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DB MarkⅢ(1957-1959)
DB2/4マーク2のマイナーチェンジ版
ジャガーXK140、オースティン・ヒーリー100-6、MGA、トライアンフTR3など、高性能な英国製スポーツカーが次々と現れる中、1957年にアストンマーティンはDB2/4マーク2のマイナーチェンジを敢行する。その名称は、すでに1951年にロベルト・エベラン・フォン・エーベルホルスト博士の手になるレーシングスポーツがDB3として登場していたため、DB マーク3と名付けられた。
最大の特徴はタデック・マレックとハロルド・ビーチによって新たに開発された高剛性のブロックを採用し、吸排気系にも改良を施した2922cc直6DOHC DBAユニットを搭載したことで、複雑な構造の4ベアリング式を採用しているが故に、耐久性、熱対策に弱かったLB6系ユニットの改善に成功した。
このDBAユニットは1 1/2インチのSUツインキャブを組み合わせたスタンダード仕様で164PSを発生。オプションのデュアルエキゾースト装着車では180PSを発生し、0-60マイル9.3秒、最高速度193km/hと排気量に優るジャガーXK140に迫るパフォーマンスを手に入れた。
そのほか圧縮比を8.16:1から8.6:1ヘと高め、35mm口径のトリプルウェーバーキャブを組み合わせた197PSのDBBユニット搭載車が10台製造されたほか、圧縮比を9.1:1に上げ、45mm口径のトリプルウェーバーを組み合わせることで、217PSを発揮するDBCユニットを積む、コンペティション仕様も1台製作されているなど、エンジンの安定化に伴って多くのバリエーションが用意されたのも特徴だ。
100台目以降はフロントディスクブレーキを標準装備
もうひとつDBマーク3の特徴として挙げられるのが、当初はオプションとして用意され、100台目以降は標準装備となったガーリング製のフロントディスクブレーキである。残念ながら初期のディスクブレーキゆえ、制動力、コントロール性ともに満足のいくものではなかったが、オプションのオーバードライブ、オートマチックギヤボックス共々、高性能GTとしていち早く装備の向上に取り組んでいるのは、特筆に値する。
アルミ合金製のボディは基本的にDB2/4 マーク2を受け継ぐものの、フロントマスクに1953年にフランク・フィーレイがデザインしたレーシングスポーツカーDB3Sをモチーフに、リデザインを手がけたジョン・ターナーが現在のアストンマーティンへとつながるベーングリルを採用。同じモチーフをメーターナセルにも用いるなど、新たなデザイン・アイデンティティの確立に成功した。
ボディタイプは2+2のハッチバック・クーペのほか、2シーターのフィクストヘッド・クーペやオープンのドロップヘッド・クーペも用意。またイアン・フレミングの小説版『ゴールドフィンガー』でジェームズ・ボンドの愛車としてガジェットを搭載した「ボンドカー」として登場。後の映画版『007/ゴールドフィンガー』でDB5が登場するきっかけを作ったことでも知られている。
アストンマーティンとラゴンダの技術を融合
DBマーク3は後継となるDB4が登場してからもしばらく生産が継続され、1959年までに84台のドロップヘッドクーペ、5台のフィクストヘッド・クーペを含む合計551台が製造されている。
このDBマーク3によって、10年近く続いたDB2シリーズは幕をおろすことになった。その中身は、戦争によって中断を余儀なくされたアストンマーティンとラゴンダの技術をデイヴィッド・ブラウンの仲介によって融合させたものであったが、このコラボレーションによって戦後のアストンマーティンの基礎が形作られ、ここで得た経験、技術を元にその後の黄金期がもたらされたのは、紛れもない事実である。そういう意味においてもDB2シリーズはアストンマーティン史を語る上で、欠くことのできない重要なモデルのひとつであるといえる。