最若手のスケッチが本田宗一郎の目にとまる

大きくなった現行モデルにまたがりポーズ。初代はそのサイズからシート高の設定に苦労したという。

「機械ということを感じさせないシンプルなデザイン」……ダックス開発時に、本田宗一郎氏が語ったダックスのあるべき姿がこの一言。シンプルさを追求して描いたスケッチが認められ、デザインを担当することになったのが森岡さんだ。

1961年に森岡さんが入社した当時はバイクとクルマ、さらに汎用エンジンなどすべてのデザインを7人のデザイナーでまかなっていた。最年少の森岡さんは日々雑務に追われる毎日で、初代ダックスのスケッチは帰宅後の深夜に描かれたもの。自ら「デザイン係長」を名乗っていた宗一郎氏は、毎日のようにデザイナーたちの机が並ぶ一室を練り歩く。そこで机の端に深夜描いたスケッチを見えるように置いて、先輩デザイナーを出し抜き宗一郎氏から「これだ!」という一言を引き出した。

ダックス開発当時、モックアップと思われる貴重な写真。

そもそも初代ダックスはアメリカホンダの要請で開発が始まっている。多摩テック生まれのモンキーが子供や女性のトレッキングバイクとして人気になり、ひと回り大きなモンキーが欲しいと提案された。しかもクリスマス商戦でプレゼントにも最適な商品であることも重要だった。

販売側から「冬でも売れるバイク」が欲しいと言われて試作した太足仕様。タイヤの走行抵抗が大き過ぎて「全然走らなかった」。

だからこそシンプルさが重視され、人が恐怖心を抱く機械的な要素やバイクらしさを徹底的に排除した。燃料タンクをフレーム内に収納したスタイルがそれで、当初のスケッチではリヤショックすらない。

国内ではダウンマフラー仕様が先に発売されたため、アップマフラーが後と思われているが、森岡さんが最初に描いたのはアップマフラー仕様。これも野山を走る前提だったため。ダウンマフラーは森岡さんとは別の人物が手がけている。

本田宗一郎が激怒! エルシノア開発の舞台裏

森岡さんはその後、多くのバイクをデザインしたが、印象深かったのはエルシノアだ。秘密裏に組まれた開発チームにデザイナーとして参加。秘密裏なので国内ではなくアメリカで試作車のテストをすると、テストライダーから絶賛され、宗一郎氏を招いてエルシノアの発売を説く。確かに高い評価を得たものの、宗一郎氏はマシンの評価とは別のところで大激怒。試作車にはホンダのホの字もロゴも描かれていなかったからだ。

「俺の名前を消したヤツがいる!」と激昂し、「帰国時に説明せよ」との指令が飛ぶ。森岡さんが説明することになり、言い訳を徹夜で考え「機密保持のためホンダの名を入れなかった」とした。代わりにウイングマークを新たにデザインして使う提案が受け入れられ、市販車には独特のデカールが採用されたのだ。

その後もCB750F/900Fなど歴史に残る名車をデザインされた森岡さん。この日のトークショーで「50年経った今も皆さんに愛されていることを誇りに思います」と、改めてダックスが息子のような存在であることを語ってくれた。


※この記事はモトチャンプ2022年7月号に掲載されたものを加筆修正しています。