「ボウリングのボールをクルマにぶつける試験」など、日本には存在しない

ユーロNCAPの頭部インパクター試験 PHOTO:EuroNCAP
ドナルド・トランプ大統領がまたおかしなことを言った。「日本には高さ6mからボーリングのボールを落としたときにボンネットが凹むクルマを検査不合格にする安全基準がある」と。これは非関税障壁だと発言した。まったくの勘違いである。
TEXT:牧野茂雄(MAKINO Shigeo)

日本独自の基準は4項目だけ

PHOTO:Mercedes-Benz

日本の道を走るクルマはかならず国土交通省が定める「道路運送車両の保安基準」を満たすように作られている。その数は47項目ある。このうち43項目は国連欧州経済委員会自動車基準認証専門家会議(UN-ECE/WP.29=以下ECEと略)で議論を重ねて決めた国際基準であり、日本はこの国際基準を批准する協定に加盟しているほか、基準内容を議論する会議の主要メンバーでもある。

日本独自の基準は「車両寸法と重量の測り方」「シートの大きさなど内装の測り方」「ワイパー拭き取り面積」「緊急車両の回転灯の色」の4項目だけだ。残り43項目はすべてECE基準に従っている。

特徴的なのは、道路運送車両の保安基準は法律ではなく国土交通省令である点だ。法律にしてしまうと改訂には国会での審議と議決が必要になり、新しく制定されたECE基準を導入するときには時間がかかってしまう。省令であれば改訂は簡単に行なうことができる。

そのため、上位に道路運送車両法や道路交通法という法律を置き、そのなかで自動車が負うべき義務である安全性については臨機応変に対応できるようにした。道路運送車両の保安基準が「省令」である理由はここにある。

ちなみに日本独自の基準である4項目には、そもそも国際基準が存在しない。だから日本独自の基準を採用している。たとえば「車両寸法の測り方」は、日本はかならず末尾が0または5、つまり5mm刻みであり、5mmに満たない部分は二捨三入、5mmを超えてひとけた上の10mmまでの間は七捨八入というルールがある。

これは、製造時の誤差を認めるためだ。欧州各国はOEM(自動車メーカー)が提出する設計値をそのまま車両寸法にしているが、日本は国交省の試験場で実際に測定し、二捨三入と七捨八入というルールで処理している。

もう一点、重要なことは、日欧が採用しているECE基準は、インドや中国、豪州も部分的に採用していることだ。つまり、世界の人口と陸地面積という視点では「圧倒的多数派」である。この点が国際基準である所以だ。

アメリカは独自基準=完全なローカル基準

一方、米国にはまったく独自のFMVSS(フェデラル・モーター・ビークル・セーフティ・スタンダーズ=連邦自動車安全基準)という基準がある。この基準は米国だけのものであり、ECE基準を部分的にでも採用する国の人口合計と面積合計で見れば完全なローカル基準である。

では、日本はこの米国独自のFMVSSをどう扱っているのか。その答えは「極めて丁重に扱っている」である。ローカル基準としてではなく、基準が作られた背景を尊重し、全面的に受け入れている。FMVSSに定められた内容をECE基準に「読み替え」を行なっているのだ。

「アメリカさんのFMVSSに書いてあるこの部分は、ECEで言えばこの基準に相当しますから、オーケーです」と、親切に解釈してあげている。

カナダにも独自基準であるCMVSS(カナダ自動車安全基準。頭のCがカナディアンで以下は米国と同じ)がある。その内容はほぼFMVSSに準じているため、これについても日本はECE基準との読み替えを行ない、全面的に認めている。だからカナダ工場製の米国ブランド車もスムースに輸入することができる。

自動車の基準認証についての非関税障壁は存在しない

JNCAPの頭部インパクター試験

日本には、自動車の基準認証についての非関税障壁は存在しない。しかも輸入する自動車にかけられる関税はゼロ。世界でもっとも「自動車を輸出しやすい国」が日本なのである。

トランプ大統領の言う「ボーリングのボールをぶつける試験」は、人間の頭部を想定した球体(インパクター)を高さ2mからボンネット〜フロントガラス部分に向けて打ち出し、球体に内蔵したセンサーがどれくらいの衝撃を感知するかを見る「歩行者頭部保護試験」だ。これもECE基準である。

歩行者保護基準は、歩行者がクルマにはねられたときに人体へのダメージをなるべく抑えることが目的だ。足へのダメージを抑えるため、フロントバンパーはある程度潰れる構造になっている。上半身がボンネットフードからフロントガラスにかけての広い面積の「どこか」にぶつかることを想定し、この部分も柔らかい構造になっている。

球体をボンネットフードに打ち付ける試験は、人間の頭部がぶつかったときに「クルマ側が凹むことで頭部へのダメージを和らげている」ことを確認するための試験だ。トランプ大統領が言う「クルマ側に傷が付いてはいけない」は、まったくのウソである。

実は、この試験は米国では行なわれていない。日本と欧州が採用するECE基準では義務になっているが、米国基準であるFMVSSには「歩行者保護」を目的とした安全基準がない。だから試験も存在しない。

ECE基準に歩行者保護規定が入ったのは21世紀になってからであり、基準としてはもっとも新しい。しかし、21世紀初頭の時点で米国内の交通環境は「人とクルマの交通の分離」がほぼ実現していて、あえて歩行者保護基準を導入する必要はないと判断した。

ユーロNCAPの脚部接触試験

この判断を日本は尊重している。だからFMVSSに歩行者保護規定がなくても米国製のクルマを日本で販売することができる。もっとも、GM、フォード(米国本社の決定で日本での販売は終了)、クライスラー(会社名はステランティスであり、同社製のジープが日本に輸入されている)ともにECE基準の歩行者保護要件はほぼ満たしている。単純にFMVSSに規定がないだけだ。

自動車の安全基準は、国ごとの交通環境から生まれている。米国のFMVSSも日欧のECE基準も「どのような交通事故が起きているか」「ひとつの形態の交通事故でどれくらいの人が死傷しているか」を調査・分析し、優先順位の高いものから基準化されてきた。

典型的な例はFMVSSにある側面衝突基準だ。米国内には信号のない交差点が多く、しかも「丘の頂上に十字路がある」という例が多い。これは馬車時代の名残であり、見晴らしのいい丘の上で交差するように道が作られた結果だ。

上り坂で先に見えにくく、しかも一時停止をしない。そのためクルマの側面と前面がぶつかる事故が多発していた。そこで、側面のドア内に丈夫なパイプ材を入れて乗員を保護することがFMVSSで義務付けられた。

一方、日本も欧州も、この手の事故は圧倒的に少なく、側面衝突基準が定められたのは米国よりもずっと後だった。しかし、米国で販売される日本車はすべてFMVSSのルールに則りドア内部を補強していた。相手の国の決定を尊重し、その決定の背景にある事実を尊重する。これが日本の姿勢である。

トランプ大統領の主張は、完全に誤りである。ただし、過去に米国は民主党政権でも共和党政権でも、少なからず他国に自国のルールを押し付けてきた。その意味では「またか」と思う。

前バイデン政権が決めたインフレ抑制法の中にあるBEV(バッテリー電気自動車)の規定は「アメリカで生産されたBEVにしか満額の補助金は出さない」というものだ。狙ったのは中国からのBEV流入の阻止だった。EU(欧州連合)は昨年、中国からの輸入BEVに追加の関税を上乗せした。EUはあからさまに中国排除である。

日本はどの国で作られたBEVにも等しく補助金を交付している。それが日本の姿勢である。中国BYDオート(比亜迪汽車)製のBEVも国産車と差別しない。それが日本なのである。

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著者プロフィール

牧野 茂雄 近影

牧野 茂雄

1958年東京生まれ。新聞記者、雑誌編集長を経てフリーに。技術解説から企業経営、行政まで幅広く自動車産…