中古車相場が鰻登りに上がり続ける国産旧車たち。筆頭はトヨタ2000GTや日産スカイラインGT-Rで、今や値段を聞くことすら憚るような存在になってしまった。続いて相場が上がり続けているのが初代S30フェアレディZだろう。海外でも販売され、国内仕様よりむしろ数が多い左ハンドルのS30Zだが、相場を釣り上げているのは右ハンドルの国内仕様がメイン。
なかでもエアロダイナノーズ、俗称Zノーズを装備する240ZG、スカイラインGT-Rと同じS20型エンジンを搭載するZ432の存在が突き抜けている。10年前の10倍とは言わないが、とんでもない相場になっていることは間違いない。古くから国産旧車を愛好してきた人たちからすると苦々しく思う現象だろう。その昔に取材したフェアレディZ432オーナーは、あまりに手がかかるため中古のフェラーリに乗り換えたなんて人もいた。
ところが今やZ432はフェラーリと変わらない相場なのだから呆れ果ててしまう。2022年12月に埼玉県北本市で開催された「昭和・平成クラシックカーフェスティバル」を取材していて、見慣れないイエローボディのフェアレディZ432を見つけた。どう見ても最近になってレストアが完了したような様子だったため、高騰する相場を期待して購入されたのかと想像した。ところが近づいてみると、オーナーはいかにも人当たりの良い実直そうな人。興味を引かれて取材させていただいた。
オーナーの小林章さんは仕事を引退した67歳の方で、「キレイな432ですね」と話を向けると「自分でボディをバラしてレストアしたのです」と返された。なんと、自力でZ432をレストアするオーナーがこのご時世にいるとは驚いた。続きを伺うと、10年前に譲り受けると、どのように復活させるか近所の整備工場と相談された。工場からはメカニカルな部分は修理してあげるが、ボディはなんとかして欲しいと言われてしまう。
幸いなことに工場の一角に置かせてもらえるため、小林さん自らボディを分解することにしたのだ。初代S30Zは国産車としては異例に補修部品に事欠かない1台。それというのもアメリカで数多く売れた車種だから、現地には補修部品を作るメーカーやショップまで存在する。国産車なのに海外から部品を仕入れることが容易なのだ。また国内でも人気なため外装だけでなく内装部品もリプロ製品が入手できる。分解したはいいが再利用できそうにない部品が見つかっても、比較的安心して作業が進められる1台なのだ。
とはいえ小林さんは整備については素人同然。コツコツと作業を続けたが、いつしか1年2年と月日は流れていった。完全にボディから外せるものをすべて外し、板金作業に進むまでが大変だった。古い国産車のレストアで避けて通れないのがボディに発生したサビの処理。ひどい場合だとフロアパネルがなくなっているようなケースさえある。
ところがこのZ432は比較的サビや腐食が少なく、過去の保管状況が良かったようだ。サビを除去して下地であるサフェーサーまで仕上げると、塗装だけはプロの手を借りることにした。
まばゆいイエローで塗装が終わると、間借りしていた整備工場でエンジンやミッション、足回りといった部品を取り付ける段階に移る。ここでも補修部品をアメリカから輸入するなどして、良い状態に仕上げることができた。サビが少なかったことと同様に内装部品も傷みが少なく、あまり苦労することはなかったそうだ。以前の保管状況が良かったと聞いてガレージ保管だったのかと質問すれば、あまりにもかけ離れた答えが返ってきた。
小林さんは定年するまで学校の教師をされていた。今でも片鱗が感じられるが、とても面倒見のよさそうな雰囲気はそのためだったのだろう。40年以上も前に小林さんが担任をしていたクラスの教え子と交流があったのも、そんな小林さんの人柄ゆえだろう。当時の教え子から突然連絡が届く。
両親が急病になり、どうしてもまとまった金額が必要になってしまった。ついては家で保管しているフェアレディZ432を買って欲しいという相談だったのだ。それが今から10年前のことだった。もちろん、そんな話を聞いて断るような小林さんではない。助けになればの一心でZ432を引き取ることにしたのだ。
教え子から跡を託されたZ432だから、どうしても復活させたいと思われたことだろう。時間はかかってしまったものの、見事なまでにレストアを完了することができた。その時の喜びはひとしおだったはずだ。名車との巡り合いは時に思ってもみない縁によりもたらされる。小林さんとZ432がまさにその好例。
聞けば小林さんは地域のためになればと、子供がいる生活苦の家庭に地元産の野菜を無料配布するボランティア活動を長年続けられている。新聞に何度も取材されたことがあるそうで、切り抜き記事を拝見させていただいた。困った人の役に立てるならと、赤字になることが多いボランティア活動を続けられている。旧車の取材ながら、とても良いお話を聞くことができた。