再考を要す「歩行者保護」

ドラえもんの道具に「N・Sワッペン」というのがある。
2人のひとに「N」「S」のアルファベットが記されたワッペンをそれぞれ身につけると、その2人は磁石のNSのようにぴたっとくっつき、逆に「N」どうし、「S」どうしだと近づくことができず離れてしまう・・・そんな道具だ。
お話の内容が知りたければ、小学館のてんとう虫コミックス「ドラえもん」第2巻「N・Sワッペン」を読んでみるといい。

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本題に入る。
単独事故ではない事故の場合、その相手は歩行者、自転車、自動車の3つだ。
本稿では、そのうちの歩行者、自転車をテーマ対象として話を進める。

冒頭からクルマ側の本音をいうと、いまの交通ルール、何かというと「歩行者保護」「歩行者優先」というが、ちょっとその度合いが過ぎちゃいないだろうか。

このルールが存在すること自体はいいのだが、じゃあ歩行者のほうがどれほどルールを守っているかと観察していると「こんなやつでもこちらは気ィまわして保護しないといけないのか」といいたくなるやつが少なくないのである。
自転車も含め、「歩行者優先」に保護されているという甘えが働いているのか、なーんにも考えていないのか、クルマはいつでもこちらに気を遣うのがあたり前といわんばかり、無防備に歩ったり走ったりしているやつがいかに多いことか。

まずはみなさんご想像どおり、スマートホン片手に下向いて歩くやつである。
画面を眺めることに集中してしまっているものだから、いまの自分の周囲に対してどうしても気がおろそかになっている。
これはみなさん、車道以外の場面ででも実感しているだろう。
エレベーター出入りが遅れるやつ、電車に乗る際、ドアとホームの間に落ちてテレポーテーションよろしく消えるやつ・・・あんなのは下向いているからで、手ぶらで前を向いているひとは遅れたり落ちたりしない。

横断歩道でもしかりで、前向いて渡っているならともかく、スマートホンを眺めてちりたらちりたら歩っているたったひとりの歩行者のために、ずらり並ぶクルマを待たせて平気でいる(ことにすら気づいていない)。
こんなのは、私は公共の道路を使う上でのエチケット違反だと思う。

クルマをずらり待たせていることや、背後をクルマが通っていくことなどつゆ知らず、スマートホンを眺めながら横断歩道を渡る歩行者。

歩いたり自転車に乗っている最中にまで見なきゃならないなんて、いったい何を見ているのだろうか?
いつぞやは、前後に小さい子を乗せながら自分はスマートホンを眺めて自転車で走る若い母親を見たことがある。
スマートホンだけではない、この際思いつく限り挙げると、歩行者信号が青点滅になって歩行者がようやく渡り切ったころ、自分のクルマのサイドを顔の横飛んでいくハエみたいにスレスレ(=歩道側からでなく)に通りぬけ、赤で突っ切るやつ。
明らかに赤になってから横断歩道に入り込んでちりたら歩くやつ。
横断歩道もないところを平気でとろぽろと渡るやつ・・・

わかりにくいと思うが、歩行者信号が赤であるにもかかわらず、堂々ゆっくり歩いている歩行者。タクシーはしびれを切らして動き始めている。
横断歩道なき道を渡る、いい年こいた2人の大人。

他には、歩道の車道側に突っ立ってスマートホンを眺め、横断歩道を渡るつもりなのかそうでないのか、はっきりしない姿のやつ。
こっちは事が起きないよう、ちゃんと左向いて確認しているんだ。
渡るなら渡る、渡らないなら渡らないでその場を離れるなど、どっちなのかはっきりせえ。
あと、タクシーを捕まえたいばかりに車道に大きくはみ出てこちらを向いているやつ。

自転車もひどい。
道を斜めに横断するやつ。

幅広の銀座の道を堂々と渡る自転車。

路上駐車をさけるべく、後ろを確認しないでクルマの前にはみ出るやつ。
よく不安にかられず出て来られるなと思う。

同じく銀座の道でタクシーをよけて走る自転車。
路上駐車車両を避けるべく、後ろの確認もせずに大きく車道にはみ出て走る自転車。後ろの確認もせず、よくはみ出ることができるもんだ。

はみ出るばかりか、クルマ並みに中央レーンに寄ったり、右折車線・・・いや、交差点内に出て信号待ちするという離れ業をやってのけるのもいる。

これにはぶったまげた。
右折レーンどころかレーンを超えて交差点中央付近で信号待ちしている自転車。こんなのは轢かれて命を落としたって自業自得で、轢いたクルマのほうこそ被害者だ。
左折レーンと直進レーンの間を通り抜ける雨の日の自転車。直進レーンのホンダのSUVや、それに続くハイエース、EVにはさぞ迷惑だったろう。、

どの場合もこちらが気づいているからいいようなものの、折悪く接触したら、それでも歩行者保護義務違反やら前方不注意とやらでドライバー側が悪になるのだろうか。

平素良識派でいるドライバーが、運悪く(とあえていう)ぶつかった相手がマナーの悪い歩行者や自転車なら、法的にはクルマが加害者でも実情はドライバーのほうこそ被害者だ。
もしこれがたまたま高齢の良識派ドライバーだったとしたら「これだから高齢者は・・・」で片付けられてしまう。
高齢でもちゃんとしているひとはいるのに、全国の良識派高齢ドライバーに失礼である。
こちらとしては逆に「ドライバー保護」の思想を訴えたくなってくる。

無謀ドライバーの存在は認めるが、多くのドライバーは事故を起こさないように周囲に気と目を配りながら走っている。
歩行者、自転車も多くは良識派だろうが、それにしてももうちょいもの考えて、まわりを見て歩いたり走ったりしてくれよ。

「歩行者保護」のために「歩行者無視」する考え方

ここからは「歩行者保護」の考え方のうち、歩行者信号のない横断歩道をクローズアップして考えてみる。

歩行者信号のない横断歩道。

歩行者信号のある場合の話は置いておくとして、歩行者信号のない横断歩道では(でも)クルマは止まらなければいけないことになっている。
だがこの決まり事、決していい考え方とは思えない。
何か大事(おおごと)が起きたとき、「ほら、こんなルールがあるのに」とかざし、とっととドライバーを悪者にして事を手っ取り早くおしまいにするための紋章にしか思えないのだ。
江戸川乱歩じゃないが、ドライバーにとっては「悪魔の紋章」である。

「歩行者保護」に限らず、そもそも「ルール=決まりごと」は歩行者、自動車双方がそのルールを知っていて、それを守るひとたちであることを前提に定められている。
でも現実には無謀なドライバーが、歩行者がいても無理して突っ切ろうとしたり、あるいは良識派でもつい歩行者の存在を見落としたりして事故が起きている。
信号有無とは無関係に。
となると実情を踏まえ、ルールを守らない人間やうっかり屋がいることを念頭に入れた啓蒙というか教えを子どものうちから叩き込んでおく必要があるのではないだろうか。

そこで冒頭に掲げた「ドラえもん」の「N・Sワッペン」である。

これはクルマ対歩行者に限らず、クルマ対クルマ、クルマ対自転車も含めた筆者の考えなのだが、なるべく単独で移動する、あるいは周囲にクルマや自転車、ひとがいても、それぞれ同士ができるだけ離れるようにして走ったり歩いたりすることを周知徹底する方がいい。
まるで身体や車体に「N」と「N」、「S」と「S」のワッペンをつけたかのように。
こう書くと、「これだけの混合交通の中で『単独に』なんてできるわけないじゃないか」と反論が出るに違いない。
自分でもそんなシチュエーションではないことのほうが多いことは重々承知だ。
でも「なるべく単独で」の意識を持っているのといないのとでは大違いだと思うのだ。

これを信号のない横断歩道に当てはめると、クルマは歩行者の姿があってもいっそのこと、そのまま通り過ぎてしまうことにしたほうがいいのではないかと考えている。
そして歩行者は「あのやろう!」なんて腹を立てるのではなく、「先に行かせてやった、ハッハッハ・・・」と大きく構えるのである。
警察連中はクルマの通過を見かけても杓子定規に御用にするのではなく、ニコニコ笑って容認すべし。
とっつかまえるべきはもっと他にある。

これはつまり「歩行者保護」のために「歩行者無視」するという考え方だ。
この思考にガラリと変えることで、歩行者はいつも周囲に何もない状態で渡ることができる。
クルマをさっさと遠ざけてしまうことがねらいだから、通り過ぎたドライバーが良識派だろうと無法者だろうとおんなじことだ。

このほうがよほど安心・安全に渡ることができるし、クルマだってさっさと歩行者から離れることになるわけだから、少なくともそのひとにぶつかる心配はなくなる・・・結局はそのほうがお互いのためになるのだ。
わざわざクルマを止めて双方同じ場にいさせることはない。

私にいわせれば、横断歩道渡ってりゃクルマは必ず止まるものと錯覚させるようなルールのほうがよっぽど危険で、子供(大人も)が「クルマはそこの停止線で止まるに決まっている」「自分のことが見えているに決まっている」と思い込んでいることのほうが恐ろしい。
相手がこちらを認識している保証はどこにもないのにである。
その意に反してクルマが突っ込んできたらどうなるか、いうまでもあるまい。

大丈夫だとは思うが、勘違いしてほしくないのは、「歩行者保護のために歩行者無視」というのは筆者の考えで、いまのところ「信号のない横断歩道にひとがいたらクルマは止まらなければいけない」のがいまのルールだ。
決して突っ切ったりしないように。

とある小学校前の、通学路上にある歩行者信号のない横断歩道。
祝日のきょう(4/29(水))に急いで撮ってきたので、小学生はいない。
「クルマは止まるもの」と思い込んだ子供が渡っているときにクルマが突っ込んできたら惨事となる。
やはり「歩行者無視」のほうがいいのでは・・・

私は自動車を運転するいっぽうで歩行者になることもあり、待たされるクルマ側の気持ちがわかるので、横断歩道を渡るときは歩行者信号があろうとなかろうと、クルマに「ども!」てな具合にちょい会釈して小走りで渡ることにしている。
逆に渡る前から待たせてしまいそうだとわかったときは、横断歩道までの歩行速度を落とすか、ハナっから渡る気などなかったようなそぶりを見せ、クルマにこちらの存在を意識させることなく通過するように仕向ける。
特に周囲にひとがおらず、複数のクルマがあるときは、自分ひとりごときのために気を遣わせたり、タイミングの悪いブレーキをかけさせたくないのだ。

40km/h制限の道をやってきたクルマが30km/hだろうと70km/Lであろうと、とにかく先に行かせる。
考えすぎだと自分でも思うが、ヘタにブレーキをかけさせてその後ろのクルマに追突させる可能性がわずかにでも生じるなら、自分が待ってクルマを先に行かせる方がいい。
この追突の可能性については後ほどまた触れる。

いつだったか、自分んちの車庫に入る直前の住宅街交差点で自転車のおっちゃんに道を譲ろうとしたら、というよりこちらが「止まれ」なので止まったら向こうもこちらに譲ろうとし、「どうぞ」「いやいやそちらこそどうぞ」がそのうち「いいから行け!」「そっちが行けよ!」てな具合にゆずり合いのけんかになりそうになったことがあり、これはこれで困ったものだが、ぶつかってしまうよりはるかにましだ。
あんときは結局どっちが譲歩して進んだんだっけ(日本語としてはおかしいのだがこれが事実だった)。

余談さておき、もうひとつ小走りする理由は、車道からさっさと抜け出たいというのがある。
歩道を歩いていたってクルマが突っ込んでくる事故が少なくないのである。
ましてや横断歩道をゆっくり歩いて車道にいる時間を長引かせるなんて、いきなり現れる無謀なクルマに轢かれる確率を上げようとしているものだ。
元来クルマがビュンビュン走る車道と同じ平面上に長時間いるこたぁない。
「クルマに先に行かせる」のも「車道からさっさと脱したい」のも、早く「単独になりたい」という意識が根底にある。

なるべく単独」はクルマの運転にも

この「なるべく単独」「お互いに離れる」が有効な場面は他にもあって、夜クルマで走っているとき、眠いのか酒飲んでいるのかスマートホンをいじくっているのか、右に左にフラフラ蛇行しながらノロノロ走っている先行車の後ろにつくことがある。
このようなときは決して追い抜いたりせず、こちらが速度を落としてそのままついて行くか、向こうが曲がるのを待つかをするのが得策だ。
これは同じ「離れる」でも自分が譲歩して相手が常に自分の前にいることを保ち、いずれ相手が自分から離れるように仕向ける考え方だ。
離れる様子がなければこちらが道を逸れるかコンビニエンスに寄り道する。

下手に追い抜いた先で運悪く先の赤信号で停止し、怪しい挙動のクルマに追っつかれて追突されようものならそっちのほうがはるかに厄介だ。
わずかな時間を稼ぎたいばかりに追い抜いて追突されようものなら、保険だの過失割合がどうだの修理だの、追い抜きで稼いだ時間なんか吹っ飛ぶほどの厄介ごとに後々時間を費やすことになる。

これは本文とちょっとずれた写真なのだが、信号待ち時、ルームミラーを通して撮った後続車両。
スマートホンを信号待ちで触っているからいいようなものの、そのまま後ろ着いて来られたらイヤなので、早々に左によって道を譲った。

・・・・・・・・・。

「歩行者保護」を主題にしたのに、途中から怪しい挙動のクルマから離れる運転法の話にずれてしまって申し訳ない。

桜田門の考えを聞いたのですが・・・

実はこの「歩行者保護」とは何のためなのか、その考え方についてどう思っているのか、答えはおおよそわかりきっているくせに、警察庁および警視庁にたずねてみたのだが、明確な回答は得られなかった。
というのも、法規に絡むこのような質問となると取材の正式な依頼書&やり取りが必要になり、かつ回答に最大2週間、いまならゴールデンウィークだから3週間かかるかも知れぬとのことだった。
前に交通事故の現場検証についてたずねたときはその電話の中で回答くださったので、今回もてっきりそのつもりでいたのだが、正式依頼したらこの連休中の記事公開には間に合わないことになるのであきらめた。
これじゃあ「クルマは止まるもの」と思い込んでいるやつと大差ない。
私のミスである。
もし機会があったら正式にたずね、ここで警察庁なり警視庁なりの回答を披露したい。

ただ、収穫がなかったわけではなく、先述のこちらの考え=「歩行者保護は実情に即していない。むしろ歩行者を無視するほうが結果的にいいのではないか」と述べたところ、警察庁の広報の方は「なるほど」とうなずいてくれたし、警視庁の広報の方も「なるほど、そのような考え方は新鮮で・・・」とうなるばかりか、こちらが何をいう前から、「クルマを止まらせることで後ろのクルマから衝突の可能性もありますしねえ・・・」と、筆者がさきに「後述」とチラつかせたことをつぶやいていたほどだ。
いずれも電話に出た方の個人的な思いで、公的な回答ではないことを筆者として念押ししておくが、このぶんなら、何も私がここで訴えなくても、「歩行者保護のために歩行者無視」の考え方に改めてくれるだろう、50年後くらいには。

なお、警視庁で電話対応してくだすった広報の方は、これが桜田門のあのいかめしい警視庁の建物にいるひとかと思うほど感じのいい、かつ話のわかる方だった。
警視庁というよりは下町の中小企業の営業マンという感じの方で、このようなひとが取り調べをしたら、どんな凶悪犯でも心をたちまち溶解させ、罪状を認めるだろう。
広報といわず、波越警部か十津川警部のいる捜査一課に配属されたら、平塚八兵衛とはまた違う名刑事になるやも知れぬ。
赤信号で止まり、青信号で進んだら練馬警察に止められ、いちゃもんつけられて以来、警察嫌いになっている私も、今回、警視庁だけは「こういうひとがいるのか」と見直した。

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いま新車を買えば、よほどの低廉機種でもない限り全方位カメラを備え、クルマや歩行者、自転車を認識して、ときにハンドル操舵、ときにブレーキングを行なう運転支援機能がついてくるようになった。
ゆえに板金屋さんの仕事が減るほどクルマ対クルマの接触事故は減少しているようだが、あくまでも支援=補助に過ぎず、いくらクルマ側が先進機能を備えていても、歩行者や自転車に乗る人間が周囲に注意する意識がなければ接触事故はなくならない。
クルマ対クルマの接触が減っているのは、相手のクルマ本体もこちらを認識しているからである。
歩行者や自転車だって周囲の様子をちゃんと把握してくれないと、いくら最新のアイサイトやプロパイロット、スマートアシストなどが働いてクルマを止めても、そちらからぶつかってくる歩行者や自転車を回避することはできない。

この4月から自転車に「青切符制度」が導入されたが、それでもだめなら自転車だって免許制にすべきだという声を挙げるひとがいる。
筆者なんぞは、歩行者だってひどいのがいるから、歩くのだって免許制にしたらいいと思うことがある。
スマートホンのながら歩き、歩行者信号無視、横断歩道のない道を渡るなど、周囲に気を配らない、マナーの悪い歩き方をしているやつは、漁船が網でサンマを捕獲するがごとく、「安全歩行義務違反」でごっそりとっつかまえて切符切るなりげんこつくれてやるなりすればいい。

こうなると「飲酒はどうなる?」となるので、このさい悪いが免許のない酒好きにも巻き添えになっていただき、居酒屋で酒飲んだら「飲酒歩行」で逮捕ということにさせてもらおう。
酒は家で飲むか、飲んだ店に泊まるしかなくなる・・・なんていうことにならないいまのうちに、「歩行者保護」なんていうきれいごと一色ではない、もうちょい実情に即した考え方のルールを設けるときだと思う。
このままだと何十年後かには自転車だって歩行だってほんとに免許制になりかねず、どんどん暮らしにくくなる。

とにかく!
クルマにも悪質なのが多いが、歩行者や自転車にだってひどいのが多い。