目次
エンツォ・フェラーリが野望を託した「815」と「125」
アルファロメオのテストドライバーからレーシングドライバーとなったエンツォ・フェラーリ。後にアルファロメオを離脱した彼が1929年11月16日に設立したレーシングチームが「ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ」であり、フェラーリの前身として立ち上げたレーシングマシン製造会社が「アウト・アヴィオ・コストルツィオーニ」だった。その第1号車がアウト・アヴィオ・コストルツィオーニ 815。そして、1947年には自らの名を冠した「フェラーリ」を設立し、同年にフェラーリの名を初めて戴くモデル、125Sを生み出している。
「125」から始まったF1挑戦と、初のロードカー「166」の登場
「125」、「275F1」、「340F1」といったマシンを続々F1グランプリへ投入していったスクーデリア フェラーリは、1951年シーズンのシルバーストンでついにアルファロメオに黒星をつけることに成功する。ファン・マヌエル・ファンジオの駆るアルファロメオ 159Bを破ったのは、フロイラン・ゴンザレスの乗る「375 F1」。自然吸気の4.5リッターV12を搭載した同車は350psの最高出力を誇った。また、フェラーリのロードカーモデルの原点といえる166シリーズも1948年に誕生。ミッレミリアで総合優勝を果たした「166S」や「166MM」、フェラーリ初のGT=グラン・ツーリズモといえる「166インテル」などのバリエーションが登場した。
自動車メーカーとしての黎明期を支えた名シリーズ、「166」や「212」たち
カロッツェリア・トゥーリングが手掛けた美しいバルケッタボディであまりにも有名な「166MM」は、自動車メーカーとしての足場を築き始めたフェラーリを支えた重要なプロダクトの1台。さらに、GT系モデルも「195インテル」、「212インテル」と系譜を継ぎ、傑作として名高い250シリーズへと繋がる土壌を着実に成長させていった。
ランプレディ設計のV12を積んだ「340」や直4の「750モンツァ」が誕生
1950年代のフェラーリに、まさしく優れた“原動力”を与えたのがアウレリオ・ランプレディという設計者だった。ジョアキーノ・コロンボ設計のV12に代わり、ランプレディ作の高出力に耐えるビッグブロックを備えた大排気量ユニットは様々な名コンペディションモデルの心臓となった。一方で、V12以外の選択肢として直列4気筒エンジンの開発にも着手。2.0リッターの「500 モンディアル」や3.0リッターの「750 モンツァ」、2.5リッターの「625LM」といった4気筒スポーツレーサーに搭載されて競合と戦った。