Ferdinand Karl Piech
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Bugatti Veyron
ピエヒが求めたスーパースポーツのビジョン

ヴェイロンの誕生に至った、フェルディナント・カール・ピエヒ──。ブガッティはその慧眼を讃えたドキュメンタリーフィルムを制作した。ブガッティ会長のクリストフ・ピオションと、デザイン部門の責任者を務めるフランク・ヘイルが、彼らの視点を交えて、その誕生秘話を明かす。
サーキットで圧倒的パフォーマンスを発揮しながら、オペラにも出かけられる洗練さを融合させた存在。ピエヒは相反する要素を融合させたハイパーカーの誕生を求めた。物理法則の限界に挑むかのようなビジョンがいかにして現実へと至り、自動車の歴史に革命を起こしたのか──。その記憶は現在に至るまでブガッティの中に息づいている。
エンジニアリングにおけるピエヒの卓越した才能は、ブガッティのデザインにも大きな影響を与え、ヘイルがブランドに加わった当時も存在感を示していたという。現在、デザインディレクターを務める彼が2008年にブガッティへ入社した時、ヴェイロンはすでにパフォーマンスの常識を書き換えつつあった。
ヴェイロンが様々な記録を打ち破ってもなお、ブガッティは「完璧への追求」を緩めることはなかった。彼の最初のプロジェクトである「ヴェイロン スーパースポーツ」は、最高出力1200PS、最高速度430km/hという目標を掲げ、さらなる限界への挑戦を目指した。生前のピエヒはこうした数値目標に強い関心を抱き、車両をいかにしてさらに洗練させられるかを、徹底的に追求している。
ヘイルに与えた、ピエヒの言葉

2009年9月、スーパースポーツの圧倒的なスペックとデザインが完成に近づくなか、ヘイルはテールライトに新たな方向性を模索し始めた。細部に至るまで完璧を追い求め、あらゆる可能性を検討し、アイデアを練り上げていったが、最終的にそのコンセプトはスーパースポーツのデザインには採用されなかった。
その際のピエヒの反応は、まさに彼の本質を表しており、未来を見据えた簡潔な一言に集約されていた。「次の機会に」と。
ブガッティは常に前を見据え、世代や時代を超越する革新を生み出してきたが、ピエヒの先駆的精神はその流れをさらに推し進めたのである。
「どのプロジェクトにおいても、彼は常に先を見据え、革新の追求の中でいかなるアイデアも失われないようにしていました」と、ヘイルは振り返る。
そして2020年代、その「次の機会」はついに訪れた。ヴェイロン誕生から20年を経て、その持続的な影響力は、彼の天才性を讃える特別なオマージュモデル「F.K.P.オマージュ(F.K.P. Hommage)」で結実した。このプロジェクトはヘイルにとっても特別な意味を持ち、ワンオフモデルとして具現化されたデザインの多くは、長年にわたり彼と議論されてきたアイデアに基づいていた。
「ヴェイロン スーパースポーツで検討されたものと同様、当時は採用されなかったコンセプトも、私たちの中に残り続けていたのです」
ヘイルが温めてきたアイデアが、F.K.P.オマージュで結実したとき、そこにはひとつの一貫性を持った流れが宿っていた。
「このクルマを発表したとき、まるでピエヒがまだ開発に携わっているように感じられました。彼の革新的な精神は、あらゆるディテールに息づいていたのです」と、ヘイルは語る。
トゥールビヨンで結実したアイデア

2013年、シロン開発初期にもピエヒの想いが反映されていた。当時、ピエヒは、上方へと展開するディヘドラルドアの可能性に強い興味を示し、よりドラマチックな乗降体験を構想していた。
「私たちはあらゆる可能性を検討しました。しかし、当時は実現できなかったため、彼は再び“次の段階”へとそのアイデアを持ち越したのです」と、ヘイルは説明する。
それはデザイン革新を一時の成果に閉じ込めず、世代を超えて成熟させる継続的進化のアプローチである。そしてそのビジョンは、マテ・リマックによるトゥールビヨンにおいて胎動し、ついにディヘドラルドアとして実用化することとなった。まさに新時代のブガッティにおいて、ピエヒのデザイン哲学と精神を受け継ぐ存在となったのである。
フェルディナント・ピエヒとブガッティの関係を動画でチェック!

