素人目にはもったいない? でも参加者はムチャクチャ楽しそう‼ | 2024年のグリズリーカップ・浅間T.T.に参加したヴィンテージレーサー【3/3】

当記事で紹介するのは、2024年11月に群馬県のアサマレースウェイで開催された、グリズリーカップ・浅間T.T.に参戦した欧米の車両。各人各様の旧車ライフを満喫している、5人の愛車をご覧いただこう。

REPORT●中村友彦(NAKAMURA Tomohiko)
PHOTO●柴田直行(SHIBATA Naoyuki)
取材協力●グリズリーカップ https://grizzlycup.blogspot.com/

海外の旧車でも、維持の不安はナシ?

欧米の車両が主役となる、国際クラスのスタート直前。

2017年から開催されているグリズリーカップの主な対象は、空冷エンジン+前後ドラムブレーキ+ツインショック車(ただし、ヤマハのモノクロス採用車とリアサス無しのリジッド車はOK)。そして2019年から定例の舞台となった浅間T.T.では7種のカテゴリー、入門クラス、クラブマン・ライト級、セニア級、国際レース、旧車レース、アサマクラシック、日本GPが行われている。

♯990 尾松大輔選手+トライアンフT120R

その中から当記事で紹介するのは、入門クラス、国際レース、旧車レースに参戦した欧米の車両だ。なお欧米勢で最も台数が多かったのは、トライアンフツインの7台で、それに次ぐのはBSAユニットシングルの6台。旧車イベントで目にする機会が多いトライアンフツインはさておき、BSAのユニットシングルが6台も集まるのは、日本ではこのイベントだけ……かもしれない?

♯104A 西川竜司選手+BSA B50SS

ちなみに、海外の旧車をオフロードで走らせることに対して、世の中にはもったいない……と感じる人がいると思う。とはいえ、実際に欧米の車両で参戦しているライダーに話を聞いてみると、そういった雰囲気は皆無だった。と言うより、信頼できるショップ/チューナーとの付き合いがあったり、部品の入手ルートを独自に確立していたりするからだろうか、修理や維持に関して不安を抱いているライダーはほとんど存在しなかったのだ。

♯160 福嶋寛郎選手+ハーレーダビッドンWLA

トライアンフ T20SM 後藤月子選手

1954~1968年にトライアンフが販売したT20タイガーカブシリーズは、当初は若者を対象としたエントリーモデルという位置づけだったものの、抜群の扱いやすさが評価され、トライアルを筆頭とするオフロードレースでも人気を獲得。1950年代後半以降は運動性能を高めた仕様として、C、S、SH、SL、SR、SM、TRなど、多種多様なバリエーションモデルが販売された。

1970年代以前の旧車を幅広く取り扱うクラシックサイクル東京の後藤哲也さん・月子さんは、数年前から夫婦でグリズリーカップを満喫。2人の愛車はいずれもトライアンフで、哲也さんはハブクッションの1953年型6Tサンダーバードでクラブマン・旧車レース、月子さんは1964年型T20SMマウンテンカブで入門クラスに参戦。以下は2台の整備を行っている哲也さんの言葉。

T15テリアを起点とする単気筒エンジンは、兄貴分のツインに先駆ける形でユニット構造を採用。当初の最高出力は10psだったものの、コンペティションを意識したモデルは15ps前後を発揮。

「1950~1960年代に世界中で大人気を獲得したトライアンフのツインは、現在でも補修部品の多くが入手できます。タイガーカブ系はそこまで万全ではないですが、修理で困ることはほとんどないですね。このT20SMは限りなくノーマルに近い状態を維持しながら、悪路走破性を意識して、前輪を19→21インチに変更しています」

ベネリ260+トライアンフ350 安藤竜二選手

1960年代後半のベネリが生産したスクランブラーのモハベかと思いきや、……さにあらず。このマシンはトライアンフの350ツイン用フレームにベネリの260cc単気筒エンジンを搭載する混血車で、足まわりにはチェリアーニ製ショックやグリメカのブレーキを採用している。こういった混血車が数多く参する欧米のレースでも、ベネリ+トライアンフという構成は相当に珍しいはず。

普段はBSAのツインを愛用している安藤さんは、以前から“50歳になったらヴィンテージオフに挑戦しよう”という意識を持っていて、そんな中で知人の紹介で出会ったこのマシンに一目惚れ。イタリア車に関する知識はあまり無かったものの、即座に購入を決意したと言う。

「このマシンの製作者は亀岡トライアルランドの森さんで、本来はご自分用として作られたので、オフロード性能は十分だと思います。もっとも浅間T.T.の国際レースの参戦車は500cc以上が多いので、260ccでは上位争いは難しいですが、それでも十分に楽しいですよ」

1960年代のベネリが生産した260/360cc単気筒車は、基本的に北米市場専用車。現地では、ワーズリバーサイドというブランドで販売された。

ハーレダビッドソン スプリントSS350 岩崎裕次選手

1960年にアエルマッキと業務提携を開始したハーレーダビッドソンは、以後はイタリア生まれの4スト/2スト車を自社ブランドで販売。当初の主力はシリンダーをほぼ水平配置とした4スト250cc単気筒車で、コンペティション仕様となるCRTT/CRSは数多くのレースで栄冠を獲得した。1969~1974年に生産されたスプリントSS350は、その最終進化型と言うべきモデルだ。

長きに渡ってヴィンテージハーレーを愛用している岩崎さんは、昨年まではアイアンスポーツスターでグリズリーカップに参戦していたのだが、2024年は車両をスプリントSS350に変更。オフロードでは軽さと小ささが大きな美点になることを、しみじみ実感したようだ。

岩崎さんの愛車は1969年型だが、エンジンのシリンダーヘッドはビッグバルブを採用する1973-1974年型。キャブレターはデロルトからケーヒンに変更。

「ハーレーでの参戦にこだわっている僕は、以前からスプリントを探していて、今年の春にようやく、スポーツスターの整備でお世話になっているスピードバギーさんのおかげで、理想の車両に出会えたんです。グリズリーカップに参戦するにあたって、前後の車高を上げて前輪を19→21インチに変更し、外装にも手を加えていますが、普段の僕はこの車両を街乗りに使っています」

BSA B50MX 滋野 樹選手

BSAのビッグシングルと言ったら、旧車好きの多くが思い浮かべるのは1950年代のDBD32/34系ゴールドスターだろう。とはいえ、昨今のヴィンテージオフロードレースの世界では、BSAユニットシングルの最終仕様となった1970年代初頭のB50に注目するライダーが多く、2024年の浅間T.T.には4台が参戦。なおB50の前身となったB441は、1965年にモトクロス世界選手権の500ccクラスでチャンピオンを獲得している。

普段はトライアンフT140を愛用している滋野さんは、1年ほど前にeBayでB50MXを入手。費用は送料込みで約100万円で、グリズリーカップの前に行った作業は、新品キャブレター(アマルMkⅠプレミア)の導入と穴が開いたガソリンタンクの補修のみだったと言う。

「今どきの英国旧車の基準だと、B50は比較的安価で楽しめるモデルだと思います。ただし、MXの前輪は20インチという特殊サイズなので、タイヤの選択肢を考えると21インチに変更したほうがいいでしょうね」

1958年から展開が始まったBSAのユニットシングルは、当初は250ccのみでスタート。1961年に350cc、1966年に441cc、1971年には500cc仕様が登場した。

ハーレーダビッドソン WLDD 中井浩之選手

同時代に販売されたWLDRやWRほど知名度は高くないけれど、1930年代後半にハーレーダビッドソンが少量生産を行ったWLDDは、それらと同等のスタンスで開発された4カム・サイドバルブ・750ccのコンペティションモデル。ちなみに2024年の浅間T.T.で、1930年代生まれのWLDDは年式が最も古い車両だった。

ウエスタンリバー/ウエストライドの代表を務める中井さん(中央)は、十数年以上前からリジッド時代のハーレーで全国各地で開催されるヴィンテージオフロードレースに参戦。この車両はWLDDがベースだが、クロモリ素材のフレームは1948-1949年型WR用で、エンジンの腰上もWR用に換装している。

排気量が1000ccのビッグツインは1936年からOHVヘッドの導入が始まったものの、750ccのベビーツインは1950年代中盤までサイドバルブを維持。

「基本的に僕のレーサーは当時のスタイルを維持していますが、スプリンガーフォークには現代的なオイルダンパーを追加しています。この機構を導入したことで、走行中に左手を離しても車体が安定しているので、以前と比べるとハンドチェンジがかなり楽になりました」

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著者プロフィール

中村友彦 近影

中村友彦

1996~2003年にバイカーズステーション誌に在籍し、以後はフリーランスとして活動中。1900年代初頭の旧車…