一気に見せます! HOTRODカスタムの流れがSTREETRODに回帰した『第31回ヨコハマホットロッドカスタムショー2023』で見つけたクールなマシン!!

2023年12月3日(日)、パシフィコ横浜(神奈川県横浜市)を会場にカスタムカー&バイクの祭典『第31回ヨコハマホットロッドカスタムショー2023』(以下、HCS)が開催された。HCSは日本最大の屋内カスタムショーにして、国内最高峰のカスタムマシンが集うイベントだ。今回はHCSの花形である1949年までに製造された車両をベースとした伝統的なHOTROD(ホットロッド)マシンのSTREETROD(ストリートロッド)を中心にエントリー車両を紹介して行く。

クルマが250台! バイクが600台! スゴいマシンが勢揃いする日本最大級のカスタムショー『第31回ヨコハマホットロッドカスタムショー2023』を見た!

2023年12月3日(日)、パシフィコ横浜(神奈川県横浜市)を会場にカスタムカー&バイクの祭典『第31回ヨコハマホットロッドカスタムショー2023』(以下、HCS)が開催された。HCSは日本最大の屋内カスタムショーにして、国内最高峰のカスタムマシンが集うイベントだ。さらに海外からハイレベルなカスタムマシンがゲスト招致されることでも知られている。年跨ぎになってしまったが、今回は大いに盛り上がったHCSの様子をリポートする。 REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

アメリカ本国にも負けない完成度の高いSTREETRODが勢揃い!

『ヨコハマホットロッドカスタムショー』(以下、HCS)でエントリー台数が多く、ひときわ目立つ存在なのが「STREETROD」だ。
STREETRODとは1949年までに製造された車両をベースに、公道走行を前提に製作されたHOTRODのことを指す。

美し仕上げられた「DEUCE(デュース)」こと1932年型フォード・モデルBロードスター。ホット(Hot)なロードスター(Roadster)転じてHOTRODの語源になったとの説もある。

1950年代に産声を上げたSTREETRODは、当初はレースに勝つために作られたレーシングカーとほとんど差がないスタイルをしていたが、やがてカッコ良く“魅せる”ことも重視されるようになる。

その結果、STREETRODはボディワークにも力が注がれるようになり、戦前からのチョップドルーフ(ピラーを切り詰めルーフを低くしたカスタム技法)に加えて、チャネリング(車体のフロアパネルを一度切り離し、高さを調整した上で再溶接することで、足回りに変更を加えることなく車高を低く下げるカスタム技法)やセクショニング(車体下部より水平にボディを切り取り、残った上部と下部を再溶接することでボディを薄くし、車高を下げるカスタム技法)などのボディワークを施し、視覚的にも速さが強調されるようになった。

1932年型フォード・モデルBウッディワゴン。リアルウッドを用いたワゴンボディは国内で船大工に依頼してワンオフ製作された。イベントの常連車両で長年ショーやクルーズに参加しているマシンだが、その美しさは製造時とまったく変わりがない。

ベース車として人気があるのがアーリーフォードと呼ばれるモデルT(いわゆる「T型フォード」)やモデルA、そして、“DEUCE“の愛称で知られるモデルBなどだが、シボレーやウィリス、バンタム、クロスレイなどをベースに製作されることもある。

1939年型フォード2ドアセダン。国内ではこの年式のフォードは珍しい。メカニズムはV8を初めて搭載したモデルBをベースに改良を重ねたものとなるが、スタイリングはグッと近代的なものとなった。足回りをローダウンした以外、外観はストックの状態を維持している。

STREETRODは北米を中心に世界中に多くのファンを持つ。日本ではアメリカ車ファンを中心に存在こそ認知されているが、国内では希少な戦前車をベースとする上に、製作には相応の手間とコスト、そして制作には専門的な知識とボディワークに熟練した技術が必要になることから世間からは浮世離れした特殊な自動車趣味と思われているようで、街角でその姿を見かけることは滅多にない。
しかし、その数は決して多いとは言えないものの、わが国にも熱烈な愛好家がおり、専門的に取り扱うプロショップも存在する。

横浜のDEUCE FACTORYのブースで展示されていた1932年型フォード・モデルBピックアップ。エクステリアはストックの雰囲気を色濃く残すが、エンジンは比較的新しいツインカムヘッドのV8エンジンを搭載していた。
沖縄のショップ・WAVYSAVVY沖縄が手掛けた1923年型モデルTロードスターピック。いわゆる「Tバケット」と呼ばれるカスタムカーだ。ショップは沖縄だが、大阪へ出張してマシンの製作を行ったらしい。

エントリーしたSTREETRODは「FIFTIES」と「TRADITIONALS」が中心

1933年型フォード・モデルBロードスター。シルバーに輝くハードトップが印象に残る。HCSの常連としてエントリーしているマシンだ。

そんなSTREETRODが一堂に介する数少ないイベントがHCSなのだ。
STREETRODのスタイルを大別すると、1950年代の「FIFTIES(フィフティーズ)」、1960年代の「TRADITIONALS(トラディショナルズ)」、そして最新のテクノロジーを惜しみなく注ぎ込んでマシンを製作する「HiGH TECH(ハイテック)」が存在する。

1935年型フォード・モデル48ロードスター。こちらはSTREETRODではなく初期LOWRIDERのBOMBカスタム。ローダウンした足回りにホワイトリボン タイヤ、後輪はスパッツで隠され、左右のAピラーにはスポットランプが備わる“お約束”のカスタマイズが施されている。

しかしながら、HiGH TECHは製作するのに高い技術力と莫大な製作コストが必要になることから日本では滅多にお目にかかることはできず、HCSのエントリー車のほぼすべてがFIFTIESやTRADITIONALSであった。

大阪のLAVISHがエントリーした1932年型フォード・モデルBロードスター。お手本のような美しい仕上がりのFIFTIESスタイルだ。

HiGH TECHのエントリーがほとんどないということを除けば、会場に集まったマシンは国内最高峰のショーということもあって、エントリー車両のレベルはアメリカのカスタムビルダーにも負けてはいない。本国のカスタムショーでもアワードを狙えそうな完成度の高いマシンも散見される。

1932年型フォード・モデルB 5ウィンドウ・クーペ。心臓部に備わるのはオールズモビル・ロケットエンジン。

「RATROD」のブームが過ぎ去り再びSTREETRODがHCSの主役に

STREETRODとは共通のベース車を用いつつ、別ジャンルのHOTRODとして「RATROD」がある。これは「使い古された」あるいは「未完成」の状態を再現するため、錆びた内外装、錆止めやプライマー処理のみのボディパネル、適当に拾ってきたパーツを組み付けたような粗雑さと、意図的に外観をボロく見えるように仕上げたビンテージHOTRODだ。

タレントの所ジョージ氏が手掛けた1941年型フォードF1ピックアップのRATROD。ただしベッドはワンオフ製作のオリジナルのようだ。心臓部はLT-1のブロックにキャメルヘッドを組み合わせ、デュアルキャブ仕様にしたようだ。

日本でも15年ほど前にちょっとしたブームがあり、一時期はHCSの会場を埋め尽くすほどの勢いがあったが、今回久しぶりに会場を訪れると往時ほどの盛り上がりはなく、エントリー台数は少なくなっていた。

たしかにRATRODにはRATRODの魅力があるし、COOLではある。STREETRODに比べるとフィニッシュに掛けるコストを省けるので制作コストが幾分安く上がる(と言ってもそれなりに高価にはなるが……)。それでいて人目を引く個性的なマシンに乗れるのはメリットかもしれない。世界中にファンがいるのも理解はできるし、それを否定するつもりはもちろんない。ただ、やはりRATRODはSTREETRODのカウンターカルチャーであり、HOTRODの保守本流はSTREETRODにあるように思うのだ。

「ドアが多すぎる」としてHOTRODのベース車としての人気が高くない1932年型フォード・モデルB 4ドアセダンもポイントをさえたカスタムを施すことでこのようにCOOLな仕上がりとなる。

一時のブームが過ぎ去り、HCSがSTREETRODが中心のショーに回帰していたことはSTREETRODのファンである筆者には好ましく感じられた。

モデルT? モデルA? DEUCE ? HOTRODカルチャーと
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著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…