電気自動車時代の到来を告げた日産「リーフ」、EV普及の起爆剤となった本格的な乗用車EV完成までの道のり【歴史に残るクルマと技術074】

日産2代目「リーフ」
日産2代目「リーフ」
日産自動車の「リーフ」は、軽自動車でもなく、スポーツモデルでもない本格的乗用車の電気自動車として登場した。EVの先駆車としての役割だけでなく、その後も着々と進化することで、EVの課題やポテンシャルを明らかにしている、まさにEVのリーダーなのだ。
TEXT:竹村 純(JUN TAKEMURA)/PHOTO:三栄・新型リーフのすべて、モーターファンイラストレーテッド

リーフのご先祖様は、たま電気自動車

日産「リーフ」
日産「リーフ」

電気自動車は、ガソリン自動車よりも早く実用化されたが、内燃機関が飛躍的な進歩を果たした一方で、EVは短い航続距離や実用的な電池や充電法が存在しなかったために、普及することはなかった。

たま自動車
1947年に東京電気自動車で生産された「たま自動車」

日本で初めて電気自動車が実用化されたのは、戦後間もない1947年に戦前の立川飛行機から派生した東京電気自動車が開発した「たま自動車」である。東京電気自動車は、その後ガソリン自動車の生産に転身してプリンス自動車になり、1966年には日産自動車に吸収合併。したがって、東京電気自動車は日産の源流のひとつであり、また60年以上も前のたま自動車は、リーフのご先祖様と言えるのだ。

たま電気自動車は、現在の軽規格よりも小さい全長が約3m、全幅が約1.2mという丸みを帯びたボディで、一方で車重は鉛蓄電池搭載のために、初期の軽自動車の約2倍に相当する1050kgもあった。

ミッドシップされたモーターとカートリッジごと交換することができた鉛蓄電池を搭載。最高出力は4.5psを発揮し、最高速度35km/hで満充電時の航続距離は65kmだった。その後、ガソリン供給が安定したためガソリン価格が下がり、一方で電池材料の高騰によって、たま電気自動車は3年余りで1099台を販売して1951年に生産を終了した。

世界初のリチウムイオン電池搭載プレーリージョイEV登場

日産「プレーリージョイEV」
世界で初めてリチウムイオン電池を採用し、1997年にリース販売した日産「プレーリージョイEV」

なかなか日の目を見ることがなかったEVだが、1970年代のオイルショックを機に、また1980年代の米国カリフォルニア州が提唱した“ゼロエミッション規制”の影響でEV待望論が浮上した。

日産「プレーリージョイEV」
日産・プレーリージョイEV 国立極地研究所 北極観測センター車。1997年(平成9年)、法人向けに30台リース販売されたのがプレーリージョイEV(電気自動車)。ミニバン「プレーリージョイ」をベースにゆったりした室内も特徴。このクルマは、2000年から国立極地研究所北極観測センターの支援車として使用された個体で、極寒の気象条件でも6年間無故障で稼働し、高い信頼性で関係者を驚かせた

この頃には、ニッケル水素電池などの新しい2次電池が開発され、トヨタが「RAV4 L EV(1996年~)」やホンダ「EV-PLUS(1997年~)」がニッケル水素電池を使ったEVを限定リース販売するなど、EV普及の機運が盛り上がった。しかし、鉛蓄電池より性能が向上したニッケル水素電池でも、市場で必要な性能(航続距離や信頼性など)と価格を満足することはできなかった。

一方1990年代に入ると、リチウムイオン電池が発明され、携帯電話やPCに使われ始めて普及が始まった。そのような中、日産は1997年にリチウムイオン電池を世界で初めて搭載した「プレーリージョイEV」を、主に関連企業・団体などの法人向けにリース販売で始めた。

プレーリージョイは、乗用車ベースのミニバンの草分け的な存在で、プレーリージョイEVは最高速度120km/h、フル充電時の航続距離は200km以上を実現したが、それでもまだリチウムイオン電池のコストや信頼性などの課題は解決できず、市場への投入は果たせなかった。

国産EVの先駆けとして華々しくデビューしたリーフ

日産「リーフ」
日産「リーフ」

その後、リチウムイオン電池の高効率化と低コスト化が進み、2010年4月に三菱自動車から世界初となる量産EV「i-MiEV」、同年12月には日産がFF駆動の5人乗り乗用車「リーフ」の発売を開始した。

日産「リーフ」のリアビュー
日産「リーフ」のリアビュー

リーフのフロント部に搭載したモーターは、最大出力80kW(108.8ps)、最大トルク280Nm(28.55kgm)を発揮。リチウムイオン電池は、日産とNECが共同出資して設立したオートモーティブ・エナジー・サプライ社の容量24kWhのラミネート型リチウムイオン電池で、電池セルを192個並列に接続して床下に搭載された。

日産「リーフ」のシートアレンジ
日産「リーフ」のシートアレンジ
日産「リーフ」搭載の24kWhのバッテリーパック。ラミネート型リチウムイオンセルを192個並列に接続
日産「リーフ」搭載の24kWhのバッテリーパック。ラミネート型リチウムイオンセルを192個並列に接続
日産「リーフ」
日産「リーフ」

満充電時の航続距離は、200km(JC08モード)。充電時間は、急速充電で容量80%まで30分、一般家庭の200V電源(3相200V)では8時間、100Vの家庭用電源(単相100V)では28時間を要した。

日産「リーフ」の車両構造
日産「リーフ」の車両構造。フロントにモーター、床下にバッテリー

車両価格は376万円だが、政府のEV購入補助金制度で約77万円の補助があるため、実質的には299万円の購入価格となる。もちろん、一般のガソリン車と比べれば高価だが、6年乗れば燃料費(EVの場合は電気代)を考慮したランニングコストは同等になる、と当時の日産は説明していた。

リーフは、米国でも発売され、その後欧州や中国にも投入され、世界的に見てもEV時代の起爆剤となる重要な役割を果たした。

リチウムイオン電池の改良とともに進化を続けたリーフ

日産2代目「リーフ」
日産2代目「リーフ」

初代リーフは、一部で航続距離に対する不満の声が散見されたが、その後のリチウムイオン電池や電動システムの改良によって航続距離は飛躍的に延び、2017年に登場した2代目リーフでは、電池容量が40kWに増強されて航続距離は初代の2倍、400km(JC08モード)/322km(WLTCモード)まで延びた。

日産「リーフe+」
)2019年に登場した日産「リーフe+」

そして2019年に登場したのが、さらに航続距離と性能を向上させた「リーフe+」。電池容量を40kWhから62kWh に増大し、同時にモーター出力もパワーアップし、航続距離は322kmから450km(WLTCモード)まで向上した。

リーフe+は、初代リーフと比べると、電池容量が2.5(60/24)倍、航続距離は2.8倍(運転モードが異なるので推定)に延びている。航続距離は、概ね電池容量に比例するが、限られた車体の床下に収めるために約10年の間に電池自体のサイズが半分程度にコンパクト化したことが分かる。もちろん、リチウムイオン電池のコストも大幅に下がっている。

日産「リーフe+」
)2019年に登場した日産「リーフe+」

リーフe+のように航続距離が450kmまで延びれば、ほぼガソリン車並みとなってEVの課題の一つがほぼ解消されたことになるのだ。

日産自動車「リーフ」が誕生した2010年は、どんな年

2010年にはリーフの他にも、日産の「ジューク」、レクサスの「レクサスLFA」、三菱の3代目「RVR」が登場した。

日産「ジューク」
2010年にデビューした日産「ジューク」。コンパクトなクロスオーバーSUVのパイオニア
三菱3代目「RVR」
2010年にデビューした三菱3代目「RVR」
クサスLFA
560psを発揮する「ㇾクサスLFA」

ジュークは、コンパクトスポーツとSUVを融合させたコンパクト・クロスオーバーSUVという新しいジャンルを開拓。レクサスFLAは560psを誇る和製スーパーカー、3代目RVRはRVブームで大ヒットした初代から当時人気となっていたコンパクトSUVへと生まれ変わってデビューした。

自動車以外では、2005年に小惑星イトカワに到達した宇宙探査機「はやぶさ」が60億kmの旅を終えて帰還。根岸英一氏と鈴木章氏がノーベル化学賞を受賞した。2005年に結成されたAKB48が、“ヘビーローテーション”などの大ヒットを連発しAKBブームが巻き起こった。
また、ガソリン132円/L、ビール大瓶200円、コーヒー一杯410円、ラーメン590円、カレー740円、アンパン140円の時代だった。

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5人乗りの本格乗用車の電気自動車として登場した日産自動車「リーフ」。日本だけでなく世界に向けてEVの狼煙を上げ、現在につながるEV時代の幕を開けた、日本の歴史に残るクルマであることに間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…