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シザードアを市販モデル初採用した「カウンタック」
新型フラッグシップ「レヴエルト」にも採用され、ランボルギーニ製V12スーパースポーツの象徴とも言えるのが特徴的な「シザードア」だ。1971年、マルチェロ・ガンディーニがデザインした革命的モデル「カウンタック」は、垂直斜め前方に跳ね上がるシザードアを採用した最初の量産車となった。
この技術を採用したのは、見た目の美しさやインパクトだけではなく、開口部を広くとれるという実用性にも関係している。実際、このシザードアによって、ドライバーは後退時にも身を乗り出すことで車両の後方視界を得ることができる。さらに、長いドアを開けられないような狭いスペースでの駐車の問題も解決することが可能になった。
カウンタックの後継モデルである「ディアブロ」「ムルシエラゴ」「アヴェンタドール」など、シザードアはランボルギーニの12気筒モデルのDNAに欠かせない特徴となっている。
量産ロードカーで最も低い全高1055mmを実現した「ミウラ」
1960年代、スポーツカーを開発するデザイナーの頭の中には、低い全高としなやかで空力的なフォルムが最も重要なファクターだった。全高わずか1055mmのミウラは、大量生産された自動車のなかで最も低い全高を持つ。地面を這うような低い全高は、ランボルギーニのDNAの一部となり、今も現行モデルに引き継がれている。
平均年齢29歳という若き「ミウラ開発陣」
ランボルギーニ創業者のフェルッチオ・ランボルギーニは、自動車メーカーを起業した当初から優秀な若者にチャンスを与えたいと考えていた。ミウラ・プロジェクトはその代表的な例だ。当時のライバルに挑戦し、まだ安定しないランボルギーニを軌道に乗せるため、大学や自動車業界の若いスペシャリストから選ばれた、才能ある若者達を数多く抜擢したのである。
ミウラが発表された1966年当時、デザイナーのマルチェロ・ガンディーニとテストドライバーのボブ・ウォレスは、ともに28歳。チーフエンジニアのジャンパオロ・ダラーラとアシスタントエンジニアのパオロ・スタンツァーニは30歳。開発に携わったスタッフの平均年齢は29歳という若さだった。並外れた意欲と野望を持った若者達が、伝説となることを運命づけられたミウラに命を吹き込んだのである。
ミウラに携わった多くの若者たちはその後、それぞれの分野で巨匠と呼ばれる存在となった。それは若い彼らの能力を信じ、任せたフェルッチオの先見性の証と言えるだろう。
グラスエリア4.5㎡を誇る「マルツァル」
4人乗りのグランドツアラーを目指して開発されたマルツァルは、カロッツェリア・ベルトーネ在籍時代のマルチェロ・ガンディーニがデザインを担当した。発表後、そのスクエアなフォルムと広大なグラスエリアにより、世界的なデザインアイコンとなった。
マルツァルを特別な存在たらしめているのは、シルバーカラーのレザーで覆われたインテリアと、デザインのテーマに掲げられた六角形だろう。ダッシュボードやリヤウインドウ、コンソールのカットアウトなど、可能な限り細部に渡って六角形のモチーフが繰り返されている。
しかし何より目を惹くのは、ガルウイングドアからルーフまで4.5㎡にも及ぶ広大なグラスエリアだ。今もって、マルツァルは史上最大のグラスエリアを持つ、走行可能なコンセプトカーである。
史上初のスーパーSUVとして誕生した「LM002」
その起源は、アメリカ軍向け高機動車プロトタイプ「チータ」プロジェクト。そのチータを起源に様々な改良を経て、1986年のブリュッセル・モーターショーで「LM002」と名付けられたオフロードモデルが発表された。
LM002はオフローダーでありながらもランボルギーニ製スーパースポーツに匹敵するフォルムと性能を備えていた。最高出力450PSを発揮する5167ccV型12気筒エンジンをフロントに搭載し、ZF製5速MTを介して4輪を駆動した。砂漠も走破可能な優れたオフロード性能と、力強いラインを強調した無骨なデザインは今も色あせない魅力を持つ。LM002は1986年から1992年にかけて300台以上が生産された。