林義正先生、「トルクと馬力」って何が違うんですか、教えてください。

「トルク」と「馬力」。毎日のようにエンジンのスペックと睨めっこをしているモーターファン・イラストレーテッド編集部でもその数字の大小以外は、知っているようでまったくわかっていない。物理の勉強をいちからやり直すのもなんだし、メーカーのエンジニアに正面切って取材をするのも気が引ける。そういえば、なにかにつけ「エンジンなんて馬力が出てればいいんです」と言い放つ御仁がいたっけ。そうだ、鎌倉に行こう!!
TEXT:三浦祥兒(MIURA Shoji)
*本記事は2016年12月に執筆したものです

 11月23日。祝日である。多忙な林先生に取材とは名ばかりの受講を申し込むと、この日だけしか空いていないという。是も非もない。高邁ではあるが、一方で技術者にとっては馬鹿馬鹿しい初歩の初歩を、お話ししていただけるだけでありがたいのである。しかし、編集担当のMZWも、編集長も、デスクの司令塔であるN女史も、休日だから他に用があって来られないという。世が世なら不敬罪だ。
「こんなタメになるハナシをするのに、あなただけとはねぇ……」
 恐縮の上にも恐縮して身が縮む。特に女性をこよなく愛する林先生にとっては、折角の休日を野郎とふたりで過ごすのは大変ご不満のご様子とお見受けする。
「……で、トルクと馬力、ですか。いろいろと誤解があるようですねぇ。まぁ、ここでひとつハッキリさせておきましょう」
 ダレかけた林宅の居間の空気が、急に引き締まった。林先生がその気になると、その言説は素人風情の手に負えるモノではない。以下は先生のお話の要約であり、文責は筆者にあることを御理解願いたい。

その1―トルクと出力の違い

「山の上に石があった、としましょう。地面の上に乗っかっているだけで動いてはいません。だから仕事はまったくしていないのですが、石に力はかかっています。重力という力ね。で、地震があったか、誰か蹴っ飛ばしたかで、これが転がり出した。そうすると仕事が始まるわけです。転がりはじめはまだ速度が低いけれど、時間の経過とともにどんどん速度が上がっていきますね。『力』そのものはなんの結果ももたらさないわけですが、それが一定の距離を動いたらこれが『仕事』になって、さらに時間という次元が加わると『仕事率』、つまり出力になる。そういうことです」

 トルクと出力の違いの説明はこれだけである。もう少し科学的(?)な説明を補足するとこうなる。

■ 1kgの質量を持つ物体に1m毎秒2の加速度を生じさせる『力』=【N(ニュートン)】
■ 1Nの力が物体を1m動かす時の『仕事』=【Nm(ニュートン・メートル)】
■ 1秒間に1Nmの仕事が行なわれる時の『仕事率』=【W(ワット)】

 単位や数字が入ってくると、途端に頭が沸騰するのが文系人間の常ゆえ、もっと現象に即して噛み砕いてみる。人が歩くということは、質量を持った物体が移動するわけだから、仕事=トルクが発生している。その場合、同じような歩幅を持っていれば歩く速度はほぼ一緒なので、運動不足の中年ライターも、ウサイン・ボルトも、フツウに歩いている限り発生する出力は同じだ。だが、陸上トラックで100m走をするとなればハナシは別だ。ボルトは9秒半ばで駆け抜けるのに対し、へっぽこオッサンは20秒で走れれば御の字だろう。同じトルクだと仮定して、移動に必要な単位時間が倍違えば、これはまるっきり出力が違うということになる。つまり速く走ろうとすれば、出力が必要になるのだ。

 いやいや待てよ。ボルトとオッサンじゃぁ筋肉の付き方がまるで違う筈だ。元々のトルクが全然違うだろ――。正論である。人間の場合はトルクの差がそのまま出力に直結するといってよいかもしれない。しかし、クルマの場合は事情が違うのだ。

「力」とは、エネルギーを持っているけれどまだなにも結果がもたらされていないもの。「力」によって、物体がある距離を動くとはじめて「トルク」となる。トルクは一般的に移動角θで表される。同じ移動距離もしくは角度でも、移動するスピードが違えば、それは「出力」が違う。同じ「トルク」を発生していても、到達時間が短ければ「高出力」ということ。我々はクルマに乗っている時。たとえわずかな時間でも時間軸でエネルギーを感じている。言い換えればクルマの動力性能を「出力」で認識しているのだ。

その2―トルクは増幅できるが出力は不変

 極端にトルク不足のオッサンではあるが、ヤバいクスリかなにかを飲んで、ピッチが普段の倍以上速くなったとしたら、10秒を切るかもしれない。また、股を切り裂くか、特注のシークレットブーツを履いて脚の長さを倍にしたら、同じピッチでも10秒で走れるかもしれない。

 クスリやシークレットブーツといった能力増幅機能が、クルマの場合はトランスミッションにあたる。もしクルマにトランスミッションがなく、エンジンと駆動軸が直結ならば、これはまさにヘタレなオッサンと同じである。信号が青になってから次の信号まで、後続のクルマからホーンと罵声の嵐を浴びる羽目になるだろう。発進の際はファイナルギヤを含めて10倍以上の減速をしてはじめて、クルマはまともに動き出すことができる。回転を減速するということは、すなわち、トルクを増幅していることに他ならない。

 では、トルクをどんどん増幅すれば出力も比例して上がるのか、といえばさに非ず。エンジンには回転限界があるから、早々に回転が頭打ちになって速度が上がらない。結果としてある地点までの到達時間は大して変わらない、ということになる。つまり、とあるエンジンを搭載したクルマにとって、トルクは増幅できても出力は変えられないのだ。50ccの原付エンジンに超多段トランスミッションを付ければ、車重2tのクルマを、とりあえず走らせることはできるだろう。だが、その内出力が走行抵抗に負けてスピードが出なくなる。当然高速道路を走ることはできないはずだ。

 重い車体を加速させてスピードを出すにはトルクではなく、出力が要るのである。

その3―結果はすべて出力が決める

 もちろんトルクはあればあった方がよい。回転数が同じだとしたら、出力はトルクを時間で割ったものだから、分子が増えれば出力は増える。それでもトルクと出力に関する不毛な問答が世に憚るのは、皆「エンジンが発生するトルク」と「タイヤに伝わるトルク」を混同しているのが原因のように思う。

 巷で「このエンジンはトルクがある」と言われるのは、じつのところエンジンのトルクを評しているのではなく、トランスミッションを介した軸トルクを云々しているのである。前記したように、エンジンが有り余るトルクを発生しても、トランスミッションで減速しなければ発進も覚束ない。逆にエンジントルクがか細くても、強烈にローギヤードにすれば猛烈な加速をするだろう。

 トルク特性が低回転寄りか、高回転寄りかという問題はあるにせよ(後記)、人間はエンジン単体のトルクなど感知できないといっても過言ではない。「トルクを認識できるのは台上の動力計だけ」と先生は言う。

「トップギヤに固定して(トルク増幅の影響を薄めて)、登り勾配をアクセルベタ踏みで走ればわかるはずです。トルクがいくらあっても最後は出力だって。ゼロヨンみたいな加速勝負はトルクが決めるなんていうのも、大ウソもいいところですよ。あれは400mの地点に最高出力が出るようにギヤ比をセッティングすればいいだけです。クルマの性能の第一義がスピードだとするならば、その結果を決めるのは出力です」恐れていた微分・積分を交えた解説は幸いにも回避され、単刀直入に一見形而上の概念を、我々の理解の地平に引きずり下ろしていただけた。一時限目はここで終了である。

 先生ご愛顧の洒落たハンバーグ屋で昼食をご馳走になる。ハンバーグもファミレスのそれとはまるで違い、じつに素晴らしいお味であったが、デザートのケーキがまた結構。ちなみに先生はこの店のイチジクのケーキが大変お気に召しているらしく、メインディッシュの前に「今日はイチジクあるの?」と念を押されるほど。こんな素敵なご馳走を食いそびれるとは、編集部の面々もアホやなぁ。
 さて、編集担当MZWは授業に出席しないくせに「先生にこれだけは訊いておいてください」と、質問状を寄越してきた。それも当日の朝の8時に。これ、代返と違うか?
 あまりにも稚拙でくだらない質問だったので、持って行くのを止めようと思ったが、一応副編集長殿の言伝だからと、恐る恐る二時限目の冒頭に先生へお目通しさせてもらった。
「……、何というか、都市伝説ですね、これは。まぁいいでしょう、面白いかもしれない」

その1―ロングストロークはトルクが出るのか

「こんなこと言う人がいましたよ。クランクアームが長ければトルクが出るはずだって。確かにボア径が同じでストロークが増えればトルクは出ますよ。でもね、これって排気量が増えてるんですよ」

 盲点である。黙って聞き流せば騙されるところだ。

「まぁ、そこは目を瞑るとして、やたらと長いストロークにすればトルクは出せますよ。でもそうすると今度は回せないでしょ。ピストンスピードが上がっちゃうから。回転が上げられなければ、やっぱり出力は出ないですよ」

 一義的にはトルクの多寡は排気量(気筒容積)で決まり、ボアやストロークとは関係がない。ストロークを短くしてもボアを拡げれば、燃焼ガスの受圧面積が増えるから同様のトルクが出る。レーシングエンジンの様にB/S比が2:1といった超ショートストロークでも、1万回転以上回すと慣性で空気が加速度的にシリンダー内に流入するから、下手なロングストロークよりトルクは増えるのだそうだ。

「ストロークが長いと上まで回せないから、トルクを低回転で出さないと結果的に出力を発揮できない。つまり『トルクがある』のではなくただ下に寄っているだけなんです」

レシプロエンジンのトルクは気筒容積でほぼ自動的に決定し、ボアやストロークとは関係ない。ロングストロークでトルクが出る、という迷信は、「同じボアでストロークを増やした場合のことを勘違いしているのでは」と林氏は語る。トルクは排気量でほぼ決まると同時に、超高回転まで回せば慣性吸気で吸入空気量が増え、トルクも出る。

その2―トルクの低回転型・高回転型とは

「4000rpmしか回らないエンジンがあるとして、そのトルクピークを5000rpmに設定しても意味がないでしょ。だから、ピークをなるべく下に持っていかざるを得ないわけですよ」

 では、トルクピークを移動させるにはどうすればよいのか、というと、これはほとんど吸排気系の仕事である。すなわち、インマニの長さと径、バルブタイミングとリフト、エキマニの集合部までの長さだ。トルクの絶対量は気筒容積で決まってしまうが、その推移に関してはシリンダーヘッドとその前後でコントロールできる。というよりも、エンジンの許容回転数によってトルクの山はほぼ自動的に変わるのだ。

「ちなみに、気筒数でトルクが変わるというのは一理あります。気筒数が増えるほどフリクションが増えるでしょ。回転数の1.5乗ですから、その分ピストンから発生したトルクは食われちゃいます。ただね、動弁系はそれほどでもないんです。バルブスプリングを縮めてバルブが開いているとき、他の気筒は元に戻って差し引きチャラになっちゃうんでね。4気筒が12気筒になっても、動弁系フリクションは大して増えません。これが単気筒だと『行って来い』がないからまるまる損になりますよ。通常のバルブスプリングではなくてニューマティックは、圧縮した気体をバルブを閉じる時捨てちゃうから、この理屈が当てはまらないんですが」

左の仕様では最大トルクは4000rpmで400Nmを発揮し、最大出力は5300rpmで193kWを発生する。右の高出力仕様になると、最大出力は200rpm高い回転数で10kW高く、最大トルクは逆に低くなっているが5500rpmまで発生ポイントが高められている。ターボエンジンなので過給圧でトルクはいかようにも演出できるが、出力を上げるためには、よりエンジンを多く回し、最大トルクも高回転域に寄せなければならないのが一目瞭然。
今度はほぼ同排気量のディーゼルターボエンジン(左)とガソリンターボエンジン(右)との比較。排気量はDEの方が200cc少ないが、ほぼ同等のトルクを発生している。しかしガソリンエンジンが5700rpmで最高出力を発揮するのに対し、DEではその6割程度でしか回せないため、結果的に出力に倍以上の差が現れる。DEは排気量当たりの出力が稼げないので高速走行車には向かないが、代わりにボア径の制約がないため、排気量=トルクはいくらでも大きくすることができる。
出力をトルク×回転数と定義するならば、回転を抑えてトルクで同じ出力を出すことは可能。ただし回転を抑えた分、トルクの発生ポイントも下げなければ意味がない。NAで高回転高出力を狙うには、排気管をタコ足にして排気脈動の転換点を上へ持っていく。回す必要がなければ極端に短い排気管でも構わない。

その3―フライホイールが軽いとトルクが減る

「じつはね、1速発進時にフライホイールを回すためのトルクは、純粋にエンジンがクルマを加速させる時の駆動トルクより大きいんですよ。ギヤ比を低くしてトルク増幅するのは、ほとんどフライホイールを回すためといってもいいくらいです。2速くらいで大体トントンかな。トップギヤになればもうゼロに近いです。フライホイールはエンジンの回転変動をなくすためだけにあるのであって、トルクについては損する一方なんですよ」

 エンジントルクが駆動軸にいくまでに、トランスミッションやドライブシャフト、ホイール等のフリクションや慣性モーメントによるロスが発生する。その流れの一環にフライホイールもあるのだが、他の要素と違いフライホイールはエンジン直結で減速されないため、そのロスが取り分け多いのだ。フライホイールがなければエンジンは一気に吹け上がるから、短時間で回転が上がる。つまり出力が増える。バイクのエンジンが四輪のものより比出力が大きいのは、フライホイールがないせいもあるのだ。

「本当はエンジンとトランスミッションの特性に合わせてフライホイールのIP(回転変動モーメント)も細かくイジってあげた方がいいんですけど、いまは何でも共用にしちゃうから」

レシプロエンジンの間欠燃焼による回転変動振動を抑える目的のフライホイールは、トルクには何の貢献もしないばかりか、動力装置としては単なる錘に過ぎない。その慣性モーメントは回転上昇の妨げになるから、振動より出力を優先する高回転エンジンでは、素材を軽くした上に軽め孔を開けて軽量化を施す。

いまどきのエンジン、トルクと出力

「この辺でいいですかね」

 もう3時だ。奥様が紅茶とお菓子を持ってきてくださった。先生は大の甘党だから、お宅にお邪魔するとこれでもか、というほどにスイーツが供される。先ほどのハンバーグとケーキがまだ胃の中に残っている気もするが、ありがたく頂戴することにする。

「トルクと馬力とどっちが大事かって言えばね、そりゃぁ馬力に決まってます。トルクなんて必要最小限あれば十分で、後は増幅して回転で稼げばいいんです。けれどもダウンサイジングターボなんかは、上、回らないでしょ。小径ターボと多段トランスミッションでひたすらトルク増幅して(ターボもトルク増幅機!)エンジンを極力低回転域に留めようとするのは、燃費の問題があるからどうしようもない」

 こうしたいまどきのエンジンは「低速トルクが太い」などと謳われているが、先生にかかればお笑いぐさで、トルクではなく出力を低速で出しているだけだ、と断言する。同じBSFCならば出力と燃費は反比例するといってよいから、フリクション低減、つまり燃費のために、回転馬力は重視しない傾向になってきてはいる。だが、その出力とはカタログ上の最高出力ではなく、街中をフツウに走っている時の仕事量のことを指すのであって、前記したように、実際には吸排気系の操作で出力を低回転域に寄せたに過ぎないのだ。

 回転馬力至上主義ともとれる先生の舌鋒は、電動モーターをもぶった斬る。

「モーターはね、種類によって違いますけれど、基本的に出力一定でしょ。特性として回転数が増えるとトルクが減る上に、速度が上がると走行抵抗で出力も食われる。だから、私から見たら面白くないんです。スピード出さないお買い物用途であればいいと思いますが」

 モーターを色眼鏡で見ているような先生だが、不要と言われているトランスミッションが付けばまたハナシは別だ、と言う。高回転で減るトルクを減速して取り戻してやれば、出力一定の特性が効いて窓が開くというのだ。ここでもトルクはどうにでもなるのであって、大事なのは出力を如何に出すか、ということが胆になっているのであった。

「トルクなんてね、ブラジャーにパッドを入れたオッパイですよ。詰め物で豊かに見せかけるだけ。大事なのはちゃんとしたオッパイです」

 ちゃんとしたオッパイというのが、どうやら馬力のことらしい。先生は本当に甘いものと女性が大好きなのだ。

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