「ポルシェとターボ」にまつわる9つのストーリー

伝説のポルシェドライバーと名物エンジニアたち9名が語る「ターボモデル」との忘れられない思い出

切っても切り離せない、ポルシェとターボの関係。今回、ポルシェと縁の深いドライバーとエンジニアが、自身とターボに関する思い出を語った。
切っても切り離せない、ポルシェとターボの関係。今回、ポルシェと縁の深いドライバーとエンジニアが、自身とターボに関する思い出を語った。
忘れられない勝利、記録的なラップタイム、暴力的なパワー──。ポルシェのターボテクノロジーを体験した人は、それぞれが個人的なストーリーを秘めている。ポルシェと深い関係を持つ9名のレーシングドライバーとエンジニアが、彼らにとっての忘れられない「ターボ」を語った。

バルター・ロール

開発ドライバー、ブランドアンバサダーとしても活躍するバルター・ロールは、市販モデル、レーシングカー、ラリーカーと多くのターボ・モデルのステアリングを握ってきた。
開発ドライバー、ブランドアンバサダーとしても活躍するバルター・ロールは、市販モデル、レーシングカー、ラリーカーと多くのポルシェ製ターボのステアリングを握ってきた。

2度のWRCチャンピオン経験を持つバルター・ロールは、開発ドライバーとしてだけでなく、ポルシェのブランドアンバサダーとしても活躍している。

「私が初めて911 ターボ 3.0をドライブしたのは1978年のこと。ハンドリングには課題がありましたが、そのパワーには感銘を受けました。そして1979年には911 ターボ 3.3を購入しました。私はモータースポーツにおけるポルシェのターボ・テクノロジーをパワー、成功、そして素晴らしい友情と結びつけて考えています」

「1981年は激動のシーズンでした。ウエットコンディションのシルバーストーンで、後輪駆動の935で抑えきれないほどのパワーを駆使してドライブした時は、まさにバランス感覚が問われた瞬間でしたね。ル・マン24時間レースでは、944プロトタイプで完走しました。それに、ポルシェの友人たちは、私のためにドイツ・ラリー選手権用として924 カレラ GTSも製作してくれました。このクルマでは4回も勝利しています」

「992世代の911 ターボは、私にとって世界最高の1台です。驚くほどパワフルなのに、長距離走行でも静粛性が素晴らしい。100kmあたり9Lという素晴らしい燃費で走ることもできます。高性能と驚くほどの快適性、オリジナルのターボが持つコンセプトは今も健在です。それはかつてないほどのレベルにあります」

ピーター・フォーク

テストエンジニア、レーシングディレクターとして活躍したピーター・フォーク(左から二人目)は、エルンスト・フールマンとの酒席で、911 ターボにレーシングカー由来のブレーキシステムを導入を承諾させたエピソードを話してくれた。
テストエンジニア、レーシングディレクターとして活躍したピーター・フォーク(左から2人目)は、エルンスト・フールマンとの酒席で、911 ターボにレーシングカー由来のブレーキシステムを導入を承諾させたエピソードを明かしてくれた。

ピーター・フォークは、初代911 ターボ時代にはテスト部門の責任者、その後はモータースポーツ部門の責任者として、グループCの「956/962C」、F1用のポルシェ製TAGターボ、「959」プロジェクトの成功を支えた人物だ。

「911 ターボは、本来であれば初代911の終焉を告げるべき時代に開発されたモデルでした。当時、最高経営責任者に就任予定だったエルンスト・フールマンが、アメリカでターボチャージャーを搭載したレーシングカー、917 スパイダーの成功を目撃していたことが幸いしたのです」

「熟練したドライバーが日常的にドライブできる911 ターボの開発は、私たちにとって楽しい挑戦になりました。当初は、車体のパワーと重量にシャシーがやや負けていたため、私たちにとって危機的な瞬間が何度かありましたが……(笑)。当時、911 ターボのテストカーは、ほぼ300km/hを出すことができましたからね」

「当時、現在では考えられないような意思決定プロセスがありました。例えば、1977年春、私はフールマンを説得して、917由来のブレーキシステムを、公道仕様の911 ターボ 3.3に採用しました。当初、フールマンはこのアイデアに懐疑的で『なぜレーシングカーのブレーキが必要なんだ?』と言っていました。ウイスキーを3杯飲んだ後、ようやく彼から承認を得ることができました。私たちの会話は、南フランスのバーで928の発表会が行われた際に交わされたことを覚えています」

バレンティン・シェーファー

バレンティン・シェーファー(右)は、グループCを制圧したポルシェ 956/962のエンジン開発。1981年でのル・マン勝利は、彼が開発した2.65リッター水平対抗6気筒ツインターボエンジンによって実現した。
バレンティン・シェーファー(右)は、グループCを制圧したポルシェ 956/962Cのエンジン開発。1981年でのル・マン勝利は、彼が開発した2.65リッター水平対向6気筒ツインターボエンジンによって実現した。

1964年から1991年までレーシングエンジンの開発責任者を務めたバレンティン・シェーファーは、モータースポーツにおけるターボエンジンの開発に尽力した。シェーファーは、グループC時代の956/962Cのエンジンについて振り返った。

「1981年のル・マン24時間レース参戦は、かなり遅いタイミングで決定されました。そのため、勝てるだけのスピードと信頼性を持ったエンジンが必要だったのです。開発担当の役員ヘルムート・ボットに、2.65リッター水平対向6気筒エンジンを提案しました」

「このエンジンは中止になった米国でのレース参戦プロジェクト用に私が開発をしたものです。ル・マン用にシングルターボからツインターボに変更し、メタノール燃料からガソリン燃料に変更する必要がありました。ただ、ボットはそのプランに『間に合うのか?』と懐疑的でした。私はすぐに、『間に合わせなければなりません』と答えました。そして、私たちはル・マンで優勝したのです」

「1982年から導入された新規定では、燃料消費量が大幅に削減されました。私たちはブースト圧を1.2バールから1.0バールに下げながら、約580PSの最高出力を確保しました。このパワーでも、トップ3を独占することができましたね。1983年には、燃料消費量をさらに削減するために、機械式インジェクションをボッシュの『モトロニック1.2』に変更。ドライバビリティを向上しながら、最高出力を640PSにまで引き上げることができました」

「1985年のル・マン24時間レースでは、水冷3.0リッター水平対向6気筒ツインターボエンジンを搭載した962Cを投入しました。ル・マン24時間レースでは、1986年と1987年に連覇を達成しています。このエンジンがル・マンで最後に勝った1994年、私はすでに引退していましたが(笑)」

ティモ・ベルンハルト

ポルシェ 919 ハイブリッドを駆り、ポルシェに2度のWECタイトルをもたらしたティモ・ベルンハルト。WEC撤退後、ニュルブルクリンクを舞台に919 ハイブリッド Evoでタイムアタックを行った。
ポルシェ 919 ハイブリッドを駆り、ポルシェに2度のWECタイトルをもたらしたティモ・ベルンハルト。WEC撤退後、ニュルブルクリンクを舞台に919 ハイブリッド Evoでタイムアタックを行った。

ティモ・ベルンハルトは、2002年から2019年までポルシェのワークスドライバーとして活躍。様々なレーシングカーで世界中のレースに参戦し、世界耐久選手権においては2度の王座獲得を持っている。

「私は2002年にワークスドライバーとしてキャリアをスタートさせ、2003年に初めてポルシェのターボ・モデルをドライブしました。マンタイ・レーシングが走らせた996世代の『911 ターボ』で、ニュルブルクリンク24時間レースに出場したんです。最高出力は600PSを優に超えるワイルドなマシンで、3位に入賞しました。この911でニュルブルクリンクを走ったことは、これからも決して忘れないでしょう」

「『919 ハイブリッド』が搭載する、2.0リッターV型4気筒ガソリンターボと電気モーターの組み合わせによって、2017年のル・マン24時間レースを制することができました。このマシンで世界耐久選手権を2度制したことも素晴らしい思い出です。WEC撤退後ですが、2018年には最高出力1000PSを超える『919 ハイブリッド Evo』を駆って、ノルドシュライフェを舞台に人生で最も過酷なラップを経験しました。タイムは5分19秒55、平均速度は233.8km/h、最高速度は369km/hにまで達しています」

「最近では、ポルシェミュージアムからレーシングカーを借り出して、ターボエンジンがどのように開発されたかを実際に体験することがあります。917/30 スパイダー、935/78 モビーディックのようなレーシングカーは、ターボエンジンがまるでパワースイッチのようです。一方でグループCの962Cは、信じられないほどパワフルですが、ドライブしやすいことに驚きました。初めてドライブしたターボ、私のレースキャリアのハイライト、そして歴史の探求、これらすべてが私にとっての“ターボ”の思い出なのです」

アルウィン・スプリンガー

自身が立ち上げたレーシングカンパニー「アンディアル」社の前で、959と911を並べて記念撮影するアルウィン・スプリンガー(中央)。彼は、北米において、964世代の911 ターボをレースに投入するというアイデアを実行に移した。
自身が立ち上げたレーシングカンパニー「アンディアル」社の前で、959と911を並べて記念撮影するアルウィン・スプリンガー(中央)。彼は、北米において、964世代の911 ターボをレースに投入するというアイデアを実行に移している。

1990年から2003年にかけて、ポルシェ・モータースポーツ・ノースアメリカ(PMNA)の社長を務めたアルウィン・スプリンガー。彼は1970年代から1990年代にかけて、北米におけるポルシェのモータースポーツ活動を支えたひとりでもある。

「1990年1月、私はポルシェ・モータースポーツ・ノースアメリカの社長に就任しました。この時代、アメリカの経済は停滞期にあり、伝説的な成功を収めた962Cも第一線から引退していました。ポルシェのレーシングカーで勝利を収める可能性のある新型プロトタイプの開発計画もなく、ヴァイザッハではインディとF1エンジンに重点が置かれていた時代です」

「ポルシェのアメリカにおける広報担当ボブ・カールソンと私は、あるアイデアを思いつきました。1991年シーズンは、スポーツカーによるIMSAスーパーカー・シリーズが人気を集めるだろうと、考えたのです。当時、このシリーズは多くの自動車メーカーからの関心が高まっていました」

「964世代の911 ターボは、まさにこのシリーズのために作られたようなクルマでした。ただ、このモデルは北米において販売成績が芳しくなかった。そこで、私たちはIMSAスーパーカー・シリーズへの参加を計画したのです。このアイデアにヴァイザッハも賛同し、レース用に開発された2台の911 ターボをPMNAに送ってくれたのです」

「私たちは、ハンス=ヨアヒム・スタックとハーレイ・ヘイウッドとともに、1991年の選手権を制覇しました。この活躍によって911 ターボの販売が再び盛り返すことになりました。さらに、カスタマーモータースポーツが盛り上がり、PMNAは新たな成功への道を歩み始めました。それこそが、現在にも続くグランツーリスモスポーツです。あらためて911 ターボには『ありがとう!』と、お礼が言いたいですね」

ローランド・クスマウル

レーシングカーから導入されたポルシェのターボを語る上で欠かせない存在が、ローランド・クスマウル。彼はあらゆる世代のレーシングエンジンを自身でテストしてきた。写真は956に、F1用のTAG V6ターボを搭載し、テストするクスマウル。
レーシングカーから導入されたポルシェのターボを語る上で欠かせない存在が、ローランド・クスマウル。彼はあらゆる世代のレーシングエンジンを自身でテストしてきた。写真は956にF1用のTAG V6ターボを搭載し、テストするクスマウル。

ローランド・クスマウルは2009年に引退するまでの40年間、ポルシェにおいてレーシングカーや公道用スポーツカーの開発エンジニアとして活躍した人物だ。エンジニアでありながら、彼自身がテストドライバーとして、多くのレーシングカーのステアリングを握っている。

「長年にわたり、ポルシェにおいて“ターボ”は、最もホットな話題でしたね。ある比較テストでは、私が1972年型『917/10 スパイダー』、ユルゲン・バースが1976年型『936 スパイダー』をドライブしたことがありました。2台はほぼ同じ車重でしたが、最高出力は917/10 スパイダーが1000PS、936 スパイダーが540PSというパワー差がありました」

「合図とともに、私たちはアクセルをフロアまで踏み込みました。936はすでに100mほど先まで進んでいましたが、私の917/10 スパイダーが突然リヤホイールをスピンさせことをよく覚えています。1970年代後半から1980年代にかけて、最先端のエレクトロニクスによってパワーデリバリーが大きく進化しました。それを実感した瞬間です。962Cの開発を経て、その後すぐに、F1用エンジンの『TAGターボ』が登場しました。1.5リッターV型6気筒ターボエンジンは最高出力720PSを発揮し、自然吸気エンジンとほぼ同等のレスポンスを実現していました」

「私自身が一番気に入っているのは、1986年のパリ・ダカール用に開発された『959』のシーケンシャル・ターボチャージャーです。あれは、まさに至高と呼べるエンジンでした。小型ターボが低回転域で起動し、高回転域では2番目のターボが追加されます。このエンジンであれば、柔らかい砂漠でも繊細なコントロールが可能でした。現代ではターボの問題を語る人は誰もいないでしょう。私のような昔からレースを戦ってきた人間は、あの唸るようなエンジンサウンド、スムーズとは無縁の荒くれたターボを懐かしく思うのです」

ハンス=ヨアヒム・スタック

ハンス=ヨアヒム・スタックは、F1ドライバー時代に、愛車として911 ターボを購入。サーキットに乗り付けると、多くの仲間たちが羨望の眼差しを送ったという。写真は1986年のル・マン24時間を戦うスタック(左)。
ハンス=ヨアヒム・スタックは、F1ドライバー時代に、愛車として911 ターボを購入。サーキットに乗り付けると、多くの仲間たちが羨望の眼差しを送ったという。写真は1986年のル・マン24時間を戦うスタック(左)。

ドイツを代表するレーシングドライバー、ハンス=ヨアヒム・スタック。1970年代はF1で活躍し、その後耐久レースに転身した。1985年シーズンは、世界耐久選手権においてポルシェ 956と962Cを駆って、3勝を記録。見事ワールドチャンピオンに輝いた。また、1986年と1987年には、ル・マン24時間レースも制している。

「20代半ばの私は、ポルシェ 911ターボの購入を夢見るF1ドライバーでした。幸運にも、素晴らしいブラックの911 ターボを安く購入することができたのです。911 ターボは、これまでに経験したことのない経験をもたらしてくれました。ただ、1970年代半ばの段階では、911 ターボは電子制御を持たない、まるで野獣のような存在でしたね。特に雨の日は本当に注意が必要でしたよ(笑)」

「それでも大径ターボチャージャーによる性能向上は、現在の基準でも目を見張るものがありました。私は911 ターボで、F1が行われていたサーキットに乗り付けていましたから、美しく、そして300PSを誇る私の911 ターボに、多くのF1ドライバーたちが羨望の眼差しを向けていたことを覚えています」

「グループCのポルシェ 962Cは、私がドライブした中で最高のレーシングカーです。最大出力700PSのパワーが後輪を駆動し、1985年にはチームメイトのデレク・ベルと世界耐久選手権のタイトルを獲得しました。また、1986年と1987年には、ポルシェのワークスチームの一員として、デレク、アル・ホルバートとともにル・マンで優勝しました。ターボは私の人生を大きく変えてくれたのです」

ハーレイ・ヘイウッド

70年代の耐久レースにおいて、ターボエンジン搭載ポルシェのステアリングを握ったハーレイ・ヘイウッド。写真は彼がアメリカのレースでドライブしたグループ5のポルシェ 935。
1970年代の耐久レースにおいて、ターボエンジン搭載ポルシェのステアリングを握ったハーレイ・ヘイウッド。写真は彼がアメリカのレースでドライブしたグループ5のポルシェ 935。

アメリカで最も成功した耐久レースドライバー、ハーレイ・ヘイウッド。彼はポルシェでデイトナ24時間レースを5回、ル・マン24時間レースを3回も制した経験を持つ。

「1977年のル・マン優勝後、フェリー・ポルシェ博士が私に911 ターボを貸してくれました。田舎道で初めて運転したとき、同乗していたレーシングドライバーのピーター・グレッグと私は、その信じられないほどのパワーに圧倒され、笑いが止まりませんでした。1970年代後半からは、ターボエンジンを搭載したポルシェのレーシングカーをドライブしましたが、私たちはターボに合わせたドライビングスタイルを受け入れる必要がありました」

「まず、エンジン回転数に合わせて、スロットルを維持すること。コーナーに差し掛かる前に急ブレーキをかけながらアクセルを踏むという、正気の沙汰とは思えない運転スタイルでした。また、レースの戦術もそれに応じて変えることになりました」

「まるでチェスの駆け引きのよううでした。かなり先まで予測し、エンジン回転数を落とさずにレース中のトラフィックを抜け、パワーが再び蓄積されるまで長い時間待たなくて済むルートを組み立てる必要がありました。これを習得する人もいれば、最後までコツをつかめない人もいましたね。今や『ターボが沈黙する瞬間』は過去の遺物となり、ポルシェのターボエンジンは、かつて自然吸気エンジンだけが発揮できたように、自然にパワーを発揮するようになりました」

マーク・ウェバー

オーストラリア出身のマーク・ウェバーは2000年代にウィリアムズやレッドブルからF1に参戦。F1引退後は耐久レースでポルシェ 919 ハイブリッドをドライブし、多くの勝利を経験した。
オーストラリア出身のマーク・ウェバーは2000年代にウィリアムズやレッドブルからF1に参戦。F1引退後は耐久レースでポルシェ 919 ハイブリッドをドライブし、多くの勝利を持ち帰った。

元F1ドライバーのマーク・ウェバーは、2014年から2016年にかけて、世界耐久選手権においてワークスポルシェのドライバーを務めた。2015年シーズンは919 ハイブリッドで4勝を挙げ、WECで初のタイトルを獲得。現在はポルシェのブランドアンバサダーも務めている。

「2015年シーズン、ティモ・ベルンハルト、ブレンドン・ハートレーと共に、ポルシェ 919 ハイブリッドで世界耐久選手権を制しました。内燃機関エンジンは2.0V型4気筒ターボでしたから、ターボに対する私の思い出は最高です(笑)。私のガレージには、常に1台は911 ターボが鎮座しています。ポルシェのスポーツカーの心臓部は、その源泉を辿ればモータースポーツにたどり着きます。最新の911 ターボもストップウォッチを握りしめながら開発されたかのようですよね。圧倒的なパワー、全輪駆動、可変エアロダイナミクス、すべてが最高レベルにあります」

「ターボチャージャーはポルシェの革新的技術のひとつです。911 ターボによってポルシェは、限界とされてきた性能を常に押し上げてきました。1974年に最初の911 ターボが誕生して以来、ポルシェは最高のパフォーマンスと優れた快適性を両立するという、伝統を今も守り続けています」

1974年に市販モデル初のターボモデルとして、世界中に大きなインパクトを与えることになったポルシェ 911 ターボ。以来、50年を経て、ターボは本来の意味を超えて使用されるようになった。

「ポルシェ 911 ターボ」デビュー50周年の節目に今やEVにも使われる“ターボ”のネーミングの意味を考える

1974年に発表したポルシェ初のターボ搭載量産スポーツカー「911 ターボ」。以降50年間、ターボという言葉はポルシェにおいてエキサイティングな変貌を遂げている。本来の意味でのターボチャージャーテクノロジーはもちろん、大型化されたリヤスポイラーを備えたターボルック、そして現在ではEVにも「ターボ」の名称が使われるようになった。それらのエピソードをまとめた。

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