スポーツカーが一台もなくなったトヨタ
2009年当時、トヨタのラインアップからスポーツカーは消えていた。
A80型スープラは2002年、7代目セリカは2006年に販売を終了。最後まで残ったMR-Sも2007年に生産を終えていた。かつてスープラ、セリカ、MR2といったスポーツカーを揃えていたトヨタに、スポーツカーが一台もない時代が訪れていたのである。
そんななか、2009年10月の東京モーターショーで姿を現したのがFT-86 Conceptだった。
その4カ月前の6月、トヨタの社長に就任したのが豊田章男氏である。
ただし、FT-86は「章男社長が作らせたスポーツカー」ではない。トヨタとSUBARUによるスポーツカー構想は2005年に始まり、2006年には開発チームが動き始めていた。豊田章男氏が社長になるより前から、86への道は始まっていたのである。
しかし、その後のFT-86から量産86へ至る物語を振り返ると、このクルマが豊田章男氏の掲げる「もっといいクルマ」「運転する楽しさ」を象徴する存在になっていったことも確かだ。
2009年の東京モーターショーでトヨタが世界初公開した「FT-86 Concept」。名前からもわかるように、このクルマはのちのトヨタ86を予告したコンセプトカーである。2011年には市販化へさらに近づけた「FT-86 II Concept」が登場し、2012年にはほぼ予告どおり86として市販された。
「あのコンセプトカー、どうなった?」という問いに対する答えとしては、これほどわかりやすい例もない。しかし、FT-86の物語はそこで終わらなかった。86の登場後、トヨタはオープンとシューティングブレークという、量産86とはまったく異なるふたつの可能性を提案している。実現した未来と、実現しなかった未来。FT-86から始まった7年間を振り返ってみよう。
トヨタが2009年に提示した「小型FRスポーツ」
FT-86 Conceptが世界初公開されたのは、2009年の第41回東京モーターショーだった。
トヨタが掲げたテーマは明快だった。「クルマ本来の運転する楽しさ、所有する歓び」を提案する小型FRスポーツである。
「FT」は「Future Toyota」の略。そして「86」はもちろん、1980年代のAE86型カローラレビン/スプリンタートレノを意識したネーミングだった。
ただし、FT-86はAE86を現代風に作り直したクルマではない。
最大の特徴はパワートレーンにあった。搭載するのは2.0L水平対向4気筒自然吸気ガソリンエンジン。これをフロントに低く搭載して後輪を駆動する。
SUBARU(当時の富士重工業)との共同開発だからこそ可能になったパッケージだった。
ボディサイズは全長4160mm×全幅1760mm×全高1260mm、ホイールベース2570mm。現代のスポーツカーとしてはかなりコンパクトで、低い。
ボディカラーには青みを加えた「FLASH RED」を採用。インテリアも「構造部位を極限まで鍛え抜いた身体に、最小限のカバーを着せる」イメージでデザインされ、機能をむき出しにするようなスポーツカーらしい表現が取り入れられた。
現在の86を知っている目で見ると興味深い
低いノーズ、前後フェンダーの張り出し、コンパクトなキャビン、短いリヤデッキ。量産86へつながる基本的なプロポーションは、この段階ですでにできあがっていた。
2011年、デザインは大きく変わった
それから約1年半後の2011年ジュネーブ・モーターショーで登場したのが「FT-86 II Concept」である。
トヨタ自身、「FT-86 Conceptをより一歩、市販化へ近づけたデザインスタディ」と説明したモデルだ。

下がFT-86Ⅱ Concept(2011年)全長×全幅×全高:4235mm×1795mm×1270mm ホイールベース:2570mm
ところが2009年型と2011年型を横から並べてみると、意外なほど違う。
初代FT-86 Conceptは比較的シンプルだ。低いノーズからルーフ、リヤデッキへと続くシルエットも素直で、ボディサイドの面構成も比較的クリーンだった。
対してFT-86 IIはずっとアグレッシブである。



フロントフェンダーの峰は強調され、ドアからリヤフェンダーにかけて大胆な抑揚が付けられた。リヤフェンダーも大きく張り出し、全体として筋肉質なスポーツカーへと変貌している。ボディサイズも4235mm×1795mm×1270mmとなり、初代より全長75mm、全幅35mm大きくなった。
ところが、ひとつ変わっていない数字がある。
ホイールベースは2570mmのままなのだ。
そして翌2012年に登場する量産86も、全長4240mm×全幅1775mm×全高1300mm、ホイールベース2570mm。やはりホイールベースは同じである。
2009年の最初のFT-86 Conceptから量産86まで、スタイリングはかなり変化した。それでもクルマの基本骨格となるホイールベースは変わらなかった。
つまりFT-86の場合、量産化へ向けて大きく変わったのは「パッケージ」よりも「デザイン」だったと見ることができる。
FT-86とFT-86 II、両方から生まれた量産86

中がFT-86Ⅱ Concept(2011年)全長×全幅×全高:4235mm×1795mm×1270mm ホイールベース:2570mm
下が86(2012年)全長×全幅×全高:4240mm×1775mm×1300mm ホイールベース:2570mm
2012年に発売された86を加えて3台を並べると、さらに興味深い。
量産86はFT-86 IIに近い。
低いノーズや張り出したフェンダー、ドアからリヤフェンダーへ続く面、ファストバック的なシルエットなど、基本的な造形はFT-86 IIから受け継がれている。


しかし、FT-86 IIほど過激ではない。
ボディサイドの面は整理され、前後の造形も量産車として現実的なものになった。結果として、2009年の初代FT-86が持っていたシンプルさも戻ってきたように見える。
つまり、
FT-86 Conceptで基本形を提示する。
FT-86 IIでデザインを大胆に振る。
量産86でふたつを現実的なところへ収束させる。
そんな開発の流れが、3台を並べることで見えてくる。
そして中身についても、最初のコンセプトはかなり正確に量産車の未来を予告していた。


量産86に搭載されたのはFA20型2.0L水平対向4気筒DOHC自然吸気エンジン。SUBARUの水平対向エンジン技術とトヨタのD-4S直噴・ポート噴射技術を組み合わせたユニットで、FRレイアウトとの組み合わせによって低重心スポーツを実現した。
企画とデザインを主にトヨタ、車両開発と生産を主にSUBARUが担うという、異例の共同開発から86/SUBARU BRZは誕生したのである。
しかし、86の物語はそこで終わらなかった
普通なら「あのコンセプトカー、どうなった?」の答えはここで終わる。
FT-86 Conceptは86になった。めでたし、めでたし、である。
ところがトヨタは、86を発売してからもこのクルマの可能性を探り続けた。
2013年のジュネーブ・モーターショーで発表されたのが「FT-86 Open Concept」だ。


写真を見ればわかるように、単なるデザインスタディとは思えないほど完成度が高い。
基本的なボディは86そのもの。そこからルーフを取り去り、電動開閉式ソフトトップを装備した4シーター・オープンスポーツへ仕立てている。
ボディサイズも全長4240mm×全幅1775mm×全高1270mm、ホイールベース2570mm。全長、全幅、ホイールベースは量産86と同じだった。
当時、実車を見たオープンモデルに詳しい専門家も「非常によく出来ていて、市販化されても不思議のない完成度だった」と評価していた。
では、これほど完成度の高かったFT-86 Open Conceptは、なぜ市販されなかったのか。
技術的に実現できなかったわけではない。86のチーフエンジニアだった多田哲哉氏は当時、オープン化そのものについて「技術的には問題ない」という趣旨の発言をしている。一方で、市販化を阻んだのはビジネスだった。多田氏は、コンバーチブル市場そのものが小さく、ショーカーを見た人は「いい」と言っても、実際に購入するかどうかは別だと指摘していた。
86 Openにはボディ補強や電動ソフトトップなどが必要で、当然クーペより重く、高価になる。それを限られた販売台数で回収しなければならない。北米、とりわけカリフォルニアなら一定の需要は期待できただろう。しかし、世界にはすでにマツダMX-5という強力なライバルが存在していた。
作れなかったのではない。作ってもビジネスとして成立させるのが難しかった。
FT-86 Open Conceptは、そんな「市販化寸前で消えた86」だったのである。
もうひとつあった「86の未来」
それから3年後の2016年、今度はさらに意外な86が姿を現した。
「GT86 Shooting Brake Concept」である。

こちらはトヨタ・オーストラリアの商品デザインチームが発案・開発し、日本でグローバルスポーツカー部門の指揮のもとハンドビルドされたプロトタイプだった。
フロントからドア周辺までは紛れもなく86。しかしクーペのルーフをそのまま後方へ伸ばし、大きなリヤクォーターウインドウとテールゲートを設けている。
86がシューティングブレークになったのである。

これも面白い提案だった。
スポーツカーの低いドライビングポジションやFRならではの走りを残しながら、荷室の実用性を高める。クーペより生活に寄り添ったスポーツカーという考え方だ。
しかし、こちらも量産されなかった。

実現した未来と、実現しなかったふたつの未来
振り返ってみると、FT-86から始まった一連のコンセプトカーは興味深い。
2009年のFT-86 Conceptは、小型・軽量・低重心のFRスポーツという未来を提示した。
2011年のFT-86 II Conceptでそれを量産車へ近づけ、2012年に86として実現した。
しかしトヨタはそこで終わらなかった。
2013年にはオープン、2016年にはシューティングブレークを作った。
しかも当時のトヨタ・ブランドには量産オープンスポーツはなく、シューティングブレークもない。86というスポーツカーを使って、それまでのトヨタの商品ラインアップにはなかった可能性まで模索していたことになる。
結局、86から生まれた量産ボディはクーペだけだった。しかし、だからこそFT-86から続くコンセプトカー群は面白い。
実現した未来が86。
実現しなかった未来がFT-86 Open ConceptとGT86 Shooting Brake Concept。
「あのコンセプトカー、どうなった?」という問いに対する答えは、単に「86になった」だけではない。
FT-86 Conceptは86を生み、その86を使ってトヨタはオープン、シューティングブレークという「実現しなかった未来」まで模索した。そしてもうひとつ、このクルマが取り戻したものがある。トヨタのスポーツカーである。
FT-86は豊田章男氏が始めたプロジェクトではなかった。しかし結果として、「章男トヨタ」のスポーツカー復活、その第一号となった。その後、トヨタのスポーツモデルは86、GR Supra、GR Yaris、GR Corolla……と一気に広がっていく。
そう考えると、2009年のFT-86 Conceptは、単なる「次期86の予告編」ではなかったのかもしれない。スポーツカーが一台もなくなったトヨタが、もう一度スポーツカーを作るメーカーへ戻っていく。その始まりを告げたコンセプトカーだったのである。
