「燃費105km/Lへ!」1981年 エコノパワー

1970年代のオイルショックを経て、省エネルギーへの関心が高まった1980年代。ホンダはスーパーカブ50に、燃費と出力の両方を高める新設計の「エコノパワーエンジン」を投入した。

燃焼室のコンパクト化や燃焼効率の向上、ピストンやコンロッドの軽量化、カムシャフト軸受などのフリクション低減を進め、1981年には30km/h定地走行テスト値で105km/Lを実現。従来の85km/Lから大きく伸ばしながら、最高出力も4.2psから4.5psへ高めた。単にガソリンをケチっただけではなく、“燃費と力強さを両方良くする”というのがエコノパワーの狙いだったのである。

この年はスタンダード、デラックスに加え、デラックスにはセル付きも設定。CDI点火や燃料計、大型レッグシールドなど、日常での扱いやすさも着実に高められていた。

そのころ日本では――寺尾聰の「ルビーの指環」が大ヒットし、日本レコード大賞を受賞。近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」もこの年の話題曲だった。まさに昭和歌謡が元気いっぱいの時代!

「さらに150km/L!」1982年 スーパーデラックス50

翌1982年には、さらに強烈な数字が飛び出す。スーパーカブ50スーパーデラックスは、カタログ燃費を105km/Lから150km/Lへ一気に引き上げた。

新設計の49ccエコノパワーエンジンでは、燃焼室形状や吸排気系を見直し、摩擦抵抗も低減。しかも最高出力は4.5psから5.5psへアップしている。燃費を伸ばしながらパワーまで増やしているのだから、当時のホンダが省エネだけを見ていたわけではないことが分かる。

スーパーデラックス50は角型ヘッドライトや角型ウインカー、大型テールランプを採用。さらに4段のエコノミードライブ付き変速機を備えるなど、上級仕様らしい装備が与えられていた。

そのころ日本では――10月4日、『笑っていいとも!』が放送スタート。新宿スタジオアルタからの生放送で、タモリがお昼の顔になる長寿番組がここから始まった。

「驚異の燃費180km/L!」1983年 スーパーカスタム50

そして1983年、燃費競争はついに180km/Lへ到達する。

スーパーカブ50シリーズに追加されたスーパーカスタムは、30km/h定地走行テスト値で180km/Lを記録。ホンダ自身が当時「驚異的な超低燃費」とうたったほどの数字だった。

もちろん、ただ燃料を薄くしただけではない。新エコノパワーエンジンでは副吸気回路を採用し、混合気の流れを工夫して燃焼効率を向上。使用頻度の高い中・低速域での扱いやすさを確保しながら、180km/Lという燃費性能を実現していた。

1981年の105km/L、1982年の150km/L、そして1983年の180km/L。わずか3年でここまで数字を伸ばしたのだから、当時のスーパーカブがどれだけ燃費を追求していたかがよく分かる。

スーパーカスタム50は4段のエコノミードライブ付き変速機を採用し、セル付き仕様も用意。キック仕様が78kg、セル付きは82kgで、価格はそれぞれ14万4000円、15万5000円だった。

そのころ日本では――7月15日、任天堂の「ファミリーコンピュータ」が発売。のちに“ファミコン”の愛称で一大ブームを巻き起こし、家庭でテレビゲームを楽しむ時代が本格的に始まった。

「前後大型キャリアで仕事に特化!」1988年 プレスカブ

燃費だけがカブの進化ではない。働くバイクとしての使い勝手をさらに突き詰めたのが、1988年のプレスカブだ。

新聞配達などの業務用として、大型リヤキャリアとフロントバスケットを標準装備。積載状況に応じてメインヘッドライトから切り替えて使えるサブヘッドライトも備え、リヤブレーキにはφ130mmの大径ドラムを採用した。さらに強化サスペンションや大型サイドスタンドまで装備するなど、毎日の配達で何度も発進・停止を繰り返す使い方をしっかり見据えている。

デラックスタイプではグリップヒーターを標準装備。大量の新聞を積み、早朝や寒い時期も走る。まさに“新聞配達のためのカブ”として作り込まれたモデルだったのである。

新聞を積んだときにメインライトが隠れても使えるよう、フロントバスケット前方にサブヘッドライトを装備。大型サイドスタンドやφ130mmリヤドラムなど、配達現場を意識した専用装備が目立つ。

そのころ日本では――3月17日、東京ドームがオープン。翌18日には巨人対阪神戦が行われ、“BIG EGG”の愛称でも親しまれた巨大ドーム球場が新名所となった。

「タイ生まれはひと味違う!」1988年 カブ100EX

同じ1988年には、ちょっと異色のカブも登場している。それがカブ100EXだ。

タイの現地生産会社で作られていた「Honda Dream100」を日本へ輸入販売したモデルで、東南アジア市場向けに開発された現地生産専用車。タイでは1986年の発売以来、すでに10万台の販売実績を持つ人気モデルだった。

エンジンは当時のカブシリーズ最大排気量となる97ccで、最高出力は8.0ps。4速ミッションに加えて、フロントにはテレスコピック式サスペンションを採用し、ゆったりしたダブルシートやリヤグリップパイプも備えて2人乗りにも対応していた。

伝統的なカブの使いやすさを残しながら、乗用車的な快適さやスポーティさを強めた“海外育ち”のカブ。国内モデルとはひと味違う存在だったのである。

角型ハロゲンヘッドライトに、ポジションライト一体型フロントウインカー、ビルトイン式テールライトを採用。リヤショックは硬さを2段階に調整できるなど、国内カブとはかなり違った仕立てだった。

そのころ日本では――光GENJIが絶大な人気を集め、「パラダイス銀河」が大ヒット。ローラースケートで歌い踊る姿が、まさに1988年を象徴する光景だった。

「14インチでグッと身近に!」1997年 リトルカブ

1997年に登場したリトルカブは、スーパーカブの基本性能を受け継ぎながら、前後ホイールを17インチから14インチへ小径化。シート高も735mmから705mmへ30mm低くなり、足つき性や乗降性、取り回し性を向上させた。

小径化に合わせてリヤキャリアも30mm低くし、荷物の積み降ろしもしやすくしている。ハンドル周り、レッグシールド、フロントフェンダー、シート、リヤキャリアも専用形状とされ、カブらしさを残しながら、よりコンパクトで親しみやすいデザインに仕上げられた。

さらにタフアップチューブも標準装備。見た目をかわいらしくしただけではなく、カブらしい実用性もしっかり受け継いでいたのがポイントだ。

14インチ化に合わせ、ステップやサイドスタンド、キックペダル、マフラーの位置まで専用に変更。車体を低くしながら、最低地上高や走行時のバンク角も確保するよう作り込まれた。

そのころ日本では――1997年は「たまごっち」ブームがさらに拡大。「新種発見!!たまごっち」「てんしっちのたまごっち」などが次々に登場し、街中で小さなデジタルペットを育てる光景が当たり前になっていた。

1980年代前半には、1Lのガソリンでどこまで走れるかを徹底的に追求。後半になると、新聞配達に特化したプレスカブや、タイ生まれのカブ100EXが登場した。そして1997年には、14インチのリトルカブが新しいユーザーへカブの世界を広げている。同じスーパーカブでも、求められるものは時代とともに変わる。省エネ、仕事、海外展開、そして街乗り。1980〜90年代は、カブが“ひとつの実用車”から、使う人や目的に合わせて枝を広げていった時代だったのである。

そして次の大きな転換点は2007年。燃料供給はキャブレターからPGM-FIへ変わり、2009年にはスーパーカブ110が登場。そこからクロスカブ、スーパーカブ C125、CT125・ハンターカブへと、2026年のカブファミリーにつながる新しい時代が始まっていくのである。

※この記事は月刊モトチャンプ2025年8月号を基に加筆修正を行っています

【モトチャンプ編集部】