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WGPリアルレプリカの超個性派RG500Γ(1985年)
1980年代は、2輪車レース人気も真っ盛りだった時代だ。特に、世界最高峰の「WGP(ロードレース世界選手権、現在のMotoGP)」は大流行し、多くのバイクファンが熱狂。ワークスマシンをイメージした2ストロークエンジン搭載のレーサーレプリカが飛ぶように売れた。
そんなレーサーレプリカのなかでも、究極モデルのひとつといえるのが、1985年に登場した2スト・500ccマシンの「RG500Γ(ガンマ)」だ。
当時のスズキは、WGPのトップクラスGP500ccクラスで、1976年から1982年まで7年連続でメーカーチャンピオンを獲得。ライダーチャンピオンも、1976年と1977年の2連連続でバリー・シーン、1981年にはマルコ・ルッキネリ、1982年はフランコ・ウンチーニがそれぞれ獲得し、WGPの500ccクラスを席巻した。RG500Γは、そうしたスズキ製ワークスレーサーの技術を投入。しかも、エンジンの排気量も同じ500ccを搭載するリアルレプリカだということで、大きな話題となった。
車名は、1981年以降のスズキ500ccワークスレーサー「RGΓ」が由来。また、特に、採用するエンジンに特徴があり、当時のワークスレーサーと同じ、水冷2サイクル「スクエアフォー」エンジンを採用(最高出力64PSを発揮)していた。
スクエアフォーとは、4気筒を正方形に配置した独特のエンジン形式だ。2気筒エンジンを前後に配置したような形式で、4気筒を橫に配置する直列4気筒などと比べると、エンジン橫方向をスリムにできるなどのメリットがある。スズキは、1960年代からレースで実績のあるロータリーバルブ吸気の2気筒エンジンを前後2つに並べることで、高出力化とエンジンのコンパクト化を図ったといえる。
当時は、ヤマハでも、1984年にWGP500ccマシン「YZR500」のレプリカである「RZV500R」を発売。こちらは、やはり、ヤマハのワークスレーサーと同じ500cc・2ストV型4気筒を搭載した。
また、ホンダでも、1885年に、当時のWGP500ccマシン「NS500」のレプリカといえる「NS400R」を発売。こちらは、排気量を400ccに設定していた。
これは、当時、所得者が多かった中型限定二輪免許(いわゆる中免、現在の普通二輪免許)に対応させるためだ。ただし、エンジン形式は、NS500と同じく、前方水平に2気筒、その後方に90度の角度で1気筒を配置した400cc・2ストV型3気筒を採用した。
これら3モデルは、いずれも、各メーカーが、自社製WGP500ccワークスレーサーのエンジン形式や排気量をそのまま市販車に投入したことで、とてもエキセントリックなマシンだったといえる。
ただし、スズキのRG500ΓやヤマハのRZV500Rは、取得がかなり困難だった限定解除二輪免許(現在の大型二輪免許)でしか乗れないこともあり、セールス的には今ひとつだったようだ。
ちなみに、スズキは、ホンダのNS400Rと同じく、中型限定二輪免許に対応したRG500Γの400cc版「RG400Γ」も、やはり1985年にリリース。一定のセールスを記録するが、今振り返ってみれば、やはりリアルレプリカといえば、RG500Γの方だといえるだろう。
実は、RG500ΓやRG400Γが登場した1985年の前年、1984年からスズキはWGPのワークス活動を休止中だった(1988年に復活)。だが、そんな状況下でも、かなり独創的なエンジンレイアウトを採用し、スズキ車を愛する世界中のファンから大きな注目を集めたのが、RG500Γだったといえる。
人気シリーズの源流となった初代GSX-R(1984年)
「GSX-R」といえば、長年スズキの人気シリーズとなったスポーツモデルの呼称。その源流といえるのが、1984年に登場した400ccモデルの「GSX-R」だ。
当時は、WGPだけでなく、鈴鹿8耐など耐久ロードレースも大盛り上がりをしていた時代。そんな背景のなか、1983年の世界選手権耐久レースのチャンピオンマシン「GS1000R」のレプリカモデルとして登場したのがGSX-Rだ。
エンジンには、398cc・水冷4ストローク直列4気筒を採用。当時は、限定解除免許と比べ、比較的取得しやすい中型限定二輪免許が大人気。その免許で乗ることのできる最大排気量として、400cc高性能モデルのニーズが高まっていた。
そんな市場のニーズに対応させたのが、GSX-R。デュアルヘッドランプを装備したフルカウルのフォルムは、まさに耐久チャンピオンマシンさながら。燃焼効率を高める機構「ニューTSCC」などを採用したパワーユニットは、当時の400ccモデルとしては最もパワフルな最高出力59psを発揮した。
また、車体には、新形状のアルミ製MR(マルチリブ)-ALBOXフレームを採用。これは、フレーム断面に4つのリブを持つ押出し材を使用したダブルクレードルタイプで、軽量化に貢献。ほかにも、各部を徹底して軽量化することで、乾燥重量152kgを実現し、俊敏なハンドリングなどを実現した。
ちなみに、初代モデルの車名には、排気量を表す400という数字が入っていない。これは、クラスを超えた高性能といった趣旨のため、あえて入れなかったといわれている(1988年のフルモデルチェンジ時に「GSX-R400」ヘ変更)。
まさに、クラスレスの高性能を持つことと、耐久レーサーさながらのスタイルなどにより、初代GSX-Rは大ヒットを記録。400ccクラスのレーサーレプリカ・ブームが起こるキッカケとなったモデルのひとつだといえる。
その後、スズキは、1985年に750cc・4スト4気筒の耐久レーサーレプリカ「GSX-R750」をリリース。独自の油冷エンジンを採用したこのマシンは、大型モデルとしてはコンパクトで軽量な車体と、最高出力77psというハイパワーを実現。こちらも好調なセールスを記録した。
これらマシンの成功により、スズキは、後に4ストのハイパワーマシンへ「GSX-R」の名称を付けてシリーズ化。残念ながら、現在は、シリーズのフラッグシップといえる1000ccスーパースポーツ「GSX-R1000R」は生産終了となってしまった。
また、かつての600ccや400cc、250ccといったクラスにも、GSX-Rの名を冠したモデルは今では存在しない。唯一、125ccクラスに「GSX-R125」があるのみだ。
ただし、現在もスズキは、「GSX-8R」や「GSX250R」など、フルカウルのスポーツに、シリーズの名残を残したモデル名を採用している。そして、これら車名から、今でもGSX-RのDNAが、脈々と受け継がれていることをうかがわせる。
ネイキッド人気の立役者バンディット250(1989年)
レーサーレプリカ・ブームがかなり過熱した反動からか、1990年代に入る頃から人気が徐々に加速したのがネイキッドバイク。カウルレスのシンプルなスタイルは、昔ながらのオーソドックスなバイクを彷彿とさせ、1990年代後半以降、レーサーレプリカ人気が終焉する頃には、すっかりとメインストリームに躍り出ていた。
そんなネイキッド・ブームの立役者といえるのが、1989年に発売された「バンディット250」だ。
「艶(つや)」をキーワードに開発されたこのモデルは、ボリューム感や曲線美に加え、遊び心を演出したデザインを採用。特に、燃料タンクやシートカウル、エキゾーストパイプなどのデザインにこだわったという。
また、マフラーやエキゾーストパイプなどをステンレス製とすることで、各部に高い質感を持たせたことも特徴だ。
エンジンには、248cc・水冷4スト4気筒を搭載。最高出力45psを発揮しつつも、低・中速を重視することで、街中でも扱いやすい特性を実現した。
なお、スズキは、このバンディッド250の兄弟車として、同じく1989年に、400ccモデルの「バンディッド400」もリリース。いずれも、中型限定二輪免許で乗れることや、スタイリッシュなフォルムなどが好評となり、大ヒットを記録。1990年代ネイキッド・ブームの先駆けとなったモデルだといえる。
2ストレプリカをネイキッド化したウルフ(1988年)
一大ブームとなったレーサーレプリカだったが、一方で、特に、250ccの2ストモデルには、街乗りなどにあまり向かないといわれるマシンも多かった。例えば、前傾姿勢がきついポジションは、渋滞時に疲れやすいこともある。また、ピーキーな高回転型エンジンは、低回転域も多用するシティユースでは、ちょっと扱いにくい側面もあるなどといわれた。
そんな市場のニーズに応えたのが、1988年に登場した「ウルフ」だ。
エンジンのベースとなったのは、レーサーレプリカマシン「RGV250Γ」の249cc・水冷2スト90°V型2気筒。45psという最高出力はそのままに、二次減速比を上げるなどの変更により、低・中速域を重視し、街乗りでの扱いやすさも実現した。
また、外観は、カウリングのないネイキッドタイプとし、アルミ製フレームがよく見えるスタイルは、RGV250Γと違う意味でスポーティ。丸目一灯ヘッドライトなどの採用により、まるで、1960年代のカフェレーサーをイメージさせるカスタムバイク的フォルムが魅力だった。
こうした2スト・レプリカモデルをネイキッド化したモデルは、当時としてはかなり斬新。なお、スズキは、その後も、1989年に「RG50Γ」ベースの「ウルフ50」、1991年に「RG125Γ」ベースの「ウルフ125」、1992年には「RG200Γ」と同時開発した「ウルフ200」などをリリース。
いずれも、レプリカマシンと比べると、肩肘を張らずに、気軽に楽しめる「ファン・トゥ・ライド」モデルとして、根強い支持を受けた。
ネイキッドモデルといえば、4ストマシンをイメージするが、今となってはレアといえるのが、2ストのネイキッド。ちなみに、ウルフと同様の2スト・250ccネイキッドでは、ヤマハが1990年に「R1-Z」を発売した。
こちらは、当時のヤマハ製250ccレプリカ「TZR250」用の249cc・水冷2スト並列2気筒エンジンを搭載。1980年代初頭に大ヒットした「RZ250」をイメージさせるカウルレスのフォルムなどで、1990年代後半まで続くロングセラーモデルとなった。
おしゃれ系スクーターの元祖ジェンマ(1981年)
1980年代は、レーサーレプリカだけでなく、50ccモデルを中心に、スクーター・ブームも巻き起こった時代。数々の大ヒットモデルが生まれたが、そうしたブームの火付け役となった1台が「ジェンマ」だ。
エンジンには、最高出力3.5PSの50cc・空冷2スト単気筒を搭載。1970年代に人気だったファミリーバイクでは、主に女性層を対象にするため、小柄な車体のモデルが多かったが、ジェンマでは車格を一段上に設定。
全長1690mm×全幅665mm×全高1040mmの車体には、気品あふれるスタイルと落ち着いた高級感を漂わせるデザインを採用。エンジン部分を完全にカバーで覆い、フルサイズのレッグシールドを装着するなどで、後に続く本格的スクーターの礎(いしずえ)ともいえる、堂々たるフォルムを実現した。
ほかにも、前後タイヤには、当時としては幅広だった3.00-10サイズを採用。自動パワーシフト機構付きオートマチック3段変速の採用などにより、快適な乗り心地と安全性を両立した。
ちなみに、ジェンマには、片持ち式フロントサスペンションも採用していた。これは、イタリア老舗メーカーのベスパが、昔からスクーターに採用している伝統の方式だ。特に、当時は、おしゃれなスクーターといえば、やはりペスパが代表格。あくまで、私見だが、ジェンマは、フロントサスだけでなく、レッグシールドやフロントフェンダーの造形など、その装備やフォルムなどに、ちょっとベスパ的な雰囲気があったような気がする。
しかも、当時はテレビでバイクのCMがよく流れていたが、出演していたのは、イタリア人俳優のジュリアーノ・ジェンマ氏。大ヒット映画「夕日の用心棒」などで有名な世界的スターを起用し、車名まで同じだったことで大きな話題となった。
CMなどのイメージ戦略も含め、それまでの国産スクーターにはなかったイタリア風の洗練された雰囲気を演出したことがうかがえるジェンマ。それが、大きなセールスを記録した要因のひとつだったのかもしれない。