【ポルシェ年代記】ポルシェの代表的モデル「911」の草創期

今でもスポーツカーの代名詞「ポルシェ 911」は如何にして生まれたか【ポルシェ年代記】

60年前に登場したパッケージながら、改良を加えられ今だに連綿と続く「911」シリーズ。
60年前に登場したパッケージながら、改良を加えられ今だに連綿と続く「911」シリーズ。
スポーツカーの代名詞、ポルシェ──。その主張に意を唱える人はいないだろう。これまでに多くのスポーツカーを生み出し、モータースポーツで勝利し、ファンのみならず多くのクルマ好きを楽しませてきたポルシェの歴史を振り返る。第2回は現在でもポルシェの代表格と言える「911」の草創期を紹介する。

911(1963-1973)

パワフルな6気筒エンジンを搭載

北米を中心に「356」が大ヒットを飛ばす一方で、市場からはモアパワーを求める声が日増しに大きくなっていた。それを受けポルシェでは356に様々な改良を施してきたが、1957年、フェリー・ポルシェは356の後継となる大人4人が乗れる高性能2+2GTの開発を指示した。

ここでポルシェ開発陣は、それまでのフラット4に代わるパワフルな6気筒エンジンの開発に着手。それにあわせシャシーは左右にボックス状のシルを持つフロアパンと応力外皮のルーフを組み合わせることで高い剛性を誇るポルシェ初のモノコック構造が開発された。またフロントのラゲッジスペースの確保とハンドリング性能の向上を狙い、サスペンションもフロント・マクファーソンストラット+トーションバー、リヤセミトレーリングアーム+トーションバーの組み合わせに刷新された。

プジョーのクレームで変更した車名

フェリーの長男であるフェルディナント・アレキサンダー(ブッツィ)・ポルシェの手になるデザイン。
フェリーの長男であるフェルディナント・アレキサンダー(ブッツィ)・ポルシェの手になるデザイン。

ボディデザインを手掛けたのは、フェリーの長男であるフェルディナント・アレキサンダー(ブッツィ)・ポルシェで、1959年にノッチバック風のルーフラインをもつプロトタイプ「Typ754」をデザインするが、フェリーが気に入らず現在にまで受け継がれるファストバック風のスタイルに変更されている。

その際、エンジンは356のOHV4気筒に2気筒を足した6気筒OHVエンジンが搭載されていたが、振動とノイズが大きかったため、ハンス・トマラ率いる技術陣は新設計の1991cc空冷水平対向6気筒SOHCのタイプ901エンジンを開発する。これはレーシングスポーツの「904」をはじめ、モータースポーツに転用することを前提に開発されたもので、鋳鉄製シリンダーにアルミの冷却フィンを組み込んだ“バイラル”シリンダー、7ベアリング鍛造クランクシャフト、ドライサンプなど先進的で余裕のある設計となっているのが特徴であった。

1963年9月12日、ポルシェはフランクフルト・ショーの会場で「901」と名付けたニューモデルを華々しく発表する。その反響は上々だったが、真ん中に0を入れる3桁数字を商標登録していたプジョーからのクレームで車名を「911」へと変更。また高い精度と複雑な工程を必要とするモノコックボディ、フラット6エンジンの製造準備が上手く進まないうえに、大きく重いフラット6ユニットとシャシーとのバランスを解決できず、本格的な量産に移れないなど、その舞台裏は決して順風満帆と言えるものではなかった。

排気量拡大などを経て完成の域に

1965年になってようやく本格的な量産体制の整った911は、当時の水準をはるかに上回る高性能を発揮。1966年モデルでキャブレターをソレックスからウェーバーに変更したことでエンジンの始動性、レスポンスが向上すると、生産台数も飛躍的に増加した。その後1967年モデルからエンジンを160PSにチューンしたハイパフォーマンス版の「911S」と、ボディの補強を兼ねたステンレス製のロールオーバーバーとデタッチャブル式のハードトップを備えた「タルガ」を追加。8月には2ペダル・セミATのスポルトマティック、さらに110PSにデチューンし、コストを抑えた廉価版の「911T」がデビューする。

デビュー当初はテールベビーのシャシーバランスを改善するため、フロントバンパー裏に22kgものウェイトを仕込むなどの応急処置が施されたが、初めてのビッグマイナーチェンジが施された1969年モデルでホイールベースを57mm延長して操縦性を改善。またスタンダードの「911E」と「911S」にボッシュ製の機械式フューエルインジェクションが標準装備となったのもトピックと言えた。

1970年モデルではフェラーリの「ディーノ 246GT」などのライバルに対抗するために排気量を2195ccへ拡大。1972年モデルではさらに2341ccへと拡大している。それにあわせ1972年モデルからはギヤボックスをより容量の大きな915型5速MTへと変更。またフロントのエアダムの追加やサスペンションの改良などを施すことで、911はついに完成の域に到達した。

ホモロゲ・スペシャルという新マーケット

カレラ RS 2.7
カレラ RS 2.7

さらに1972年には、911シリーズを語る上で重要なモデルが登場している。それが「911 カレラ RS 2.7」、通称“ナナサン・カレラ”だ。これは“1年間に500台を生産”というグループ4GT規定を満たすために開発されたホモロゲーションモデルで、917譲りのニカシルメッキシリンダーを採用して排気量を2697ccへと拡大した210PSのフラット6を搭載。ボディも拡大されたリヤフェンダー、ダックテールと呼ばれるリヤスポイラーなど専用のエアロパーツで武装されていたほか、リヤシートの撤去や薄肉フロントガラスなどの採用により大幅な軽量化も達成していた。

こうして1972年2月のパリ・ショーで発表されたカレラ RS 2.7には、予定の500台を大きく上回るオーダーが世界中から殺到。最終的に予定の3倍以上となる1580台が生産され、現在の「GT3」へと続くホモロゲ・スペシャルという新たなマーケットを開拓するきっかけとなった。

356 Pre- A

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スポーツカーの代名詞、ポルシェ──。その主張に意を唱える人はいないだろう。これまでに多くのスポーツカーを生み出し、モータースポーツで勝利し、ファンのみならず多くのクルマ好きを楽しませてきたポルシェの歴史を振り返る。記念すべき第1回は「ポルシェ」の名を初めて冠した「356」を紹介する。

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藤原よしお 近影

藤原よしお

クルマに関しては、ヒストリックカー、海外プレミアム・ブランド、そしてモータースポーツ(特に戦後から1…