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DB4GT(1959-1963)
スタンダードに比べて91kgの軽量化
戦後初開催となった1949年のル・マン24時間レースに、早速DB2のプロトタイプであるDBマーク2を持ち込んだアストンマーティンは、1951年になるとDB2をベースとしたレーシングスポーツカーのDB3を製作。さらに1957年にはレーシングスポーツカーのDBR1をベースにDBR4を仕立て、F1GPにワークス参戦するなど積極的なモータースポーツ活動を行ってきた。それゆえ、1958年にデビューしたDB4にレーシングバージョンが企画されたのは、当然の流れといえた。
シャシーはホイールベースを5インチ(=127mm)短縮。サイド、リヤウインドウがプレクスとなったほか、スーパーレッジェーラ工法によるボディのアルミ外皮を薄くすることで1271kgとスタンダードに比べ、91kgの軽量化を達成。またフロントマスクをライトカバーを備えた流麗なスタイルに変更したのも大きな特徴であった。
エンジンはDB4の開発段階で試作されていたツインプラグ・ヘッドを採用した3670cc直列6気筒DOHCを搭載。圧縮比を8.25:1から9.0:1へとアップし、3基のウェーバー45DCOキャブレターを装着することで最高出力304PS/6000rpmを発生し、最高速度243km/h、0-60mph(約97km/h)加速6.1秒と素晴らしいパフォーマンスを発揮した。あわせてボーグ・アンド・ペック製デュアルプレートクラッチ、クロスレシオトランスミッション、パワーロック製LSD、ガーリング製大径ディスクブレーキを装着するなど、各部もレースユースのために強化されている。
プロトタイプがデビューウィンを飾るも
プロトタイプであるDP199は1959年のル・マン・テストデイに登場。5月にシルバーストーンで行われたシルバーストーン・インターナショナルにスターリング・モスのドライブで出場し、見事にデビューウィンを飾っている。その後DP199は、DBR1がアストンマーティン史上唯一の総合優勝をもたらした6月のル・マン24時間にも2992ccユニットに載せ替え参戦しているが、こちらは残念ながら21時間目にエンジントラブルでリタイアとなった。
このDP199をほぼ踏襲する形で1959年9月のロンドン・モーターショーで発表されたのが、アストンマーティンDB4GTだ。
ところが1959年をもってアストンマーティンがワークス活動を休止(1960年はF1のみ限定的に活動)したこともあり、1960年以降はジョン・オジエ率いるエセックス・レーシング・チームがワークス的な立場で活動を続けたが、ロイ・サルヴァドーリ、イネス・アイルランドという一流のドライバーを擁して臨んだグッドウッドでのRACトゥーリスト・トロフィーでもモスのドライブする250GT SWBに続く2位、3位に終わるなど歯が立たず、FIAスポーツカー世界選手権のGTカテゴリーはフェラーリの独壇場となってしまった。
25台のコンティニュエーションも
結局、当初はホモロゲーションの関係で100台の生産が予定されていたDB4GTだが、1963年までに75台(そのほかに19台のDB4GTザガートと、1台のベルトーネDB4GTジェットが作られた)が生産されただけで終わっている。ちなみにデリバリーされたDB4GTの多くはロードユースであったという。
それから半世紀以上が過ぎた2016年12月、アストンマーティンは、ニューポートパグネルで活動するヘリテイジ部門アストンマーティン・ワークスにおいて、生産されずに終わった25台のDB4GTをコンティニュエーション(継続生産)シリーズの第1弾として製造、販売することを発表。すべてがコンペティション用のライトウェイト仕様のサーキット専用車とされたDB4GTコンティニュエーションには、DB4GTの最終生産者0202Rに続く正規のシャシーナンバーが与えられ、デリバリーされた。