之さん(SP武川創業者・武川豪さんの兄)など、モンキー用レースパーツを開発していたメーカーとも連絡を取り合いながら、セーフティオート墨田のモンキーも進化していく。

クロスミッションや乾式クラッチ、インナーローターなどが採用され、戦闘力はさらに向上。しかしハイチューンエンジンを完調に保つには、1レースごとに分解してピストン交換、クランク芯出しが必要だったという。

「パワーが出てくると色々と壊れました。酷かったのはクランクです。両サイドのベアリング部分から折れてしまうんです。左右両方ともトラブルが出ました」

当初エンジンベースはダックス70。ご存知のようにダックスのクラッチは1次側についているため、パワーが出るとクランクがねじ切れてしまう。さらに左側はフライホイールの重量にも耐えられなかった。

「ダイシンの乾式クラッチは二次側にクラッチが付くのでトラブルが激減しました。油温上昇に関しても効果が大きかったんですよ。フライホイール側はレーシングカート用インナーローターを加工装着して対策しました」

こうして生畑目さんはモンキーで10年以上レース活動を続け、数々の結果を残した。そして現在も、当時のレーサーは大切に保管されている。改めて見ると、そこには創意工夫の痕跡が無数に残されており、“メチャクチャに楽しみながら速さを追っていた時代”の熱量が詰まっていた。

セーフティオート墨田 MONKEY RACER 01

8インチながらも最高速は約120km/h!

生畑目さんが10年間進化させ続けたモンキー。当時、10インチクラスではグリップ力が比較的高いメッツラー・ミニを使う人が多かったが、カートコースをメインに戦っていた生畑目さんは、あえて8インチを選択。感覚を最大限に研ぎ澄ましてエンジンと対話するため、タコメーターは装着していない。

最高速狙いの仕様ではないものの、この状態で120〜130km/hほど出ていたという。シートはTL50ベースを張り替えたもの。スイングアームはXE50用加工品、リヤショックはカヤバ製YZ80用を組み合わせる。

エンジンはダックス70を中心に様々なパーツを組み合わせ。クランクは純正ウェブを“オニギリ形状”に加工していた。SP武川製クランク発売後はそちらも使用。
冷却用エアスクープ付きブレーキパネルはJRP製。異物侵入防止用ネットも追加されている。フロントフォークはノーティーダックス用加工品。
シート下から伸びるレース用マフラーはSP武川製作。市販化はされなかったが、この後似たレイアウトのレーシングマフラーがSP武川から登場した。
オイルクーラーはホンダ4輪用からサイズを選定。当時のレーサーでは定番だった流用チューンだ。
クランク折損対策として導入したインナーローターはレーシングカート用。ベースプレートはアルミ削り出しで製作している。

セーフティオート墨田 MONKEY RACER 02

懐かしパーツが満載の10インチ仕様

二輪雑誌編集者として活躍し、その後セーフティオート墨田に入社した渡辺純一さんのモンキーレーサー。生畑目さんと2台体制でテストを繰り返していたため、エンジン仕様はほぼ共通。しかし細部は異なっている。

マフラーは野球バットを治具にして製作したオリジナル。テーパー角が少なく、扱いやすい出力特性を狙った仕様だったという。FRP製タンク一体型シートはのりもの館製で、アッパーカウルも同ブランド製ではないかとのこと。

フロントフォークはMT125加工品で10インチ化。タイヤはメッツラー・ミニを装着する。

スイングアームはXE50用。リヤショックはカヤバYZ80用で、生畑目さんのマシンと共通仕様。
低くセットされたハンドルはのりもの館製。タンクシートとセット販売されていた。
キャブレターはケイヒンPE22。カートコースではφ18程度を使うこともあった。
モンキーのロゴが刻まれたステップものりもの館製。アルミダイキャスト製だ。
リヤブレーキ周辺にもドリリング加工。ストリートカスタムにも取り入れたくなるアイデアだ。

実際のパーツを見せてもらいました! 昭和モンキーチューニング大解剖

ここでは生畑目さんが当時行っていたという、モンキーチューニングの細部を見せてもらった。カムシャフトを自分で削ったり……と、昭和のレジェンドならではの話が盛りだくさんだ。

カムシャフト

カムはレースで必要なパワーと特性を追求して様々なプロフィールを製作。所沢サーキットなどカートコースでは低中速トルク、筑波や鈴鹿では高回転の伸びを重視したカムを使い分けていた。最高回転数は14500rpm。カムによってサージング発生回転数は2000rpmほど変化したという。

クラッチ

モンキーレーサー達の活動を知ったダイシンが乾式クラッチを開発。初期モデルはクラッチバスケットのリベット破損トラブルもあったが、簡単に補修可能だった。

シリンダー

SP武川製85ccボアアップシリンダーとCB400F用ピストンの組み合わせ。高回転を多用するレースでは、放熱性に優れるアルミシリンダーが必須だった。

ピストン

CB400F用ピストンは軽量化のためスカート部を大胆にカット。ヘッド形状も変更され、圧縮比も何度も変更しながらベストを探っていった。ピストンとリングは1レースごとに交換していたという。

トランスミッション

初期はSS50用を使用。その後はSP武川製5速クロスミッションとSS50用を組み合わせ、独自のレース用レシオを製作していた。

吸排気バルブ

当初はST70用を加工。SP武川からビッグバルブが発売されてからは、トルク重視コースではSP武川、高回転重視の鈴鹿ではST70用と使い分けていた。

軽量化

ロッカーアームやリテーナー、ブレーキ調整ナットに至るまでドリリング加工を実施。プラスチックパーツが少なかった70年代では、こうした軽量化が確かな効果を持っていた。当時のチューナー達にとって、“魂を削る作業”だったのかもしれない。


こちらの記事はモトチャンプ2023年12月号に掲載されたものを加筆修正しています。