クルマを運転するときに僕ら全員が思っておきたいこと

私たちはいつも刀を振り回している 【渡辺慎太郎の独り言】

連載コラム 渡辺慎太郎の独り言20トビライメージ
連載コラム「渡辺慎太郎の独り言」の第9回トビライメージ。
クルマはどんどん快適になり、便利になり、簡単に運転できるようになった。誰でも平等に運転を楽しめるのは素晴らしいことだけれど、その一方で、いつも危険と隣り合わせであることも忘れてはいけない。1トンの塊を自分の手で走らせること。その責任をすべてのドライバーが自覚することは健全な交通社会に直結する。渡辺慎太郎が語る「運転」の論。

自動車の運転は面倒くさい

これを言うと、たいていの人が「ほんとですか??」と驚くのだけれど、自分はクルマの運転がどちらかといえばあまり好きではない。クルマ以外の交通手段の選択肢があれば、可能な限りそっちを選ぶし、運転に信頼が置ける同乗者がいる時には手を合わせてお願いして運転を代わってもらう。日常生活にはいろんな面倒があるけれど、自動車の運転ほど面倒なことはないからだ。

例えば市街地での一時停止。三角形が下に向いた赤い標識が目に入ると、まずはリヤビューミラーで後方を確認する。後続車や自転車がいれば、早めに一度ブレーキペダルを踏んで「この先で止まります」という意思を伝える。次に前方と左右を注視しながらあらためて右足をブレーキペダルに置いて減速を開始。この時、同乗者がいるならいつも以上に気を遣い、減速Gが一定になるようペダルの踏み加減をコントロールする。

そして停止線の直前にフロントバンパーがピタリと来るように、同時に、最後にブレーキペダルを少し戻してスムーズに止まれるように調整する。タイヤの回転が完全に停止し、アイドリングストップが付いているクルマならエンジンが止まるまで待つが、たいていの場合、停止線で止まってもその先の左右は見えないし、横断歩道があればさらに後方で停車していてもっと見えないから、歩行者がいないことをチェックしつつ慎重に再スタートして左右側方が見渡せる場所でもう一度停止、安全を確認してようやく1個の一時停止をクリアする。

ここまでの作業を、モタモタして後続車に迷惑をかけないよう、迅速かつ確実にやらなければならない。最近は住宅街などで“ゾーン30”に指定されている場所も多いので、制限速度はいつも以上に気を付ける。一時停止ひとつでこの有様である。都内には数十メートルおきに一時停止があるところが多く、これを何度も何度も繰り返すのだから本当にもう疲弊してしまう。

道路交通法第70条の「義務」

高速道路なんかもっとやっかいだ。そもそも高速道路を使って長距離を移動する際には、家を出る前から面倒は始まっている。前の晩は早めに就寝してしっかり睡眠をとるようにしているし、当日はまず目的地までの渋滞情報だけでなく天気予報もwebで調べる。行った先で革靴を履く必要があるなら、運転しやすい靴を履いて革靴は別に持参するし、走り出す前にはタイヤの空気圧をチェックしなくてはならないし、燃料残量以外にも水温計や油温計の針がいつもと違うところを指していないかにも目を配る。

ようやく高速道路へ進入しても、平日や休日や週末や時間帯や交通量や天候や走行区間によって走り方を変えないといけないのはもちろん、交通量が比較的少なく穏やかに流れている時だってやらなきゃいけないことは山ほどある。

運転中は6:4くらいの割合で前方と後方を見ているし、少しでも雨が降ってくれば直ちにヘッドライトを点灯するし、3車線の場所では可能な限り1番左の車線を走る。真ん中を漫然と走っているクルマが少なくないけれど、“キープレフト”が原則なのだから厳密に言えばそれは正しくない。みんなが出来るだけ左車線に寄るよう心掛ければ、追い越し車線を走るクルマはもっと減るはずである。

追い越しは“面倒指数”がトップクラスの作業である。追い越し車線を走ってくる後続車を確認するのは当たり前、もしいま追い越しをかけるなら、目の前を走るクルマの前にすぐに戻れる十分なスペースが確保されているか確認し、「煽られた!」なんて誤解を招かないよう車間距離は十分にとって、車線変更はゆっくり行い、速やかに走行車線に戻る際には追い越したクルマにブレーキを踏ませないようやっぱり車間距離に注意する。

ここまでの運転操作が確実にできる状況になるまで追い越しはせず、ただひたすらそういうタイミングがやってくるのをじっと待つ。そして2時間以上の連続走行はしない。2時間ごとにサービスエリアに入って休憩を取る。こんな面倒なことをやり続ける自分の集中力の限界は最大2時間だからだ。それを見越した旅行時間を想定し、そこから逆算した出発時間をいつも決めている。

「そんな大げさな」と思われるかもしれない。しかしそれぞれの行動をひとつでも怠れば、道路交通法第70条に記されている「車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない」という義務に背いた「安全運転義務違反」に相当する可能性がある。

1トンの鉄の塊を動かすということ

連載コラム「渡辺慎太郎の独り言」第9回のイメージカット
私達が健全な交通社会をこれからも享受していくためには、自動車の進化だけでなく、ドライバー側が常に自覚を持ち続けることも重要なのだ。

こんなことをつらつらと書いてきたのは、クルマの運転を近くのコンビニに行くときにサンダルを突っかけるような、安楽で簡単で呑気な行為だと勘違いしているように見受けられる人があまりにも多いと感じるからである。自分はクルマの運転を、切れ味するどい名刀を振り回しながら走る、あるいはちょっとしたきっかけで暴発する恐れのある爆弾を抱えながら走ることだと思っている。

車重が1トンを超える鉄やアルミで出来た塊を動かしているのだから、たとえ30km/h以下の速度でも歩行者と接触したら重大な人身事故だし、ましてや80km/h以上で走行する高速道路上での他車との接触は甚大な被害をもたらしかねない。クルマの運転とは、かくもやっかいな代物なのである。「だからクルマの運転って大変だから、ステアリングを握っている間は気を抜かず慎重でいよう」とみんながもっと心掛けるだけでも、「あおり」だの「あおられ」だの「高齢者云々」だのといった事案はずいぶん減ると思っている。

現在の道交法が日本の交通環境の実情に即していない部分があるのも事実である。今後は高度な運転支援システムを搭載し、それを使いながら走行するクルマも増えるに違いない。最新の運転支援システムは、速度標識をカメラで読み取って速度を補正する。ということは、法定速度ぴったりで走るクルマが激増するかもしれない。

いまでさえ、90km/hの速度リミッターを効かせた大型トラックが並走する場面が多くて閉口するのに、そこにさらに運転支援システム使用中の乗用車が加わるなんて事態は、想像するだけでもその中に巻き込まれる運転なんてしたくないと思ってしまう。日本の交通環境はすでにあらたな局面を迎えている。制限速度の見直しやドイツのような車線ごとの速度設定など、いろんなクルマや人が共存共栄していくために道交法の見直しも急務だろう。

こういう仕事をしている以上クルマの運転は避けて通れないし、しち面倒くさいとは分かっていても、それでもステアリングを握り続けるのは理由がある。やっかいだなと思いながらも実直に運転していると、そのご褒美としてときたまクルマと心が繋がって思い通りの完璧な走りが出来てとてつもない嬉しさが込み上げてきたり、思わず「うわあ」と声に出してしまうくらい荘厳で美しい風景が目に飛び込んできたり、クルマでないと絶対に辿り着けない秀逸な場所を知ったり、どこかモヤモヤしていた重い気持ちをスッとフェードアウトしてくれたり、ラジオから流れてきた懐メロが昔の自分やちょっと甘酸っぱいセピア色の思い出に逢わせてくれたりする。

クルマの運転は大変だけれど、思いも寄らない瞬間を運んできてくれる時もある。その一瞬のために、今日もクルマを運転するのである。

REPORT/渡辺慎太郎(Shintaro WATANABE)

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著者プロフィール

渡辺慎太郎 近影

渡辺慎太郎

1966年東京生まれ。米国の大学を卒業後、1989年に『ルボラン』の編集者として自動車メディアの世界へ。199…