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Lamborghini Jalpa
再スタートを切るランボルギーニ
「BMW M1」そしてミリタリービークル「チータ」の開発と生産。このふたつのプロジェクトが立て続けに失敗に終わったランボルギーニの経営は、1970年代終盤にはもはや倒産直前の状況にまで追い込まれていた。結果的にランボルギーニはイタリア政府の管理下に置かれ、新たな経営者を求めることになる。最終的にランボルギーニの全株式を買い取り、正確にはヌーヴァ(新しい)・アウトモビリ・フェルッチオ・ランボルギーニ社を1981年に創立したのは、フランスで企業グループを率いていたパトリック・ミムラン。彼が社長の座に収まることで、ランボルギーニはどうにか再スタートを切ることができたのだ。
ランボルギーニの経営状態、すなわち年間の販売台数はわずか数十台と、この頃は壊滅的な数字だったが、ミムランはプロダクトの独自性や将来性に大きな期待を抱いていたようだ。前後してマセラティからランボルギーニに移籍していたチーフ・エンジニアのジュリオ・アルフィエーリに、12気筒モデルのカウンタックを改良し、さらに魅力的なものとすることをリクエストするとともに、わずかに52台が販売された8気筒モデル、シルエットの進化型を開発することも指示。フェルッチオが考えた、ポルシェ 911のライバルモデルはミムランにとってもランボルギーニが大きな成功を収めるために必要不可欠な存在にほかならなかったのだ。
シルエットをベースに造られた「ジャルパ」
シルエットの後継車には「ジャルパ」のネーミングが与えられ、1981年のジュネーブ・ショーでワールドプレミアされた。ボディデザインは基本的にはシルエットのそれに等しいが、スリーサイズは全長×全幅×全高で4330×1880×1140mmと、全幅方向での拡大が特に目立つ。
新たなデザインを採用したのは前後のバンパー、オーバーフェンダー、エンジンフード、左右のエアインテーク、フロントスポイラーといったところで、ホイールのデザインもシルエットのリボルバータイプからディッシュタイプに改められた。実際に見るジャルパのエクステリアは、シルエット、さらにウラッコまで遡るならば、確かに1980年代の作と納得させるだけの魅力を持つ、端正な姿にまとめられた。
ベルトーネによるデザイン変更
インテリアもインパネのデザインを一新し、さらに機能性は高まっている。ステアリングはウラッコ、シルエットと引き継がれたコーンデザインのものではなく、安全性を考慮したクラッシュパッド付きのものに改良。シートもリクライニング可能なものとなり、機能性や快適性も大きく高められた。ちなみにこれら内外観の改良は、もちろんすべてカロッツェリア・ベルトーネによるものだ。
ジャルパの生産は最終的には1988年まで続けられるが、1984年のジュネーブ・ショーではシリーズ2と呼ばれるマイナーチェンジ版が登場する。エアインテークがボディと同色にペイントされたほか、エアコンやパワーウインドウも標準装備化され、話題となった。
排気量の拡大により扱いやすさが向上
ミッドに搭載されるV型8気筒エンジンは、アルフィエーリの手によって、ストローク・アップが行われ、排気量は3.5リッターまで拡大している。4基のウェーバー製キャブレターを装備して得られた最高出力は255PSとシルエットからは若干低下してしまったが、逆に最大トルクは大幅に高まり、扱いやすさは改善された。
組み合わされるトランスミッションは5速MT。最高速度は248km/hというのが、ランボルギーニから発表された当時のオフィシャルデータだ。また前後のサスペンションやブレーキなど、シャシー関連の基本設計は、シルエットのそれから変わっていない。
最後の“スモールランボ”
1988年までにトータルで410台を販売したジャルパ。その生産中止とともにランボルギーニのプロダクトは、しばらくV型12気筒ミッドシップのみとなる。そして、こうした“スモールランボ”が再び登場するのは、2003年に誕生するガヤルドまで待つこととなる。
SPECIFICATIONS
ランボルギーニ ジャルパ
発表:1981年
エンジン:90度V型8気筒DOHC
総排気量:3480cc
圧縮比:10.0
最高出力:188kW(255PS)/7000rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:RWD
車両重量:1510kg
最高速度:248km/h
解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)