MATLAB、Simulinkは、米MathWorks(マスワークス)社が手掛けるソフトウェアツールである。これまでも自動車業界を中心に、特に制御設計の領域で聞くことが多かったこれらの名だが、ここにきてさらに活躍の場が広がり、着実に存在感が増している。背景にあるのは、近年において急速な広がりを見せつつあるMBD(モデルベース開発)、そしてパワートレーンの電動化やAD/ADAS、さらにコネクテッドなどといった新たな技術領域への対応が求められるという、自動車開発を取り巻く環境の変化である。
近年の自動車は、さまざまな異なる領域の技術を集約した複合体であり、そのシステムは非常に複雑なものとなってきている。それにともない、設計開発において検討しなければならない範囲は大きく拡大、次から次へと押し寄せる新たな技術トレンドの波に対しても迅速な対応も必要となることもあり、開発のスピードに求められる条件はシビアさを増す一方である。こうした状況において、シミュレーションの活用による効率的な開発、すなわちMBDはもはや前提であり不可欠な要素といえる。
しかしながら、さまざまな領域の技術や物理現象をMBDで扱うためには、複数の異なる物理ドメインのモデリング(モデル化)が必要だ。メカ(機械)、エレキ(電気)、流体、熱、そして制御といった要素、これらそれぞれを司る物理法則を礎としながらモデリングするという、マルチドメインモデリングである。そしてここで鍵となるのが、異なるドメインにまたがるモデルを繋ぐ連成シミュレーションだ。
それぞれのドメインに対応したツールでモデリングしたうえで、それらを組み合わせながら連成するということも可能だが、別々のツールを連成して正しい計算結果を得るためには、それぞれのモデル間でのデータの受け渡しをどのようにするのかなど、環境構築にそれなりの手間がかかるのが一般的だが、MathWorksの製品であれば、MATLABを礎とするひとつのプラットフォーム上ですべてのドメインを扱うことができる。
この役目を担うのがアドオン製品のSimscapeプロダクトファミリで、これによりアイコンのようなブロックを組み合わせてブロック線図を作成することで、それがそのままモデルになるというSimulinkの環境上でマルチドメインの物理システムモデルをすばやく作成することが可能となる。環境構築の手間が不要であることはもちろんだが、Simulinkはもともと制御設計を得意としているということで、制御要素まで含めるかたちでマルチドメインモデリングを統合的、かつシームレスに扱うことができる。この“マルチドメイン+制御”というコンセプトを単一環境で実現できることがMathWorksならではの特徴であり、メリットといえるだろう。
計算負荷への対応も重要だ。マルチドメインの複雑なモデルが素早く構築できたとしても、解析のためのシミュレーションに時間が掛かってしまっては、それが活用できる場面は限定的なものとなってしまう。もちろん、高精度の“フルモデル”によるシミュレーションも必要ではあるものの、開発には時間的な制約が常についてまわることを忘れてはならない。とくに数多くの検討検証が求められるような場面では、その傾向がよりシビアなものになる。時間内にどれだけ多くのシミュレーションを“回す”ことができるかということは、設計の最適化や適合品質を左右する重要なポイントだ。そのために用いられるのが、詳細度の高いモデルを簡易なモデルに置き換えるという手法である。
例えばエンジンとモーターの協調制御を行なう場合、エンジンなら内部のガスの流れ、モーターなら電流の振る舞いなどまで詳細にシミュレーションしなくても、それぞれのユニットとしての振る舞いが把握できる簡易なモデルがあれば、検討や適合が可能だ。観察したい現象、あるいは評価したい内容に応じて、必要最低限の粒度を維持した上で、(詳細度の高いモデルの)代理として用いるこうしたモデルを、サロゲートモデル(代理モデル)と呼ぶのだが、そこには作成する時間や手間もさることながら、いかに計算負荷を抑えながらも充分な精度を確保するかという問題が存在する。
MathWorksではAI技術を応用したAIサロゲートモデリングの手法を用意。AI技術ということで、いわゆる機械学習や深層学習を用いて、サロゲートモデルを作成するというものである。機械学習や深層学習に特化したアドオン製品(Statistics and Machine Learning Toolbox, Deep Learning Toolboxなど)も提供されていて、様々なタイプの学習モデルでサロゲートモデルの評価検討を容易に行なえるため、ケースに最適なかたちで使いこなすことが可能だ。もちろん導入にあたってのコンサルティングなどサポート体制も万全である。
このAIサロゲートモデリングはすでに自動車分野にも導入が進んでおり、今回、取材で訪れたMATLAB EXPOでも、SUBARUやサンデンなど、複数のメーカーがその成果を発表していた。AI技術というと画像認識や自動運転などのGPUを用いるような、比較的規模の大きな利用方法が注目を集めているが、いずれの発表事例も、手の内に収めるかたちでシンプルかつミニマムに使いこなしている点が印象的だった。
MATLAB、Simulinkは自動車分野に限らず、多くの科学技術分野において新たなアイディアの具現化に大きく貢献してきた。わかりやすく簡単に扱える一方で、高機能で深淵なる世界も併せ持ち、研究者やエンジニアたちのイマジネーションを“機能拡張”するかのように補強するこのツールは、常に次世代を見据えながら、いまなお進化を続けている。