マルチドメインモデリングとシミュレーション技術で自動車開発を加速[MATLAB EXPO 2023にみるMBD最新事情]

2023年5月末、MATLAB、Simulinkに代表されるMathWorks製品のユーザーカンファレンス、
MATLAB EXPOが開催された。なんといっても興味深かったのは、自動車メーカーや関連サプライヤーによる、これらのツールの応用事例をテーマとした講演。MBDの核として重要な役割を担うMATLAB、Simulinkは、AI技術も積極的に取り入れながら、新たなフェーズを迎えようとしている。


TEXT&PHOTO:髙橋一平(Ippey TAKAHASHI) FIGURE:MathWorks

MATLAB、Simulinkは、米MathWorks(マスワークス)社が手掛けるソフトウェアツールである。これまでも自動車業界を中心に、特に制御設計の領域で聞くことが多かったこれらの名だが、ここにきてさらに活躍の場が広がり、着実に存在感が増している。背景にあるのは、近年において急速な広がりを見せつつあるMBD(モデルベース開発)、そしてパワートレーンの電動化やAD/ADAS、さらにコネクテッドなどといった新たな技術領域への対応が求められるという、自動車開発を取り巻く環境の変化である。

近年の自動車は、さまざまな異なる領域の技術を集約した複合体であり、そのシステムは非常に複雑なものとなってきている。それにともない、設計開発において検討しなければならない範囲は大きく拡大、次から次へと押し寄せる新たな技術トレンドの波に対しても迅速な対応も必要となることもあり、開発のスピードに求められる条件はシビアさを増す一方である。こうした状況において、シミュレーションの活用による効率的な開発、すなわちMBDはもはや前提であり不可欠な要素といえる。

しかしながら、さまざまな領域の技術や物理現象をMBDで扱うためには、複数の異なる物理ドメインのモデリング(モデル化)が必要だ。メカ(機械)、エレキ(電気)、流体、熱、そして制御といった要素、これらそれぞれを司る物理法則を礎としながらモデリングするという、マルチドメインモデリングである。そしてここで鍵となるのが、異なるドメインにまたがるモデルを繋ぐ連成シミュレーションだ。

自動車のパワートレーンや、車両のダイナミクスに関係する要素をSimulinkのブロックライブラリとしたもの。自動車はもちろん、二輪車からトレーラーまでさまざまな車両モデルを構築することが可能で、それぞれの制御を開発する際のMILS/HILSに応用することもできる。

それぞれのドメインに対応したツールでモデリングしたうえで、それらを組み合わせながら連成するということも可能だが、別々のツールを連成して正しい計算結果を得るためには、それぞれのモデル間でのデータの受け渡しをどのようにするのかなど、環境構築にそれなりの手間がかかるのが一般的だが、MathWorksの製品であれば、MATLABを礎とするひとつのプラットフォーム上ですべてのドメインを扱うことができる。

この役目を担うのがアドオン製品のSimscapeプロダクトファミリで、これによりアイコンのようなブロックを組み合わせてブロック線図を作成することで、それがそのままモデルになるというSimulinkの環境上でマルチドメインの物理システムモデルをすばやく作成することが可能となる。環境構築の手間が不要であることはもちろんだが、Simulinkはもともと制御設計を得意としているということで、制御要素まで含めるかたちでマルチドメインモデリングを統合的、かつシームレスに扱うことができる。この“マルチドメイン+制御”というコンセプトを単一環境で実現できることがMathWorksならではの特徴であり、メリットといえるだろう。

計算負荷への対応も重要だ。マルチドメインの複雑なモデルが素早く構築できたとしても、解析のためのシミュレーションに時間が掛かってしまっては、それが活用できる場面は限定的なものとなってしまう。もちろん、高精度の“フルモデル”によるシミュレーションも必要ではあるものの、開発には時間的な制約が常についてまわることを忘れてはならない。とくに数多くの検討検証が求められるような場面では、その傾向がよりシビアなものになる。時間内にどれだけ多くのシミュレーションを“回す”ことができるかということは、設計の最適化や適合品質を左右する重要なポイントだ。そのために用いられるのが、詳細度の高いモデルを簡易なモデルに置き換えるという手法である。

軸の先にベアリングを介して取り付けられた振り子(赤い棒)を倒立状態に保つという制御のデモンストレーション。振り子を支える軸には、左右180度の範囲のみで回転できるという制限のなか、AI技術を用いることで最適な制御条件を自ら探しだす。Simulinkに用意されているAI技術要素のブロックを用いた応用例だ。

例えばエンジンとモーターの協調制御を行なう場合、エンジンなら内部のガスの流れ、モーターなら電流の振る舞いなどまで詳細にシミュレーションしなくても、それぞれのユニットとしての振る舞いが把握できる簡易なモデルがあれば、検討や適合が可能だ。観察したい現象、あるいは評価したい内容に応じて、必要最低限の粒度を維持した上で、(詳細度の高いモデルの)代理として用いるこうしたモデルを、サロゲートモデル(代理モデル)と呼ぶのだが、そこには作成する時間や手間もさることながら、いかに計算負荷を抑えながらも充分な精度を確保するかという問題が存在する。

MathWorksではAI技術を応用したAIサロゲートモデリングの手法を用意。AI技術ということで、いわゆる機械学習や深層学習を用いて、サロゲートモデルを作成するというものである。機械学習や深層学習に特化したアドオン製品(Statistics and Machine Learning Toolbox, Deep Learning Toolboxなど)も提供されていて、様々なタイプの学習モデルでサロゲートモデルの評価検討を容易に行なえるため、ケースに最適なかたちで使いこなすことが可能だ。もちろん導入にあたってのコンサルティングなどサポート体制も万全である。

MATLABはソフトウェアツールであると同時に、そのツール環境内で実行することのできる数値計算に特化したプログラム言語の名称でもある。数値計算向けのプログラム言語というと、かつてはFORTRANやPL/Iといったものが広く使われていたが、これに代わるものを目指して開発されたのがMATLAB(MATrix LABoratory)。使いやすさと親しみやすさに重点を置いたコンセプトは広く受け入れられることになり、MathWorks社設立(1984年)のきっかけにもなった。PC向けのソフトウェアであり、アプリケーションウィンドウを介したテキストの入出力が基本となっている。
これに対しSimulinkはさまざまな機能を持つブロックを組み合わせて、ブロック線図(ブロックダイアグラム)を作成すると、それがそのままモデルとして機能するというもので、より直感的で親しみやすいグラフィカルインターフェース(GUI)環境が最大の特徴。MATLABはロジックやスクリプト、Simulinkはモデルの作成を得意としており、ともに連携を前提としていることから、ウインドウ上部のプルダウンメニューをはじめ、操作には共通するところが多くなっている。ほかの言語環境との連携も可能で、多彩な機能をもつ100種類以上ものアドオン製品もラインナップ。MATLAB、Simulinkでの記述からマイコンに実装可能なコードを生成するという機能も用意されている。

このAIサロゲートモデリングはすでに自動車分野にも導入が進んでおり、今回、取材で訪れたMATLAB EXPOでも、SUBARUやサンデンなど、複数のメーカーがその成果を発表していた。AI技術というと画像認識や自動運転などのGPUを用いるような、比較的規模の大きな利用方法が注目を集めているが、いずれの発表事例も、手の内に収めるかたちでシンプルかつミニマムに使いこなしている点が印象的だった。

MATLAB、Simulinkは自動車分野に限らず、多くの科学技術分野において新たなアイディアの具現化に大きく貢献してきた。わかりやすく簡単に扱える一方で、高機能で深淵なる世界も併せ持ち、研究者やエンジニアたちのイマジネーションを“機能拡張”するかのように補強するこのツールは、常に次世代を見据えながら、いまなお進化を続けている。

ATの油圧システムの解析にAIサロゲートモデリング技術を適用したSUBARUの研究事例。従来の1Dモデルでは対象とする実現象に対し、その150倍もの解析時間が掛かっていたが、Neural ODE(Ordinal Differential Equation:常微分方程式)と呼ばれるニューラルネットワーク手法(AI技術)を用いることで、解析にかかる処理負荷を大幅に抑制。カギとなる油圧波形の精度を担保しながら、解析時間はじつに99%減、実現象の半分程度という成果を得ることができたという。
サンデンによるAIサロゲートモデリングの事例。LSTM(Long Short Term Memory)という手法を用いるニューラルネットワークにより、電動コンプレッサーのモーターをサロゲートモデル化。計算に要する負荷を抑えるべく、サンプリングレートを低速化しながらも、高いシミュレーション精度を確保。AI技術で作成したサロゲートモデルはリバースエンジニアリングが困難ということで、外部に提供するモデルの秘匿性確保という意味においても有用だ。

キーワードで検索する

著者プロフィール

Motor Fan illustrated編集部 近影

Motor Fan illustrated編集部