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■フェアレディ1600がロスマン12時間レースで優勝

日産「フェアレディ1600」がロスマン12時間レースでクラス優勝(1967年9月5日発表)

1967年(昭和42)年9月5日、日産自動車は「フェアレディ1600」が9月3日に開催されたロスマン12時間レース(オーストラリア)でクラス優勝したことを発表した。フェアレディは、「フェアレディZ」の源流に相当する小型オープンスポーツで、1960年1月に誕生した「フェアレディ1200」から、「1500」、「1600」へと進化し、最終的には「フェアレディ2000」も登場した。

国内で初めてフェアレディを名乗ったフェアレディ1500

ダットサンフェアレディ SPL213:ダットサンフェアレディ(SPL212 型)は1960年1 月から北米輸出専用車として発売され、小型スポーツカーとして自動車先進国アメリカで一定の評価を獲得した。同年10 月にSPL213 型へとマイナーチェンジを受け、従来と同じ1189cc エンジンながら圧縮比を7.5 から8.2に変更するなどで48psから55psへパワーアップされた。これらダットサンフェアレディシリーズの生産台数はSPL212・213型合計でも500 台程度だったため、現存する車両は貴重だ。画像のクルマは大きな曲線を描くモールで分割された赤と白のツートーンカラーがおしゃれなSPL213 型で、Lは左ハンドル(left-hand drive)を示す記号

戦後の1950年代初頭、日産自動車は海外進出のために当時欧米で人気だった小型スポーツカーの開発を進めた。1952年にオープンカー「ダットサンDC-3」と1959年の「ダットサンスポーツ1000」、1960年1月には北米専用モデルながら初めてフェアレディ(表記は、フェアレデー)の名を冠した「ダットサン・フェアレデー1200」の発売を始めた。しかし、いずれもセダンのルーフを取ったオープンスポーツで、海外モデルには太刀打ちできなかった。

1962年10月にデビューした国内初の本格的なスポーツカー「フェアレディ1500」

そこで、本格的なスポーツカーを目指して開発されたのが、1962年10月にデビューしたオープンスポーツ「ダットサン・フェアレディ1500(SP310)」だった。満を持して登場したフェアレディ1500は、新しくデザインされた3人乗りの当時欧州で流行っていたクラシカルなスタイリングを採用。初代「ブルーバード(310型)」のシャシーに補強のためのX型フレームを追加し、サスペンションもブルーバード用のスプリングやダンパーを強化したものが使われた。

パワートレーンは、最高出力71ps/最大トルク11.5kgを発揮する1.5L 直4 OHVエンジンと4速MTの組み合わせ、駆動方式はFRである。

ダットサンフェアレディ1500 第1回日本グランプリ B-IIカテゴリー優勝車:1961年の第8 回東京モーターショーで発表、翌年に発売されたのがダットサンフェアレディ1500(SP310型)。型式名のとおりダットサンブルーバード310 型のシャシーへセドリック30型の1.5Lエンジンを積んだ新型スポーツカーで、それまでにない本格高性能車として話題になった。1963年には「ホンダS500」も発売され、日産がスポーツカーの先鞭をつけた日本でも、ようやくスポーツカー黄金期が始まりつつあった。画像のクルマは1963年、日本初の本格モータースポーツイベント「第1回日本グランプリ」のB-IIカテゴリーで、のちのSCCN(日産スポーツカークラブ)会長の田原源一郎氏のドライブで優勝した実車。日本仕様の71psエンジンから、輸出向けツインキャブ仕様の80psへ出力向上していた

エンジン性能自体は特別突出したものではなかったが、車重が870kgと軽かったため、最高速度は150km/h、0-400m加速19.7秒を記録。その快速ぶりを証明するように、翌1963年には第1回日本GPのスポーツカー1300cc~2500ccクラスで、圧倒的な走りを見せて優勝した。

ただし、車両価格が85万円(現在なら約1150万円に相当)と高価だったこともあり、日本よりも海外で販売を伸ばした。

パワーアップしたフェアレディ1600

1965年5月にデビューした「フェアレディ1600」

米国で人気を獲得した「フェアレディ1500」は、日産の米国輸出モデルの重要な役目を担うようになり、米国市場からの要望に応える形でパワーアップを図った。それが、1965年5月にデビューした、エンジン排気量をアップしたオープンスポーツ「フェアレディ1600(SP311)」である。

フェアレディ1600のエンジンは、初代「シルビア」に搭載された1.6L 直4 OHVエンジンを2連装キャブレターなどでチューンナップして、最高出力90ps/最大トルク13.5kgmへパワーアップ。トランスミッションは、4速MTが組み合わされ、最高速度は165km/hまで向上した。

その他にもシャシーやボディなど各部に改良が加えられ、1.6Lクラスの欧州スポーツカーに対抗する走りをアピールした。車両価格は、93万円に設定。当時の大卒初任給は2.3万円(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で930万円に相当する。

海外レースでも実力を発揮したフェアレディ1600

1966年第3回日本GP グランドツーリングカーレース。優勝は高橋国光選手のSP311日産フェアレディ
1966年第3回日本GP グランドツーリングカーレースのエントリー全車
1966年第3回日本GPのグランドツーリングカーレースで優勝を飾った高橋国光選手のフェアレディ1600
1966年第3回日本GPのグランドツーリングカーレースで優勝を飾った高橋国光選手
都平健二選手のフェアレディ2000が優勝した1968年日本GPのGTレース

フェアレディ1600は、国内外のレースに積極的に参戦した。国内では、2輪で名を馳せていた高橋国光選手が4輪に転向した直後にフェアレディ1600をドライブして、1966年の第4回クラブマンレース、第3回日本GPのGTクラスで優勝を飾るなど、その走りは圧巻だった。

日産「フェアレディ1600」がロスマン12時間レースでクラス優勝(1967年9月5日発表)
ロスマン12時間レースで激走する「フェアレディ1600」

そして海外レースでは、1967年9月3日にオーストラリアのブリスペン郊外のサーファーズ・パラダイス・インターナショナル・サーキットで開催されたロスマン12時間レースにも参戦。ロスマン12時間レースは、1周約3.2kmのサーキットを12時間にわたって走行するFIA公認の国際耐久レースで、フェアレディ1600はMGB、ボルボ122S、トライアンフGT6などをおさえ、クラス(2000cc以下)優勝の栄光を獲得した。

1967年9月にデビューしたフェアレディシリーズの最高峰「ダットサン・フェアレディ2000」

1967年3月、さらなる高性能スポーツを望む米国のスポーツカーユーザーのために、さらにパワーアップしたシリーズ最高峰「フェアレディ2000(SR311)」が登場。最高出力145ps/最大トルク18.0kgmを発揮する2.0L 直4 SOHCエンジンを搭載し、最高速度は205km/h、0-400m加速は15.4秒を誇った。1967年と1968年の日本GPのGTクラスで圧巻の2連覇を成し遂げる走りを披露したのだった。

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1969年10月にデビューし、大ヒットした日産初代S30型「フェアレディZ」

このフェアレディシリーズの最終進化形として1969年10月に登場したのが、現在も日産のフラッグシップスポーツであり、日本を代表するFRスポーツの名車「フェアレディZ(S30)」だ。フェアレディZはそれまでのオープンスポーツではなく、誰にでも入手でき、楽しめるクーペスポーツに変貌した。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。

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