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サーブというクルマ、知ってる?
このサーブだが、かつてはボルボとともにスウェーデンを代表する自動車メーカーだった。ボルボが1927年に設立されたのに対して、サーブ・スカニアは1947年と遅い。しかしここには理由があって、サーブは元来航空機メーカーであり、第二次大戦後のロードマップとして自動車産業への参入も図ったのだった。そして、1949年に発表された最初の量産モデルはサーブ92を名乗った。中途半端なネーミングだが、それはその前に開発されたモデルがサーブ91スベンスカという、スウェーデン空軍の練習機=飛行機だったからだという。
ボルボが90年代に850を世に送るまで、頑なにFRレイアウトと固守してきたのに対して、サーブは当初よりFFレイアウトを採用。雪道での安定性の高さも意識した。さらに航空機メーカーを起源にもつモデルとして、航空機のアイデアやノウハウが活かされたのはいうまでもない。風洞試験から開発されたクルマでのあり、92はCD値0.30を誇ったという。
ところが、当初の92は、直列2気筒という短いエンジンであったこともあってか横置きに搭載して登場した。しかし、1960年に登場した96では、直列3気筒エンジン、のちにV型4気筒エンジンを搭載するが、エンジンは縦置きレイアウトとなった。やはり、航空機メーカーとしてのシンメトリーの意識は強くあったのだ。この辺り、スバルとの共通性を強く感じられるメーカーだ。
ちなみにサーブ創業時の1947年に、スバルはラビットスクーターを発表。スバル360の誕生は1958年となる。シンメトリーなFF水平対向エンジンモデル、スバル1000は1966年の登場となる。
航空機メーカーが生んだ名車
前置きが長くなったが、その後、1978年に登場するサーブ900では直列4気筒エンジンとなるが、縦置きエンジンのレイアウトは継承された。またその下にトランスミッションを配するという2段構造を採用して、全長を短く抑えた。加えてボンネットを低く抑えるために、エンジンは45度傾けられていた。そして注目されるのは、ターボエンジンの採用。この900は先代というより99の改良型と呼べるもので、ターボは99から継承したもので、当時、量産モデル初の採用といわれている。
しかしその狙いはハイパワーではなく、高効率、低燃費を狙ったダウンサイジング。大きなエンジンのフリクションの拡大を嫌ったもので、極めてマイルドでターボを感じさせないものとして常に開発されてきた。
特徴的なデザインも初代から継承される大きな魅力で、先代より左右フェンダーまで回り込んだシェル型のボンネットフードを採用。オープニングラインは後方に伸びるキャラクターラインとなっていた。これは当然ながら、いすゞ・ピアッツァよりずっと以前から採用されていたアイデアだ。
また、外からサイドシルが見えないのも特徴で、ドアパネルがサイドシルまで包み込む構造だった。降雪地ならではのアイデアで、パッセンジャーが乗降するときに汚れたボディに触れて、スーツの裾が汚れないようにした配慮でもある。
室内に回れば、エンジンスターターキーはセンターコンソールに配置されろ独特さをもつ。また大きな文字や、黄色の指針などの配色によって見やすいメーターパネル。センタークラスター周りも、手探りでスイッチが認識できる配慮が見て取れる。
その後サーブは9000というモデルを、フィアットグループと共同開発。フィアット・クロマ、ランチア・テーマ、アルファロメオ164との兄弟車が誕生。それ以降GM傘下となり、2代目900はベクトラベースで開発された。サーブ開発陣の愛情は深く感じられたが、特筆するべき部分はない。そしてそれ以降、さまざまな運命に委ねられ、EV専用メーカーとしての宣言もされたものの、現在では自動車業界からサーブの名前はなくなった。
この初代のサーブ900は1993年まで生産され、バブル期の日本では、おしゃれな訳知り、あるいは変わり種の乗る洗練されたデートカーとして注目されたモデルでもあった。
映画『ドライブ・マイ・カー』の原作者は、村上春樹氏。原作では黄色のカブリオレだったが、なぜサーブ900が用いられたのか? サーブ900の登場した時代背景とともに考察してみるのも面白い。