悲劇を乗り越え、ラリージャパンを制したプジョー307WRC

クーペカブリオレベースという異色のラリーカーはなぜ生まれた? 「プジョー307WRC」【ラリー名車列伝 SS3】

当時はスニーカーやスリッパなど称された、ラリーカーとしては異形のフォルムを持つプジョー307 WRC。
当時はスニーカーやスリッパなど称された、ラリーカーとしては異形のフォルムを持つプジョー307 WRC。
2022年11月10~13日、愛知県と岐阜県を舞台に、世界ラリー選手権(WRC)最終戦ラリージャパンが開催される。日本におけるWRC実施は2010年以来、実に12年ぶり。今シーズンから導入されたハイブリッドパワートレインを搭載する「ラリー1」が、日本のターマックステージを疾走することになる。そのラリージャパンスタートまで約1ヵ月、WRCの歴史において忘れることのできない名車を紹介する短期連載。第3回はオープンカーベースのラリーカー「プジョー 307 WRC」を紹介しよう。

Peugeot 307 WRC

206 WRCで1999年にワークス復帰

1986年、グループB規定の廃止とともにWRCから撤退、ダカールラリーや世界耐久選手権を戦っていたプジョーは、1999年にWRカー規定で開発された206 WRCで復帰を果たす。
1986年、グループB規定の廃止とともにWRCから撤退、ダカールラリーや世界耐久選手権を戦っていたプジョーは、1999年にWRカー規定で開発された206 WRCで復帰を果たす。

2022年シーズンから、プジョーは世界耐久選手権(WEC)にハイパーカー規定で開発された「9X8」で復帰を果たした。近年は耐久レースやツーリングカーなど、サーキットレースを中心にモータースポーツ活動を行うプジョーだが、2000年代中盤までその中心にあったのはラリーだった。

古くは「504」でアフリカの耐久ラリーを中心に活躍し、グループB時代は傑作「205 T16」で、1985年と1986年と2年連続でダブルタイトルを獲得。そして、グループB廃止と共にWRCを去ったプジョーは、「206」のデビューに合わせて、13年ぶりのWRCワークス復帰を決めた。

ベースとなった206は、当時のWRC規定の全長4mに満たず、バンパーを延長した206GTを生産。プジョーは特例で公認を取得する。それでも206のコンパクトなボディは取り回しが良く、ドライバーから歓迎された。ただ、エンジンルームやコクピットが狭く、ギヤボックスの縦置き搭載を余儀なくされるなど、とかく小さなボディによる拡張性の低さや整備性の悪さにチームは苦しめられることになる。

それでも1999年のツール・ド・コルスでデビューを飾った206WRCは、圧倒的な強さでマーカス・グロンホルムが2000年と2002年にドライバーズ選手権でチャンピオンを獲得。マニュファクチャラーズ選手権は2000年から2002年まで3連覇を達成する。

異例のクーペ・カブリオレをベースに選択

当時はスニーカーやスリッパなど称された、ラリーカーとしては異形のフォルムを持つプジョー307 WRC。
最強を誇った206 WRCの性能が陳腐化しつつあり、プジョーはニューマシンの投入を決定。ベースに選ばれたのは、車格が上の307、しかも開閉式メタルトップを持つ「307 CC」だった。

4シーズンを戦って大成功した206 WRCの後継モデルに選ばれたのが、206よりも車格が上の307。しかも、ハッチバックではなく、ベースに選ばれたのは電動格納式メタルトップを持つオープン仕様の「307CC」だった。307の3ドアモデルは全高が高く、重たいガラス面積が大きかったことから、低重心かつエアロダイナミクスに優れたボディ形状を持つ、クーペ・カブリオレの307CCが選ばれたのだ。

かくして2004年シーズン開幕戦ラリーモンテカルロで、1970年代に活躍した「フィアット・アバルト124ラリー」以来となるオープンベースのワークスラリーカー「307 WRC」がデビューを飾った。400日という長い開発期間を経て、最強を誇ったプジョーが送り込んだ渾身のニューマシンだ。

当然メタルトップの開閉機能が取り外され、ルーフはボディに固定された。307 WRCはエンジンスペースが拡大し、206 WRCで縦置きだったギヤボックスは、ヒューランド製4速ギヤボックスの横置きに変更(その後、4速はトラブルが多発し5速に変更)。大柄なボディにより快適になった、307WRCのコクピットに座ったグロンホルムは「狭い206 WRCと比べると、天国のようだ」と語ったほどだった。

トラブルが多発し、不満を並べるドライバー

当時はスニーカーやスリッパなど称された、ラリーカーとしては異形のフォルムを持つプジョー307 WRC。
コンパクトな206 WRCが抱えていた問題の多くは、307 WRCで解消されたものの、デビュー直後からトラブルが多発。そのハンドリングやサイズにも、ドライバーは不満を漏らすことになる。

大きな期待を持って投入された307WRCだったが、駆動系、油圧系、サスペンションにトラブルが多発。さらに、広々とした快適な室内を得たものの、手足のように扱える206WRCに慣れたドライバーたちにとっては、あまりにもボディサイズが大きすぎた。前後に長く見切りの悪いオーバーハング、安定しないハンドリングに、ドライバーたちはたびたび不平をこぼすようになる。

2004年シーズン、優勝はグロンホルムの地元ラリー・フィンランドでの1勝のみ。さらに、この年の11月、プジョーは2005年シーズン限りでのWRC撤退を発表してしまう。それでも、残り1シーズン、プジョーは新規定に合わせて、ボディを1800mmに拡幅し、足まわりを一新した改良型を投入する。

2005年ラリージャパンで記録した最後の勝利

撤退が決まっていた2005年シーズン、プジョーは拡幅化された307 WRCの改良型を投入した。
撤退が決まっていた2005年。この年のラリーGBでマルコ・マルティンがクラッシュ。コ・ドライバーのマイケル・パークが亡くなってしまう。それでも、直後に開催されたラリージャパンでマーカス・グロンホルムが勝利を飾った。

前年に苦しめられた様々なトラブルから解放された307 WRCだったが、タイヤをミシュランからピレリに変更したことが仇となってしまう。2005年、ミシュランが投入したグラベル用新タイヤ「BTO」が革命的なパフォーマンスを発揮。このミシュランBTO、熟成の進んだシトロエン・クサラWRCをドライブするセバスチャン・ローブの前に、プジョーは厳しい戦いを強いられることになった。

ローブが連戦連勝の快進撃を見せるなか、エースのグロンホルムが第10戦ラリー・フィンランドでようやくシーズン初勝利。しかし、第12戦ラリーGBで起こってはならない悲劇が起こってしまう。この年からプジョーに加入したマルコ・マルティンが、SS15で立木に激突。コ・ドライバーのマイケル・パークが帰らぬ人となってしまったのだ。

続くWRC第12戦ラリージャパンでは、307 WRCのフロントフェンダーに喪章を入れて参戦。グロンホルムがシーズン2勝目を飾った。しかし、これが307 WRC最後の勝利となり、プジョーは当初の予告通り、2005年をもってWRCから撤退した。

以降、207、初代208、2代目208と、プライベーター用ラリーカーこそ開発するものの、プジョーはWRCの表舞台へと帰ってきていない。307 WRCが2005年のラリージャパンで記録した勝利が、現在に至るまでプジョーによるWRC最後の勝利となっている。

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ゲンロクWeb編集部

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