連載

GENROQ ランボルギーニヒストリー

Lamborghini LM 002

ランボルギーニがオファーを受けた2つのプロジェクト

BMWからのオファーによってランボルギーニが設計を担当したM1。エクステリアデザインはジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザイン。

1970年代も半ばを迎え、12気筒のカウンタックや8気筒のシルエットといったミッドシップモデルが市場に投じられるようになると、ランボルギーニは世界から注目される存在となる。ニューモデルの開発や生産の提携について、さまざまなオファーが舞い込むようになるのもこの頃で、当時ランボルギーニを率いていたジョルジュ・アンリ・ロセッティにとっては、それはまさに願ってもない話だった。この時、ランボルギーニがオファーを受けたプロジェクトこそが「BMW M1(E26)」、そしてアメリカの軍用車メーカーであるMTI(モビリティ・テクノロジー・インターナショナル)が製造したオフロード走行車を再設計し、ランボルギーニのブランドで再生産する、いわゆるミリタリープロジェクトのふたつだった。

チーフエンジニアのバルディーニ、そして一度はランボルギーニを去ったものの、ロセッティの願いで再びコンサルタントとして開発チームに戻っていたダラーラを中心に、このふたつのプロジェクトは進行していった。BMW M1は、ダラーラが最も得意とする分野のモデルであり、軽量な角断面鋼管によるスペースフレームや不等長ダブルウイッシュボーンサスペンションなどの基本設計を決定し、ボディデザインはジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザインに委ねられ、あとは生産体制を整えるのみだった。だが、ここでランボルギーニは深刻な資金不足に陥り、最終的にBMWから提案された買収策も拒否。M1プロジェクトはランボルギーニになんの利益も残さない結果になってしまった。

軍用車として生み出された「チータ」は後のヒントに

リヤにクライスラー製5.9リッターV型8気筒エンジンを搭載したプロトタイプ「チータ」。軍用車として開発されたものの、オーダーを受けることなく終わってしまう。

さらにもうひとつのMTIとのプロジェクトは、クライスラー製の5.9リッターV型8気筒エンジンをリヤに搭載し、それに3速ATを組み合わせて4輪を駆動、チューブラーフレームに4輪独立のサスペンションを採用するという、いかにもランボルギーニらしい構成のプロトタイプを設計した。

別会社によって製作されたそれは「チータ(Cheetah)」とネーミングされ、1977年のジュネーブ・ショーでワールドプレミアされる。だが、このミリタリービークルは、軍に採用されて初めてビジネスとして成立するものであり、結局軍用車としてオーダーを受けることはなかったため、このチータもまた利益を生み出すことはないままに終わってしまう。

カウンタック譲りのV12を積む「LM 002」

プロトタイプのチータがリヤエンジンだったのに対して、LM 002はフロントに搭載。しかもカウンタック譲りのV12が積まれた。

だがチータの存在は、ランボルギーニにひとつのニューモデル開発のヒントを与えてくれた。現代ならばSUVと呼ばれるであろう、オンロードやオフロードなど走りのステージを選ばず機動力に富み、しかもランボルギーニらしい高性能でダイナミックなデザインを持つモデルを、新たなプロダクトとして市場へと投じてみたいという意欲がランボルギーニに生まれたのである。

プロトタイプのチータから始まり、ランボルギーニはLM 001、LMA、LM 002、LM 002 ラリーカー、LM  003、そしてLM 004といったモデルを企画し製作している。この中で唯一、1986年からセールスされたのはLM 002で、これはチータのようにリヤではなく、フロントにカウンタック LP 5000 QV用の5.2リッターV型12気筒エンジンを搭載したモデルである。

時代を先取りしたLM 002のDNAはウルスに宿る

現在ラインナップされるスーパーSUVウルスの原型とも言えるLM 002。その存在価値は今になってこそ大きく映る。

フロントのボンネット中央が大きく盛り上がっているのは、ダウンドラフト型のキャブレターを使用しているためだ。チータでエンジンが搭載されていた部分は4人分の簡易座席を備えるラゲッジスペースへと変化している。4WDシステムはハイとローの副変速機を持つパートタイム式で、センター、フロント、リヤの各デフにはすべてリミテッド・スリップ・デフが備わっている。最高速度は210km/h。それはオフロードの王者と誰もが認める数字だった。

ランボルギーニ ウルスをオヤジふたりで徹底解説!【ウナ丼×GENROQコラボ:Vol.10】

最高速度300km/h以上のスーパーSUV「ウルス」登場! 史上最も売れている実用ランボルギーニの実力とは?【動画】

スーパーカー&ハイエンドカーの専門誌『GENROQ』と、大人気クルマ系YouTubeチャンネル『ウナ丼_STRUT_エンスーCARガイド』のコラボ第10弾! ランボルギーニ ウルスを徹底解剖。SUVと言いながらも並みのスーパーカーを凌ぐ圧倒的なビジュアルとパフォーマンスが何より魅力。自ら「スーパーSUV」と名乗るウルスに乗った感想は?

LM002のDNAは今、ランボルギーニがSSUV(スーパースポーツ・ユーティリティ・ビークル)と称するウルスへと継承され、世界中のカスタマーから高く支持されている。それは、1998年に新たにランボルギーニの親会社となったアウディがあるからこそ経営が安定し、幅広いモデルラインナップを生み出す直接の理由となっていることは言うまでもない。

SPECIFICATIONS

ランボルギーニ チータ

発表:1977年
エンジン:V型8気筒OHC
総排気量:5898cc
最高出力:134kW(183PS)/4000rpm
トランスミッション:3速AT
駆動方式:4WD
車両重量:2042kg
最高速度:167km/h

ランボルギーニ LM 002

発表:1986年
エンジン:60度V型12気筒DOHC
総排気量:5167cc
最高出力:331kW(450PS)/6800rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:4WD
車両重量:2700kg
最高速度:210km/h

解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)

【ランボルギーニ ヒストリー】フェルッチオ退任後のファーストモデル

ウラッコを進化させたスモールランボとして登場した「シルエット」(1976)【ランボルギーニ ヒストリー】

北米マーケット進出とポルシェ 911のカテゴリーをターゲットに開発されたウラッコだったが、ランボルギーニの期待に沿う成功は残せなかった。また、創業者のフェルッチオ・ランボルギーニの退任もあって新たな体制でスタートしたランボルギーニは、後継モデルとして2シーターの「シルエット」をリリースした。

連載 GENROQ ランボルギーニヒストリー

あたかも彫刻のように、ひとつの塊からシャープなラインを削り出していったかのような印象の「SC20」。
名鑑 2024.04.28

往年のイタリアン・バルケッタの姿を彷彿させるスパルタンな趣の「SC20」【ランボルギーニ ヒストリー】

「カウンタック LPI800-4」は残念ながらシリーズモデルではなく112台限定車だ。台数は初代カウンタックの開発コードがL112に由来する。
名鑑 2024.03.31

30年以上の時を経て現代に甦った「ランボルギーニ カウンタック LPI800-4」【ランボルギーニ ヒストリー】

デビュー直前、フォルクスワーゲングループのフェルディナンド・カール・ピエヒ会長が亡くなったことを受け、氏のイニシャルであるFKPと、出生年である1937年を意味する37の数字からなる「FKP37」がシアンの車名に加えられた。
名鑑 2024.03.24

ランボルギーニ初の公道走行可能なハイブリッドスーパースポーツ「シアンFKP 37」【ランボルギーニ ヒストリー】

屈強な闘牛の名にその由来を持つ「レヴエルト」。スペイン語では「かき回す」といった意味も持つという。
名鑑 2023.10.29

V12エンジンにモーターを組み合わせた新時代フラッグシップ「レヴエルト」【ランボルギーニ ヒストリー】

ランボルギーニのDNAを感じるディテールを効果的に採り入れた「ウルス」。あらゆるSUVと比較して最も低く、刺激的なスタイリングが魅力だ。
名鑑 2023.10.01

ランボルギーニ初のスーパーSUV「ウルス」の刺激的な性能(2017)【ランボルギーニ ヒストリー】

エアロダイナミクスを向上させたエクスエリアデザインが特徴の「ウラカン EVO」。スーパースポーツらしい戦闘的な雰囲気を強めた。
名鑑 2023.09.24

大ヒットモデル「ウラカン EVO」の進化と派生モデルが見せた多様性(2019)【ランボルギーニ ヒストリー】