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Porsche 911 Carrera RS 2.7
南仏プロヴァンスに建つ豪奢な別荘
エントランスには、ブラッドオレンジの911 カレラ RS 2.7が太陽のように輝いている。我々が訪れると、アンドレ・ロッテラーの敷地へのゲートが開かれた。1000年の歴史を持つ丘の上の村、フランス・プロヴァンス地方ゴルド。その眩しさに目が慣れてくると、ラベンダー、糸杉、オリーブの木々など、レーシングドライバーが所有する、まるで夢のような別荘の全景が目の前に広がる。
ロッテラーは、喧騒が繰り広げられるレースの世界から、遠く離れた静寂のオアシスを作り上げた。この南仏の地で、非常に希少な911 カレラ RS 2.7のルーツを探ることになった。
ガレージの扉を開け、ホストが満面の笑みで取材陣を迎えてくれた。コオロギの鳴き声と2頭のラブラドールの吠える声を聞きながら、広大な敷地を案内された。そして、ロッテラーがアーモンドミルクのカプチーノを出してくれた後、40歳になった彼がモータースポーツにおいて刻んできた、その歴史の証拠を見せてもらう。
棚に並ぶレーシングヘルメット、世界中のサーキットで撮影された写真、輝く黄金のル・マン24時間レース・トロフィー……。2011年、2012年、2014年と、ロッテラーはアウディスポーツ・チーム・ヨーストの一員として、伝説の耐久レースで総合優勝を果たしている。
あらゆるカテゴリーを制してきたロッテラー
ロッテラーが革張りのソファに倒れ込んだ。ちょうど取材の前日、彼はグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに参加。ポルシェ・ペンスキー・モータースポーツLMDhチームへの参加が発表されたところだった。2023年シーズンは、新型ポルシェ 963を駆って、ル・マン24時間レースを含む、世界耐久選手権(WEC)を戦う予定だ。
13歳でカートの世界チャンピオンに輝き、F3を経て、ジャガーのF1テストドライバーに。日本のスーパーフォーミュラとスーパーGT GT500で王座を獲得し、2012年にはWECの王座にも輝いた。2017年からはフォーミュラEにおいて、ポルシェのワークスドライバーを務めている。ドイツで生まれ、ベルギーで育ち、5ヵ国語を流暢に話すロッテラーは、「多様性を楽しんでいる」と笑顔を見せる。
「昨日のグッドウッドではクラシックカーのステアリングを握り、明日向かうモロッコ・マラケシュでは最新のフォーミュラEマシンをドライブしますから。対極の世界ですよね」
まさに、モータースポーツの夢をすべて叶えたとさえ言えるかもしれない。「全部じゃないですよ(笑)」とロッテラーは微笑みながら続けた。「まだ、ポルシェでル・マン24時間レースで勝っていませんから……」、と。
2012年ル・マンでの運命的な出会い
レースから離れ、プライベートでは子供の頃の夢に浸るのが好きだという。「クラシック911をドライブすることは、まるでタイムトラベルのようです」と、ロッテラーは目を輝かせる。今回、グッドウッドとマラケシュに挟まれた、束の間の休息を使って、彼は空冷フラット6に火を入れた。
2ヘクタールほどのラベンダー畑を背景に、911 カレラ RS 2.7が乾いたエキゾーストノートを響かせた。気温35℃の暑い日だ。
ロッテラーは、2012年の「ル・マン・クラシック・オークション」において、この特別なシャシーナンバーを持つ911を初めて目にした。その日は買い手がつかず、クルマはオーナーへと返却されたという。しかし、ロッテラーはどうしても諦めきれず、すぐに行動を起こした。
「正直、ル・マンでは、オークションに参加することが、少し恥ずかしかったんです(笑)。でも、どうしてもこのクルマのことが忘れられなかった……」
オーナーの知己のディーラーの仲介もあり、2度目のチャンスを得ることができた。
「当時、この911 カレラ RS 2.7はグリーンにペイントされ、イエローのホイールを履いていました。スイス人のオーナーは、ヒルクライムレース用に改造していたんです」
シャシーナンバー「0027」を掲げ、生産ラインからラインオフした911 カレラ RS 2.7。この手に入れた特別な1台を、ロッテラーは1972年10月27日当時の姿にしたいと考え、調査を進めることになった。
ダックテールを持つグループ4ホモロゲ仕様
今から50年前のこと。当時、ポルシェの最高技術責任者を務めていたフェルディナンド・ピエヒは、後に「カレラ」と名付けられた、特別な911を開発しようとしていた。
モータースポーツ用に開発された車両でありながら、あくまでも公道走行が可能であること。そして、GT車両を対象とした「グループ4」ホモロゲーションに必要な台数、最低でも500台を製造する必要がある。ただ、当時はレーシングホモロゲーション用911に、高い金額を支払う人はまずいないと考えられてきた。
さらに「ダックテール」と名づけられた特徴的なリヤスポイラーが、911の完璧なファストバックスタイルを邪魔してしまうとの意見もあった。ポルシェ社内にも様々な議論を呼びながら、世界初のフロント&リヤスポイラー付き量産車「911 カレラ RS 2.7」は、1972年10月5日にパリ・モーターショーでワールドプレミアされた。
瞬く間に500台がソールドアウト
911 カレラ RS 2.7の人気は爆発し、短期間で500台がソールドアウト。デビューの衝撃を、ポルシェのカスタマーマガジン『クリストフォーラス(Christophorus)』119号は、次のように伝えている。
「待ちに待ったクルマが登場した、凄まじく速いクルマだ。0-100k/h加速は5.8秒。2.7リッター・ボクサー6の最高出力は210PS、車重はわずか960kg。しかも完全に公道走行可能。エアロダイナミクスも刷新され、ダックテール形状のリヤスポイラーだけで5km/hも最高速がアップする」と。
500台もの911 カレラ RS 2.7が生産されたにもかかわらず、多くのファンがポルシェに購入の意志を伝えることになった。誰も予想していなかった成功。ダックテール付き911は、1973年のモデル末期までに合計1580台が生産された。
特に希少なレーシングバリアントの911 カレラ RSR 2.8は55台を生産。快適装備が与えられた“ツーリング・パッケージ”は、1308台が販売されている。
オリジナルへの強い拘りとちょっとしたエッセンス
ロッテラーは、自身の911 カレラ RS 2.7を駆って、ゴルドの坂道を駆け抜ける。ゴルド城は、11世紀以来、村を守ってきた要塞であり、周囲の古風な家々を見下ろすようにそびえ立っている。チーズやヌガー、ラベンダーのドライフラワーなど、この地方の特産品が並ぶ市場も通り過ぎていく。歴史に彩られたプロヴァンスの風景を、伝説のカレラ RSでクルージングすると、彼が言うようにタイムスリップしたかのような気分になる。
「この状態にレストアするまでに、9年もかかりました。でも、オリジナルのコンディションへと戻すことが、私にとって本当に重要だったんです。そのために、オリジナルのステアリングホイール、当時のシートを探し出さなければなりませんでしたけどね(笑)」
「グリーンのペイントを剥がし、ボディをEPD(電気泳動堆積)バスに浸し、エンジンはベルギーの専門メーカーへと送りました。あと、ダックテール・リヤスポイラーを交換する必要もありました。購入時にも装着されていたんですが、それはレプリカだったんです。もちろん受け入れられません(笑)」
オリジナルのダックテールがリヤに装着され、ラインオフ当時のカラー「ブラッドオレンジ」にリペイント。あらゆる装備がオリジナルの状態に戻されている。最後に「すべてがオリジナル?」とロッテラーに聞いてみた。すると、彼は「そうでもないんですよ」と、いたずらっぽく笑う。
「もうちょっと特別なサウンドが欲しかったんです」。ロッテラーが強くアクセルを踏み込むと、夕日を背景にした美しい街並みが遠ざかっていく。
「このスポーツエキゾーストが、あなたにも聞こえるでしょう?」