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Lamborghini Diablo 6.0
新親会社アウディが白紙とした後継モデル
1990年代をフルに生き、そして実質的にはランボルギーニにとって唯一のプロダクトとなった「ディアブロ」。1998年にはアウディが新たな親会社となり、その関係は現在まで変わっていないことを考えると、ここ20年ほどはランボルギーニの経営面では最も安定した時代だったことが分かる。
ランボルギーニがアウディの傘下に収まった時、すでに社内では次期12気筒ミッドシップの「L147」プロジェクトがかなりの段階まで進行中していた。いずれも当時のディアブロをベースに、1996年にはガンディーニの手によるデザイン・プロトタイプの「アコスタ」が、また1997年にはザガートによる「カント」がランボルギーニに提案されるなど、ディアブロの後継車開発は着々と進み、本来ならば1999年にはそのいずれかが発表される予定となっていた。
だが、新たにランボルギーニを手中に収めたアウディは、そのプランを認めなかった。もう一度白紙の段階から新型車のプロジェクトをスタートさせるため、まず1999年に固定式のヘッドランプの採用や、V型12気筒エンジンの吸気側に可変バルブタイミングシステムを導入するなどの改良を施した、ディアブロのビッグマイナーチェンジ版を投入。さらにこの年にはエンジン排気量を5992ccに拡大し、575PSの最高出力を発揮した80台の限定車「GT」や、それをベースとするワンメイクレース仕様の「GTR」を20台の限定車として発表する(かつてランボルギーニはSVベースの「SVR」でワンメイクレースを主催)。
洗練されたデザインに改められたディアブロ 6.0
そして2000年を迎えると、GTの5992ccエンジンは、その名も「ディアブロ 6.0」として従来モデルのエンジンルームにも移植されることになる。最高出力は550PSとされ、GTのそれよりは若干控えめな数字になるが、左右にエアインテークをもつフロントのバンパースポイラーやセンターの巨大なエアインテーク、ボンネット上のアウトレットが廃止されたフロントセクションの造形などは、速さをイメージさせるとともに都会的な洗練さをも印象づけた。
フロントフェンダーもさらにワイド化されているが、これは6.0が1999年モデルのSVなどと比較してフロントトレッドで70mmもワイドなスペックであるためだ。参考までにリヤトレッドは同様の比較で30mmプラスとなった。デザインの見直しは、後にランボルギーニ・チェントロ・スティーレで初代チーフ・スタイリストとなる、当時はアウディのデザイナーだったルーク・ドンカーヴォルケによるものだった。
最終仕様は限定42台のディアブロ 6.0 SE
2001年、それはディアブロにとって最後の年だ。この年デリバリーされたディアブロは「6.0 SE」と呼ばれる42台の特別仕様車のみで、メカニズムやスペックは前年までの6.0から大きな変化はない。スペックシート上では最高出力は8PSアップしているが、実際にはマグネシウム製のカムカバーとインテークシステムが小変更を受けたのみだ。特別仕様の最も大きなメニューはそのボディカラー。ランボルギーニは「オロ・エリオス」と呼ばれるゴールド系のカラーと「マロン・エクリプス」というブラウン系のカラーを6.0 SEに設定。ただしカスタマーが望めば、それ以外のカラーを選択することもできたという。
オンロードではもちろん、そしてサーキットではワンメイクレース以外でも、さまざまなカテゴリーでその雄姿を披露したディアブロ。1990年代から2000年代にかけてのランボルギーニを支えた、まさに屋台骨といえる12気筒モデルには、現在でも多くのファンが熱い視線を注いでいる。そして2001年のフランクフルト・ショーで、アウディ傘下のランボルギーニは、ついに10年以上の時を経てさらに魅力的なニューモデルを発表することになる。時代はディアブロからムルシエラゴへ。ランボルギーニの歴史的な躍進は、まさにここから始まったと言ってもいいだろう。
SPECIFICATIONS
ランボルギーニ ディアブロ GT
発表:1999年
エンジン:60度V型12気筒DOHC(4バルブ)
総排気量:5992cc
圧縮比:10.7
最高出力:423kW(575PS)/7300rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:RWD
車両重量:1460kg
最高速度:338km/h
ランボルギーニ ディアブロ 6.0
発表:2000年
エンジン:60度V型12気筒DOHC(4バルブ)
総排気量:5992cc
圧縮比:10.7
最高出力:405kW(550PS)/7100rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:AWD
車両重量:1625kg
最高速度:335km/h
解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)