濃霧のニュルブルクリンク24時間レースは赤旗中断後のセーフティカーランにより終了。WRX S4はSP4Tクラス優勝!

セーフティカーに先導されて赤旗中断後にトップを走行する16号車のScherer Sport PHX(Audi R8 LMS GT3 evoII) (写真:Gruppe C Photography)
セーフティカーに先導されて赤旗中断後にトップを走行する16号車のScherer Sport PHX(Audi R8 LMS GT3 evoII)
(写真:Gruppe C Photography)

2024年のニュルブルクリンク24時間レースは、スタートから約7時間が経過した23時あたりからサーキット全区域に立ち込めた濃霧により赤旗中断。その後、翌13:30に残り2時間半となった時点でセーフティカー先導によりフォーメーションラップが開始された。ただし、5周以内に天候の回復が見込まれなければレースは終了との条件付きだった。

それでも、フォーメーションラップを1周終えたチームのなかには、「まだ諦めないぞ!」と言わんばかりにピットインし、ウェットタイヤからドライタイヤにチェンジするチームも。
しかし、ニュルの天気は好転せず、フォーメーションラップを5周を終えた時点でレースコントロールから「レース終了」のアナウンスが入り、約1時間前倒しでチェッカーフラッグが降られた。
総合優勝は予選3番手からスタートしたScherer Sport PHX(Audi R8 LMS GT3 evoII)だった。周回数は50周。

辰己総監督の勇退をクラス優勝で祝福

ドイツのスバルオーナーズクラブから辰己総監督に感謝のケーキが贈呈された。

注目のスバル/STIチームは、合計44周を走りSP4Tクラス優勝を達成した。
予選総合40位、レギュレーションによりスタートグループ3におけるポールポジションの85番グリッドからスタートしたWRX S4は、予選では下位にいたGT4勢を蹴散らす勢いで一時は総合39番手まで追い上げた。レース後半のさらなるジャンプアップが期待されたが、セーフティカー先導走行でのレース終了とともに、赤旗後のレース再開時のスタート位置がまたもやグループ3という下位グループに指定されてしまったため、結果的にグループ3のトップである総合51位でレースを終えた。

赤旗中断からの再開前に佐々木孝太のヘルプに入る久保凛太郎選手(左)

このレースでの勇退となった辰己英治スバル/STIチーム総監督は
「良い結果が出て満足です。本音を言えばもっとたくさん走りたかったですけどね。それはもうレースなので仕方がないです。その短いレースの中でも良い走りを見せることができたのは 本当によかったなと思います」と語った。
今回が初のニュル24時間レース参戦となった久保凛太郎選手の走りに対しては
「凛太郎選手は、最初はやんちゃなイメージを持っていたのですが、それなりのテクニックと冷静さを持ってないと最後まで走り切れないニュルのレースのなかで、それを、今回見事にやり遂げてくれました。予想以上の働きでした」と高い評価を与えた。

重責をこなした佐々木孝太選手とがっつり握手。

スタート直後の突然の降雨のため緊急のタイヤ交換を強いられダブルスティントをこなし、さらにチェッカードライバーも担当した佐々木孝太選手に対しては
「あのやんちゃだった佐々木孝太選手が最近ほんとうにベテランらしく大人になって、今回は凛太郎に対しても本当に良いアドバイスをしてくれたり最高の仕事をやってくれました。チームをまとめていくにあたって本当に役立ってくれたし、 安定した良い走りを見せてくれました。ベテランの味でしたね」と賛辞を惜しまなかった。

辰己英治総監督の勇退にあたってティム・シュリック選手は「絶対に辞めさせないよ!」とレース前は笑っていたが、「それまで日本人との仕事をしたことがなくてて、最初チームに入っておどおどしていたときに、最初にハグしてくれたのが辰己監督。本当に感謝しかないし、今回優勝をプレゼントできてうれしいですね」と感謝の念を述べていた。

カルロ・バンダム選手は「辰己監督には、勝つために決してあきらめないパッションを学びました。昨年クラッシュしてしまった後も、マシンを一所懸命直してレースに復活しようという姿勢は印象にのこっています。辰己さんのパッションはチームに生き続けます」と辰己総監督への思いを語ってくれた。
(写真&レポート:渡辺文緒)

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著者プロフィール

渡辺 文緒 近影

渡辺 文緒

渡辺文緒
1970年東京生まれ。1996年にオートスポーツ編集部、その後、オプション編集部、 F1速報誌AS+F編…