歴史から紐解くブランドの本質【ブガッティ編】

ブガッティはなぜ走る芸術と呼ばれるのか【歴史に見るブランドの本質 Vol.13】

フランス・モールスハイムの旧エットーレ・ブガッティ邸。ブガッティの象徴的建物だ。
フランス・モールスハイムの旧エットーレ・ブガッティ邸。ブガッティの象徴的建物だ。
自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

ブガッティの名声の礎とは

ブガッティの創設者、エットーレ・ブガッティはミラノ生まれのイタリア人で、早くから自動車に関心を持ち、イタリアやフランスの会社でいくつかの自動車を設計した。そして1909年、当時ドイツ領だったモールスハイムで自らの名を冠した自動車会社を設立する(モールスハイムは第一次大戦後フランス領となる)。エットーレはそこで数々の名車を産むことになるのだが、今日に至るブガッティの名声の礎となっているモデルは3つあると考えられる。

1台目は1924年登場のレーシングカーT35で、1929年から始まったモナコグランプリで3連勝を達成している。特に1930年のレースは圧巻で、メルセデス・ベンツ、マセラティ、アルファロメオなどの強豪をよそに、1~6位を独占している。フランスグランプリにおいても1928~1931年と4年連続で優勝している。

2台目は1926年に登場した超高級車、T41ロワイアルである。ロワイアルは12.8リッター直列8気筒という巨大なエンジンを搭載した超弩級の大型高級車で、あまりに大きく高価だったため7台しか作られなかった。しかし、その超越した存在感で歴史に名を残す車となった。ロワイアルの中でも最も有名な「クーペ・ナポレオン」で使われたサイドに円弧を描くツートーンの塗り分けは、その後のブガッティ車に多く使われ、ブガッティのロードカーのカラーリングの象徴となった(現代のヴェイロンやシロンにも使われている)。

エンジニアというより芸術家

1935年型の「T57SCアトランティック」。3.3リッター直列8気筒DOHCスーパーチャージャー付きエンジンを搭載する。

3台目は1934年登場し、1940年まで710台が生産された、高性能GTとも言うべきT57である。T57は3.3リッター直列8気筒DOHCエンジンを搭載、最終型のSCではスーパーチャージャーを組み合わせ、最も有名な「クーペ・アトランティーク」では200馬力、最高速は200km/hを超えたという。

このようにひと口でブガッティといっても、その代表的車種のキャラクターは大きく異なり、それ以外の車種バリエーションも多岐にわたっている。

この時代、高級車・高性能車メーカーは数多くあり、ブガッティだけが飛び抜けて高性能というわけではなかった。その中でなぜブガッティが超越した存在と扱われるようになったのか。その理由は創始者エットーレ・ブガッティと息子のジャンに共通する美意識にある。ブガッティ家はもともと芸術家一家で、エットーレもエンジニアというよりは芸術家に近い意識でクルマ作りに取り組んでいた。

高性能と美しさの両立

ブガッティ・マカロンエンブレムの上に佇むダンシングエレファント。これもアートだ。

ブガッティがつくるクルマは、レーシングカーであってもボディだけでなくエンジンやサスペンションなどの機能部品にも美しさを追求したデザインが行き届いていた。その美意識は息子のジャンにも引き継がれ、ブガッティの美しさはさらに磨きがかかっていった。

つまりブガッティが戦前のクルマの最高峰と言われる所以は、単に高性能と言うだけでなく、芸術品といっても過言ではない美しさを車体デザインだけでなくメカニズムにさえもっていたからである。このようなブランドは他にはなく、戦後会社が消滅した後でも人々の心に残るブランドとなったのだ。

ミウラP400の生産ラインとされる写真。ずらりと並ぶV12エンジンは壮観だが、実際に生産されているとは思えないほど整然としている。

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著者プロフィール

山崎 明 近影

山崎 明

1960年、東京・新橋生まれ。1984年慶應義塾大学経済学部卒業、同年電通入社。1989年スイスIMD MBA修了。…