コレクションホールでのACCORD50周年記念展示は6/30まで

1976年に誕生したホンダ・アコードが、2026年に50周年を迎えた。

先日、栃木県のモビリティリゾートもてぎにあるホンダコレクションホールを訪れた際、アコード50周年の特別展示を見る機会があった。また、その少し前には北京モーターショーのホンダブースでも同様の記念展示が行なわれており、こちらも取材している。

北京モーターショー2026のホンダ・ブースの展示。アコードは中国でも人気モデルだったから、これまでに中国で360万台、グローバルで2500万台が販売されたとボディサイドに書いてある。

ホンダ自身はアコードについて、「人と時代に調和するクルマ」を目指して開発したと説明している。環境性能、安全性、使いやすさ、そして走る楽しさ。そうした要素を高い次元でバランスさせることが、初代アコードから受け継がれてきた思想だという。

50年にわたるアコードの歴史を振り返ると、それは単なる一車種の歩みではなく、その時代ごとのホンダの技術進化の歴史そのものだったように思う。

子ども心に刻まれた「CVCC」のバッジ

初代アコード Saloon EX-L(1977年)
リヤに輝く「CVCC」

個人的にもっとも印象に残っているアコードは、やはり初代モデルである。
1976年に登場した初代アコードは、シビックの上級モデルとして誕生した。当時はまだ子どもだったが、リヤに貼られた「CVCC」のエンブレムが強く印象に残っている。

CVCCは排出ガス規制をクリアするためにホンダが開発した革新的な燃焼技術だ。当時の私はその仕組みなど理解していなかったが、「CVCC」という文字だけで何か特別なエンジンを積んだ先進的なクルマだと感じていた。

いま振り返れば、それはまさにホンダというメーカーのイメージそのものだったのかもしれない。

モーターファン1977年3月号 モーターファン誌主催のカー・オブ・ザ・イヤーをアコードが受賞した。
1976年にモーターファン主催のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞(初代)
2代目は1983年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞
1985-86 日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞(3代目)
89年、アメリカ乗用車の車名別販売台数で1位(1991年まで)
93-94の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞(5代目)
2002-03 日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞(7代目)
小型車部門賞もアコードが受賞している。

初代アコードは発売直後から高い評価を受けた。1976年にはモーターファン誌主催のカー・オブ・ザ・イヤー小型車部門賞を受賞している。

選考委員からは、
「魅力的なスタイルと細やかな配慮が行き届いた内装デザイン、静粛性やすぐれた乗り心地、小型車の分野にパワーステアリングを標準装備するなど、ユーザーの身になった設計。世界に通用する新しい日本車の創造だ」
という評価が寄せられた。

50年後の現在から読むと、この「世界に通用する新しい日本車」という言葉は実に示唆的だ。

その後アコードは世界160以上の国と地域で販売され、累計販売台数2500万台を超えるグローバルモデルへと成長していくのである。

リトラクタブルヘッドライトに憧れた3代目

1985年の3代目アコード。これがエアロデッキだ。

次に強く印象に残っているのが1985年に登場した3代目アコードだ。低く構えたスタイリングにリトラクタブルヘッドライト。全高はわずか1335mmしかなく、当時としては驚くほど低かった。

さらにワゴンモデルも設定された。いまではステーションワゴンは珍しくないが、当時の日本市場においてアコードエアロデッキの存在感は際立っていた。流麗なルーフラインと大きなガラスハッチは、それまで見たことのない未来的なスタイルだった。

1985-1986日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのも、この3代目アコードである。

クーペ、ワゴン、そしてJTCC

アコードクーペ。プレリュードやセリカ、シルビアとは違った大人っぽさが魅力だった。

1989年に登場した4代目では、アコードワゴンに加えてアコードクーペもラインアップされた。

アメリカ生産車を日本へ逆輸入するという手法も当時は新鮮だった。大きなボディを持つ上級2ドアクーペは、多くのクルマ好きにとって憧れの存在だった。

1993年のアコード2.2VTL

続く5代目アコードは、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)で大活躍する。当時のJTCCは国内最高峰の人気カテゴリーであり、アコードの活躍はそのスポーティなイメージを強く印象付けた。

1993-1994日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのも、この世代である。

アコード・ユーロR(2002年)7代目アコードに設定されたスポーツモデル

世界戦略車へ成長したアコード

1998年の6代目アコード(北米モデル)
2003年の7代目アコード(北米仕様)
2008年の8代目アコード(北米仕様)
2014年の9代目アコード(北米仕様)
2018年の10代目アコード(北米仕様)

アコードは日本メーカーとして初めてアメリカで生産された乗用車でもある。

1982年にはオハイオ州メアリーズビル工場で現地生産を開始。日本車が本格的にグローバル化していく象徴的な出来事だった。

1989年にはアメリカ市場で乗用車の車名別販売台数1位を獲得。しかもその地位を1991年まで維持している。日本車がアメリカ市場の主役になった時代、その中心にいたのがアコードだった。

振り返れば、アコード50年の歴史とは、ホンダが世界メーカーへ成長していく歴史でもあったのである。

近年のアコードで印象深いのは2013年に登場した9代目だ。ホンダ独自のハイブリッドシステム「i-MMD」を搭載したこのモデルは、大柄なセダンとは思えない燃費性能と力強い走りを両立していた。

現在の北米でのアコード生産の様子

そして現行11代目アコード。e:HEVの完成度も見事だが、何より驚かされるのはHonda SENSING 360+である。

高速道路や自動車専用道路で一定条件下においてハンズオフ運転支援を実現するこのシステムは、現在のホンダが持つ先進運転支援技術の集大成ともいえる存在だ。

子どもの頃に見たCVCCのバッジから半世紀。環境技術の象徴だったアコードは、いまや電動化技術と先進運転支援技術の象徴へと進化した。

50年の技術進化を知るなら

現行11代目アコード

1976年の初代アコードEX-Lは126万円だった。当時の大卒初任給は約10万1000円であり、およそ12.5カ月分に相当する。

一方、現行11代目アコードの価格は544万9400円。2024年の大卒初任給約25万1300円で換算すると約21.7カ月分となる。

ボディサイズも価格も大きく変化した。しかし、常に時代の先端技術を取り込みながら「少し先の未来」をユーザーへ提示するという役割は、50年前から変わっていないように思える。

なお、CVCCからVTEC、そしてe:HEV、Honda SENSING 360+まで、歴代アコードに搭載された技術や開発者たちの思いについては、Honda テクノロジーサイトの「アコード50周年」特設コンテンツに詳しくまとめられている。

アコードという一台を通してホンダの技術進化の歴史を振り返ることができるので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。