100人いれば100通りの楽しみ方がある。「100人でS20を語ろう!」を取材して思ったのは、まさに100通りに楽しまれているということ。同じクルマ、同じグレードなのに1台として同じ仕様が見当たらないほど、第一世代GT-Rの楽しみ方は千差万別のように見受けられた。特に台数が集まったハコスカ・ハードトップモデルでは、アルミホイールやマフラーの選択からスポイラーの有無、ボディカラーへのこだわりなどオーナーそれぞれが思うGT-R像が反映され見ていて飽きることがなかった。
ただ、今回紹介する1台はフロントグリルに1972年の日本グランプリで販売されたエンブレムプレートが装着してあり、ワークスカーへの強い憧れが感じられてオーナーにお話を聞くことにした。所有者は49歳の小本寿仁さんで、お話を聞くうちに15年ほど前にも取材をさせていただいたことがある人だと判明した。
その当時編集長をしていた旧車雑誌で取り上げ、表紙にもさせていただいたのが小本さんのGT-R。その時でも十分にこだわりの仕上がりを実現していたが、より一層の進化を遂げていた。小本さんがハコスカに憧れたのは小学生の頃で、「いつかは乗りたい」と思われた。免許を取得して数台のクルマを乗り継いできたが、その間にも「いつか」乗るためハコスカやGT-R用の純正パーツを集めてきた。
夢を実現したのは21年前のことで、入手後は以前から集めてきた部品や新たに手に入れたものを使って自分好みのスタイルに仕上げていった。特にこだわったのが前後のホイールで、リヤには日産ワークスGT-Rを思わせるワイド加工されたスチールホイールを履いている。ケンメリや当時のローレル用を使って5Jから7Jへ拡大することで、ワークスカーのようなスタイルにさせたのだ。
15年前に取材した時でも十分に良い状態だったGT-Rだが、小本さんのこだわりがその時の状態を許さなかった。とことん納得できる状態にまで仕上げたいと思い続けてきた結果、7年前に自宅ガレージでGT-Rをバラバラに分解してしまうのだ。何をするのかといえば、ボディだけになった状態で板金塗装工場へ持ち込み、新車のような状態にまでボディを再生させたのだ。
例えばこの当時の日産車はトランク内の両フェンダー裏側に水が溜まりやすく、パネルの継ぎ目や底からサビが発生するケースが多い。袋小路になったドアの下側やフロントフェンダー後ろ端なども同様。表側から見て気が付かなくてもリフトアップさせるとサビがあればどうしても目に付く。それが許せずボディから塗装を剥がして徹底的な板金作業が施された。ただ、できあがるまでに3年ほどかかってしまったそうだ。
GT-RといえばS20型エンジンが最大の特徴。ボディを直したのだからエンジンも完璧でありたい。だが小本さんはボディをやり直す前に自らS20を降ろしてオーバーホールしていた。しかも普通にオーバーホールするのではなく、吸気系はワークスカー同様にウエーバーキャブレターを組み込み、エキゾーストマニホイールドもS20純正から別のものへ変更してあった。だからできあがったボディに載せ直すだけでよかった。これは足回りも同様でレースオプション部品を使って車高の微調整まで済ませていた。
こうしたこだわりは室内にまで徹底して貫かれていて、ひび割れ一つないダッシュボードは新品へ交換されている。ところがステアリングホイールがなぜかヤレている。なぜかといえば、これは日産ワークスカーに使われていたのと同じものだから。マッハと呼ばれるステアリングで市販もされていたが、日産ワークスなどで使われたものは市販品と異なる特徴がある。市販品だと表から見てわかる位置にMACHと刻印があるのだが、ワークス採用のものにはそれがない。スポークの裏側にMACHがあるのだ。
そのためマニアからは「裏マッハ」と呼ばれ非常に人気が高い品。小本さんは偶然「裏マッハ」を見つけて手に入れたそうで、こればかりは修理したら価値がなくなってしまうとばかり、そのままの状態で使っているのだ。同じようにシートもダットサンバケットと呼ばれる当時のレースオプション品に変更してある。純正でもフルバケット形状だったGT-Rだが、当時のワークスカーらしく仕上げるなら欠かせない部品だ。現在はいずれの部品もプレミア価格で取引されているが、こだわりの強いオーナーらしい仕上がりになっている。ここまでこだわりを貫かれていると脱帽するしかない。