かつて行われたポルシェの冬季テストにおける貴重な写真を公開

知られざるポルシェの1960年代ウィンターテストの様子が明らかに「オーストリア・トゥルラッハー峠における貴重な写真も」

かつて、オーストリアのトゥルラッハー・ヘーエで行われていたウィンターテスト。写真は1980のダウンヒルテストで、スノーバンクにスタックした911。
かつて、オーストリアのトゥルラッハー・ヘーエで行われていたウィンターテスト。写真は1980のダウンヒルテストで、スノーバンクにスタックした911。
自動車メーカーにおいて開発テストは通常、極秘に行われる。しかし、かつてポルシェはカメラマンを同行させ、冬用タイヤのテストを実施していた。今回、かつてオーストリアのトゥルラッハー・ヘーエ(Turracher Höhe)で行われていたテストを撮影した、貴重な写真が公開された。

Porsche 911

発見された膨大な写真の数々

ポルシェのアーカイブスにおいて、オーストリアンアルプスのトゥルラッハー・ヘーエで行われていた冬季テストの様子を撮影した写真が発見された。
ポルシェのアーカイブスにおいて、オーストリアンアルプスのトゥルラッハー・ヘーエで行われていた冬季テストの様子を撮影した写真が発見された。

ポルシェの元テストドライバーでエンジニアのディーター・ロシェイゼン(Dieter Roscheisen)は、1961年から2001年にかけてオーストリアンアルプスのトゥルラッハー・ヘーエで行われていた冬季テストの写真資料を発見し、178ページにおよぶ資料として編纂した。

これらの写真の多くを撮影したのは、ポルシェのオフィシャルカメラマンとして活躍したヴォルフガング・シュミーラー(Wolfgang Schmierer)。この写真には、先日逝去したヘルベルト・リンゲやヘルムート・ボット、ハンス・クラウゼッカーら、かつてポルシェで活躍した多くの技術者やテストドライバーの若き日の姿が残されている。

冬季テスト用拠点を探していたポルシェ

黎明期のポルシェは有名なスキーリゾートのグロスグロックナー山でウィンターテストを行っていたが、より静かで人の少ないトゥルラッハー・ヘーエにテスト拠点を変更することになった。写真は1961年のテスで356にチェーンを装着するマーティン・コップ。
黎明期のポルシェは有名なスキーリゾートのグロスグロックナー山でウィンターテストを行っていたが、より静かで人の少ないトゥルラッハー・ヘーエにテスト拠点を変更することになった。写真は1961年のテスで356にチェーンを装着するマーティン・コップ。

1950年代、2000メートル級の山々が連なっているにもかかわらず、トゥルラッハー・ヘーエではウィンタースポーツはまだ定着していなかった。雪に覆われた峠道はそのカーブと傾斜から、地元ではドライバーの腕試しとして評判の場所だった。

ポルシェの従業員だったクラウス=ペーター・ケフラーは、近隣のシュピターで生まれ育ったこともあり、この地域を知り尽くしていた。ケフラーは、フェリー・ポルシェにこの厳しい峠道を冬季テスト用ロケーションとして提案する。当時、フェリー・ポルシェは、356用のウィンタータイヤとスノーチェーンをテストするために、スキーリゾートとして既に賑わっていたグロスグロックナー山よりも静かな場所を探していたのだ。

この地域の土地を所有していたシュヴァルツェンベルク公は、友人のフェリー・ポルシェに、一般車両が通行できない私有林道をテスト用に貸し出すことを申し出た。「これは私からの交通安全に向けた、一種の貢献になるでしょう」と、シュヴァルツェンベルク公は語ったという。

ビートル用エンジンを搭載したブロワー

拠点となるホテル・ツィルベンホフのオーナーは、30PSを発揮するビートル用エンジンを搭載したブロワーを所有しており、これを使って氷上にハンドリングコースが作られた。
拠点となるホテル・ツィルベンホフのオーナーは、30PSを発揮するビートル用エンジンを搭載したブロワーを所有しており、これを使って氷上にハンドリングコースが作られた。

リンゲやボットを含むエンジニア&テストチームは、テスト用のウィンタータイヤを手配し、オペルのレース用トランスポーターに356を搭載。1961年1月、クルーは拠点となるホテル・ツィルベンホフに到着する。ホテルのオーナーはフォルクスワーゲンビートルのエンジンを搭載したスノーブロワーを所有しており、これを使って凍結したトゥルラッハー湖にテスト用のハンドリングコースを作っている。

このテストには、スノーチェーンを製造するRUD社もテスト用のチェーンセットを提供。これ以降、ポルシェは毎年1月第1週に、トラックいっぱいに最新ウィンタータイヤを積んでトゥルラッハー・ヘーエへと向かう。テストされた冬用タイヤは、コンチネンタル、ミシュラン、ブリヂストン/ファイアストン、ダンロップ、ピレリ、そして後にはヨコハマも加わっている。

こうしてトゥルラッハー・ヘーエはポルシェの発展に欠かせない場所となった。エンジニア同士が同じホテルに宿泊し、テストを終えた夜には、仕事のこと、自身のことについて語り合い、親睦を深めている。

テスト規模の拡大や温暖化による雪不足

テスト規模の拡大や雪不足を受けて、ポルシェは冬季テストを北極圏に近いスウェーデンやフィンランドで実施。写真はシュロスホテル・ゼヴィルトで、2003年に撮影されたテストチームの面々。
テスト規模の拡大や雪不足を受けて、ポルシェは冬季テストを北極圏に近いスウェーデンやフィンランドで実施。写真はシュロスホテル・ゼヴィルトで、2003年に撮影されたテストチームの面々。

その後、テスト拠点はホテル・ツィルベンホフから、シュロスホテル・ゼヴィルトに変更。ポルシェの発展に伴い、テストチームが大きくなり、ツィルベンホフではベッド数が足りなくなったのだ。

さらに峠を通る道路はアスファルトで舗装され、より安全になった。トゥルラッハー湖周辺にはリゾートホテルが立ち並び、交通量も増加。多くの観光客が訪れるようになった結果、夜間に行われていたハンドリングテストの実施が困難になってしまう。1972年、ポルシェはより人里離れたファルカート湖(Lake Falkert)に活動の場を移すことを決定する。

その後もテストされるモデルは増えていった。初期の356や911に続き、914や928、さらに、959もオーストリアんアルプスでテストされている。モンテカルロ・ラリー用のタイヤテストも実施され、この時は名手バルター・ロールも参加した。

2000年代に入ると、冬用にも関わらず240km/hの速度に対応するタイヤが登場するようになる。1961年には数セットしか持ち込まれていなかったタイヤは、40セットにまで増加。さらにオーストリアでの降雪量が減り、予定通りのテストがこなせなくなってしまう。

重い腰を上げたポルシェは慣れ親しんだオーストリアを離れ、はるか北のスウェーデンとフィンランドへと遠征することを決定。トゥルラッハー・ヘーエにおける最後の冬季テストは、2006年に行われたという。

「F.A.T アイスレース」が行われたオーストリアのツェル・アム・ゼーにおいて、バルター・ロールが初めてポルシェ パナメーラ改良新型をテストドライブした。

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