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Lamborghini Miura Roadster
カスタマーからの要望によって誕生
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1966年にミウラのデリバリーが始まると、それをベースとしたオープンモデルを製作できないかというカスタマーからの声がランボルギーニにはしばしば届くようになった。ミウラのデザイン、そしてボディの製作を担当したベルトーネにとっても、それは新たなプロジェクトとして非常に魅力的なものだったのだが、フェルッチオ・ランボルギーニは認めることはなかった。ミウラはあくまでもランボルギーニのモデルラインナップの中では特別な少数生産車であり、本流は高性能なGTにあると考えていたからだ。
コンセプトカーとしてベルトーネから発表
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結局ミウラのオープンモデルたる「ミウラ ロードスター」は、1968年のブリュッセル・ショーでベルトーネからコンセプトカーとして発表されることになった。鮮やかなスカイブルーにペイントされたそれは「3498」のシャシーナンバーをもつもの。ベルトーネではオープン化に伴って、広範囲なモディファイを施している。
まずキャビン後方にはロールオーバークラッシュからドライバーとパッセンジャーを保護するためのロールバーを装着。ルーフやエンジンフードも廃止され、V型12気筒エンジンは外観から容易にその存在が確認できるようになった。リヤクオーターピラーにはブラックに塗装されたガーニッシュが組み合わされ、トンネルバックスタイルを形成。さらに後方にはコンパクトなトランクルームも設けられている。Bピラーのルーバー付きエアインテークも、このロードスターに独自のデザインとなる。
ミウラ ロードスター、その後の行方
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ミウラ・ロードスターはその後、アメリカのILZRO(インターナショナル・リード・ジンク・リサーチ・オーガニゼーション)に売却され、1969年にはベルトーネでILZROの主導による亜鉛素材などを用いたメッキ処理などが施された。そして新たにボディカラーをモスグリーン(メインカットに映るカラー)とし、「Zn75」というILZROのプロジェクトナンバーを掲げアメリカへと送られたのだ。
Zn75はプロジェクトの終了後、アメリカを始め世界各国でILZROのプロモーションに使用された後、博物館で保管されていたが、後に日本やアメリカなどのオーナーを経て、2007年のコンコルソ・イタリアーノに姿を現している。また、翌2008年にはオリジナルカラーに近いブルーメタリックにボディカラーを変更し、内外装を完全にレストアした姿をペブルビーチ・コンクール・デレガンスで披露。世界各国から訪れたゲストを喜ばせた。それはブリュッセルでの発表から、ちょうど40年目となる歴史的な出来事でもあった。
SPECIFICATIONS
ランボルギーニ ミウラ ロードスター
発表:1968年
エンジン:60度V型12気筒DOHC
総排気量:3929cc
最高出力:257kW(350PS)/7000rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:RWD
車両重量:1000kg
最高速度:280km/h
解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)