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Porsche 911 Turbo S
ベントレーの記録更新を狙い参戦
ドライバーを務めるデイビッド・ドナー、雑誌『000』の編集長を務めるピート・スタウト、そしてポルシェ・コレクターのジム・エドワーズは、2022年のパイクスピークにおいてひとつの大きな目標を打ち立てた。
2014年、ドナーはポルシェ 911 ターボS(タイプ991)で10分26秒896というプロダクションカークラスの記録を樹立した。しかし、このタイムは2019年にベントレー コンチネンタルGTをドライブしたリース・ミレンが更新。ミレンはドナーの記録を8.4秒も短縮する10分18秒488を叩き出した。今回、このベントレーによる市販車記録を奪還すべく、3人はジム・エドワーズがオーダーしたばかりの911 ターボS ライトウェイト・パッケージ(タイプ992)で、2022年のパイクスピーク参戦を決定した。
パイクスピークのプロダクションカークラスは、性能向上よりも安全性を重視した最小限の改造のみが認められている。スタウトはフロリダにあるワークショップ「チャンピオン・ポルシェ(Champion Porsche)」に競技用マシンへの改造を依頼。リヤシート、エアバッグ、フロアマット、防音材を外し、ロールケージ、消火システム、シングルレーシングシート、6点式ハーネスを装着した。
また、パイクスピークの高地走行に対応すべく、フリーフロー式エキゾーストへの変更と、ECUのリマップが施されている。これ以外のコンポーネントはすべてノーマルということが参戦の条件。つまり、サスペンション、ドライブトレイン、エアロダイナミクスの改造は一切ない。さらに、純正ホイールと公道用タイヤの装着も義務付けられている。
ファイナルを襲った最悪のコンディション
レース本番に向けて、マシンは完璧なパフォーマンスを発揮。多くのパイクスピーク関係者は、ポルシェ 911 ターボSによりプロダクションカークラス記録が確実に更新されると予測していた。
「ストリートカーとはいえ、完璧なスタートを決めることができていましたし、練習走行でもトラブルフリーでした。正直、これほど速い市販モデルが存在することに驚きました。ドライコンディションにおいても、レーシングカーから数秒しか離されなかったのです。後輪操舵、全輪駆動、そしてビッグパワーなど、多くのアドバンテージを持っています。これまで多くのクルマをこの山で走らせてきましたが、このクルマをここに持ち込む意義があったと感じています」
しかし、1週間にわたる絶好のコンディション後、いざ決勝の当日を迎えると天候は一変してしまった。
「ファイナル当日は、かなり荒れましたね。それまではずっと青空が広がり、雨も降らず、路面コンディションも最高でした。ところがモンスーンの前線がやってきて、突然雨と霧に覆われ最悪の視界となったのです」
ベントレーの市販車記録は更新できず
雨が降り、霧が立ち込める最悪のコンディションの中、これまで28回のパイクス走破経験を持つドナーは911 ターボSのステアリングを握り、ベストタイム更新を狙ってスタート。この時点で誰もが記録更新は不可能だと予想していた。
ドライコンディションにおける想定タイムから、1分遅れでゴールするドライバーが多かった2022年。ドナーは10分34秒03でフィニッシュ。期待されたプロダクションカークラス記録にこそ届かなかったものの、このタイムは強烈なダウンフォースが与えられ最低重量がプロダクションカークラスの半分で2倍のパワーをもつプロトタイプ車両に次ぐ記録だった。さらに、改造車クラスのどの車両よりも速いタイムだったのである。
レースを見守ったスタウトは、悪天候下におけるドナーのドライブ、そして911 ターボSのパフォーマンスを絶賛した。
「予選11番手に付けていたドナーは、天候が変わってから総合2番手にまでタイムを伸ばしたのです。パイクスピークで勝つために開発されたオープンホイールのプロトタイプをドライブしたロビン・シュートと、わずか25秒差。しかも、高度に改造が施されたハイダウンフォース仕様の911 GT2 RSクラブスポーツを抑えての結果です。これはポルシェのエンジニアリングと全輪駆動による真の勝利です」
パイクスの路面にマッチした911 ターボS
911 ターボSは、ビッグパワー、抜群のトラクション、軽量化の組み合わせにより、最悪のロードコンディションとなったパイクスピークにおいて、グリップと加速の適切なバランスを発揮。コースオフやスピンの危険性が高い状況で、完璧なマッチングを見せた。ドナーはフィニッシュ後、次のようにタイムアタックを振り返った。
「911 ターボSの4輪駆動が、パイクスピークでアドバンテージになったのは間違いありません。ウエットコンディションでもクルマが完璧に路面をとらえてくれました。好タイムを記録できたもうひとつの理由は、パイクスピークが舗装された道路だということにあります。このクルマは公道で最高のパフォーマンスを発揮するように開発されていますから」
「ただ、山の道はうねっている箇所や舗装の粘着力の違い、さらには小石などの障害ほか、独特の特徴がいくつもあります。今回、911 ターボSが粘りを見せてくれたので、独自のレーシングラインを選ぶことができました。アンダーステアもほとんどなくタイトなラインが取れるので、特にヘアピンのイン側を攻めることができるのです」
総合2位・プロダクションカークラス優勝
今回、この結果をさらに驚くべきものにしたのは、コロラドに到着した時点で走行距離わずか65kmという市販仕様の911 ターボSが、修理やメンテナンスを必要としなかったことだろう。
「レースウィークとプラクティスの間、ひとつもパーツを交換しませんでした。スペアパーツも持ってこなかったほどです。プラクティス後も夕方に汚れを洗車して、タイヤをチェックするだけ。オイルも入れませんでしたから」と、スタウトは振り返る。
「多くのチームが徹夜でマシンを修理・整備し、メカニカルトラブルによりプラクティスでの走行ができなくなるのに、私たちはそういうことがありませんでしたね。チーム全員がよく眠れたし、心からレースウィークをエンジョイしました」と、ドナーも付け加えた。
最終結果は、プロダクションカークラス優勝、そして総合2位。毎年パイクスピークで最速のポルシェに贈られる「ベルクマイスター賞(Bergmeister award)」も獲得している。
「このクルマは人々に大きな衝撃を与えました。市販モデルでこれだけのタイムが出せるということを、多くの人が理解できなかったのでしょう。正直なところ、私自身もこのコンディションであそこまでやれるとは思っていなかったので、とても驚きましたから(笑)」と、ドナーは笑顔を弾けさせている。