左ハンドルのST205型セリカGT-FOURはTEINが使用したグループN仕様の”レッキカー”!! ホイールは貴重なDYMAG製TTE特注品!

2023年10月に新たなラリーファンイベントとして開催された『ラリーファnミーティング2023』。会場ではオーナーミーティングも行われ、ラリーに縁のあるオーナーカーが多数並んだ。その中から、気になるクルマをチェック! スバル勢が多数を占める中、戦うマシンの風格を漂わせるST205型のセリカGT-FOURが目を引いた……。
REPORT&PHOTO;橘 祐一(TACHIBANA Yuichi)

新たなラリー好きの祭典『ラリーファンミーティング2023』初開催! 新井敏弘選手もその走りを披露! ミーティングエリアにはレプリカマシンが大集結!

2023年10月8日(日)、富士スピードウェイで『ラリーファンミーティング2023』が開催された。ミーティングイベントあり、“世界のToshi Arai”ことラリードライバー・新井敏弘選手のゲスト出演あり、プロドライバーのドライブによる同乗走行あり、ラリーと関係の深いパーツメーカーのブースありと、ラリー尽くしの内容で、来場したラリーファンも大満足! 今回が初開催ではあったが、早くも次回開催も期待されるイベントとなった。 PHOTO:橘 祐一(TACHIBANA Yuichi)/MotorFan.jp

ラリーとは切っても切れないセリカ・ヒストリー

2023年10月に富士スピードウェイで開催されたラリーファンミーティング2023。その会場で独特の存在感を放つセリカST205を発見。ラリーに興味がない人から見れば単なる旧いセリカにしか見えないかもしれないが、ルーフのベンチレーターや絶妙な車高加減、ボンネットのロックピン、リヤゲートのストッパー、なによりドアやリヤウインドーに貼られた「RECCE 3」の文字。オーナーに話を聞いてみると、やはりただの旧いセリカではないことがわかった。

ラリーに興味がない人が見たら、少しくたびれた旧いセリカにしか見えないかもしれないが、非常にレアな車両だ。

本題に入る前にトヨタ・セリカとラリーについて少し振り返ってみよう。

トヨタ・セリカが誕生したのは1970年。これまでのスポーツカーとは異なる、日本で初めての「スペシャリティカー」というジャンルで誕生した。1964年にアメリカで発売されたフォード・マスタングを参考に、エンジンやミッション、内装色などを自由に選ぶことができる「フルチョイスシステム」を採用していた。最も高性能な1600GTだけは専用のエンジンである1600ccDOHCの2T-Gが搭載され、専用の内装が採用されるなど、フルチョイスシステムの対象ではなかった。

1970年登場の初代セリカ(A20系)。高性能モデルには2T-G型1.6L DOHCエンジンを搭載した1600GT(TA22型)をラインナップ。(PHOTO:TOYOTA)

ちなみにセリカが発売された1970年はトヨタが本格的にWRCにチャレンジを始めた年で、モンテカルロ・ラリーに2台のコロナ・マークⅡGSSを投入。しかし、クラッチのトラブルによりリタイアとなってしまった。

1968年にデビューした初代トヨタ・コロナ・マークII。1969年に(10R型のちに8R-G型)1.9L DOHCエンジン搭載モデル1900GSS(RT75型)が追加された。(PHOTO:TOYOTA)
1970年のモンテカルロラリーに投入されたコロナ・マークⅡGSS。挑戦初年度は芳しい結果を得られず、マシンをセリカにスイッチすることに。(PHOTO:TOYOTA UK)

1972年に再びWRCへ参戦したトヨタは、マシンをコロナ・マークⅡからセリカへと変更。ドライバーにはのちにTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)で監督としても活躍したオベ・アンダーソンを起用した。初年度のRACラリーでは総合9位、翌年のアルパインで7位、RACラリーで12位と健闘するものの、オイルショックの影響によりトヨタは国内外全てのモータースポーツ活動から撤退した。

1972年のRACラリー(イギリス)で総合9位を獲得するTA22型セリカ1600GT。(PHOTO:TOYOTA)

しかし、これまで活動してきたマシンやサービスカーなどを、オベ・アンダーソンに託す形でチーム・アンダーソンが発足。このチームがのちにTTEへと発展することとなる。
1974年からはTE27レビンを投入。1975年のノルドランドラリーではオベ・アンダーソン選手が優勝。1000湖ラリーではハンヌ・ミッコラ選手が優勝し、トヨタの性能の高さを世界にアピールすることとなった。1978年には二代目セリカ(RA40型)が投入されるものの、ホモロゲーションの関係で4バルブ 2.0Lのレース仕様の18R-Gを搭載することができず、戦績は振るわなかった。

1975年に記念すべきトヨタ×オベ・アンダーソンのWRC初勝利を飾ったTE27型カローラ(レビン)1600GT。2T-Gエンジンに競技用の16バルブヘッドを搭載し、軽量ハイパワーのラリーカーを実現した。(PHOTO:TOYOTA)
1976年から投入されたRA20型セリカ2000GT。カローラ同様、今度は18R-Gエンジンに16バルブヘッドを組み合わせ、好成績を残す。写真は『モーターファンフェスタ2024』に展示された1976年〜1977年参戦車。
1978年から投入した二代目セリカGT(RA40型)は先代から引き継いだし18R-Gエンジンに16バルブヘッドが使用できず苦戦。1979年末から再度使用可能になるも、劣勢の挽回には至らず。(PHOTO:TOYOTA)

WRCのレギュレーションが大きく変化した1983年(レギュレーション発効は1982年)、トヨタは三代目セリカをベースとしたグループBマシンを投入した。ホモロゲーションを獲得するため、1791ccのDOHCターボユニット4T-GTEUを搭載したモデルGT-TSを200台限定で発売。このモデルをベースにTTEがレース車両を製作した。

1981年にフルモデルチェンジして三代目となったセリカ。1982年に1.8L DOHC(8バルブ)ターボを搭載した1800GT-Tを追加し、「ターボ・ツインカム論争」に終止符を打った。グループBホモロゲーションモデルのGT-TSは排気量の変更やリヤサスペンションの変更(セミトレーリングアーム→4リンクリジッド)など、ラリー仕様への改造前提の使用に改められた。(PHOTO:TOYOTA)

アウディが4WDのクワトロ(1981年〜1986年)、ランチアはミッドシップのラリー037(1982年〜1986年)、プジョーはミッドシップ4WDの205ターボ16(1984年〜1986年)とモンスターマシンを用意する中、市販車ベースのFRでありながらセリカは耐久色の強いラリーで特に善戦。1984年には初参加となるサファリラリーで優勝。1985年1986年にも優勝を奪取し、3連覇を達成している。

ビョルン・ワルデガルドのドライブで1984年のサファリラリーを制覇したセリカTCターボ(グループB)。(PHOTO:TOYOTA)

1987年からはWRCは改造範囲の少ない市販車ベースのグループAマシンへと変更となった。突然のレギュレーションの変更にトヨタはスープラ(A70型)で急場を凌ぎつつ、1988年に満を持して投入したのが四代目セリカ(ST165)2000GT-FOUR。直列4気筒DOHC4バルブ+ターボの3S-GTEエンジンを搭載し、トヨタ初のフルタイム4WDを採用している。

トヨタが1987年から1989年までワークスマシンとして使用したスープラ(A70型)。(PHOTO:TOYOTA)
ST165型セリカGT-FOURは1988年から実戦投入。熟成を重ね1990年に日本車初のチャンピオンを獲得。(PHOTO:TOYOTA)

実戦投入の当初こそトラブルに見舞われたが、1989年からはWRCにフル参戦を行い、1000湖ラリーで3、4位、ラリー・オーストラリアでは1位、2位、RACラリーでは2位と好成績を残している。1990年には4度の優勝を記録し、ドライバーのカルロス・サインツが日本メーカー初のドライバーズチャンピオンに輝いている。1991年にも5勝を挙げたものの、王者ランチアの逆襲の前に連覇はならなかった。

トヨタ・セリカGT-FOUR(ST165型)グループA車両。

1992年からはベース車両を五代目セリカのST185型にスイッチ。搭載エンジンは引き続き3S-GTEながらインタークーラーを搭載。ホモロゲーション獲得のために、5000台限定でGT-FOUR RC(海外ではカルロス・サインツリミテッド)として販売された。カルロス・サインツが3勝、マッツ・ヨンソンが1勝し、サインツが2度目のドライバーズチャンピオンを獲得。

1992年のサファリラリーに勝利したカルロス・サインツ。

1993年はサインツがトヨタから去ってしまうものの、ユハ・カンクネンがランチアからトヨタに復帰して4戦を制し戴冠。デディエ・オリオール、マッツ・ヨンソンとともに合計6勝を掲げ、トヨタが日本メーカー初のマニファクチャラーズ・タイトルを獲得すると共にダブルタイトルを制覇するに至った。

1993年サファリラリーのトヨタワークス。日本人ドライバー・藤本吉郎のワークスノミネートも話題となった。1993年からはカストロールカラーとなり、トヨタのレーシングイメージを形成する。

【動画でチェック!】日本人初のサファリラリーウィナー・藤本吉郎選手がドライブする本物のグループAトヨタ・セリカGT-FOURに同乗走行!

いまでこそトヨタのWRC活動における主役は「GRヤリス」だが、1970年代前半の活動開始からその活動を支え続けたのは「セリカ」だ。そんなセリカの黄金期は、第5世代となるST185型GT-FOURによって作り上げられた。そして今回は、1995年に藤本吉郎選手の手によりサファリラリー日本人初優勝の栄冠を手にしたモデルの走りを、助手席ではあるが体験するという貴重な機会に恵まれた。 REPORT :山田弘樹(YAMADA Kouki) PHOTO:井上 誠(INOUE Makoto)/MotorFan.jp PHOTO CAPTION:MotorFan.jp MOVIE:MotorFan.jp

1994年には六代目セリカGT-FOUR(ST205型)が投入されるが、チャンピオンを争うオリオールはST185型を継続使用。結果、オリオールが3勝してフランス人初のチャンピオンに。加えてカンクネンが1勝、イアン・ダンカンが1勝し、合計5勝を獲得したトヨタは、2年連続でダブルタイトル獲得している。

1994年はディディエ・オリオールがST185型を駆り初戴冠。トヨタの連覇に貢献する。
1994年に投入されたST205型は、熟成に手間取り思うような成績を残せず……。

しかし、翌年の1995年レギュレーション違反が発覚したことにより、全ポイントが剥奪された上、翌1996年の参戦が禁止されるという厳しい処分が言い渡された。1998年からWRCへ正式に復帰することになるが、マシンは大柄なセリカからコンパクトなカローラに変更されたことで、セリカのWRCでの活躍は途絶えることとなったが、ERC(ヨーロッパラリー選手権)ではWRC参戦休止中の1996年に総合優勝を果たしている。

最後の“ラリーセリカ”! トヨタワークスのカストロールカラーが映える! ST205型セリカGT-FOURでレプリカライフを満喫!!【WRCレプリカのススメ】

トヨタは1970年代から1990年代まで、WRCにおいて長くセリカを主戦マシンとしてきた。その“ラリーセリカ”の最後を飾ったのがST205型セリカGT-FOURだった。当時のワークスカラーであるカストロールカラーを纏い1994年と1995年の2年間を戦ったこのセリカは、レースゲーム「セガラリーチャンピオンシップ」の主役マシンの一方としても人気だ。そんなST205型セリカGT-FOURのワークス仕様レプリカを紹介しよう。 PHOTO:井上 誠(INOUE Makoto)/MotorFan.jp

左ハンドルのST205はTEINが使用した”レッキカー”

前置きが長くなってしまったが、ラリーファンミーティング2023で見かけたセリカST205に話を戻そう。一見すると少しくたびれたセリカにしか見えないが、よく見れば左ハンドル仕様で、TTEのホイールを履いている。レプリカだとしてもレアな車両なのは間違いない。

市販されていないDYMAG製のTTE特注ホイール。タイヤは乗り心地の良いREGNOを履いているが、これはラリータイヤがバーストしたため。

オーナーのれっき@ときさんにお話を伺うと、この車両はTEINが1997年のアジアパシフィックラリーに参戦した時に、レッキカーとして用意された本物の車両だそう。

エンジンも基本的には市販のGT-FOURと同じ。冷却製向上のためにパネルを増設している。ちなみにブレーキにサーボはない。
インテークダクトからはダイレクトに雨水が入ってくるので、スリット入りのガードを製作して取り付けている。
リヤからの眺めもハッチゲートを固定するストッパー以外は、市販のセリカGT-FOURと何ら変わらない。

レッキカーとは事前の走行で使用される車両で、事前走行のレッキでは本戦用の車両を使用することが禁止されているため、そのために用意された車両のことで、この時には3台のレッキカーが用意され、この車両には3号車を表す「RECCE3」のステッカーが貼られている。この時のレッキカーで現存しているのはこの1台のみだとのこと。

絶妙な車高具合がラリーカーっぽい雰囲気。足回りは当然ながらTEINによるもの。ちなみに車両の年式は1994年式。

グループNなので市販のGT-FOURと大きく変更されている部分は少ないが、大型のルーフベンチレーションや市販されていないTTEのロゴが入るダイマグ製のホイール、室内のラリーコンピューターなど、当時のままの本物の装備が只者ではない雰囲気を醸し出している。

ルーフには大きなベンチレーションが2カ所設置されている。ラリーカーならではの装備だと言える。
ベンチレーションの内側はこんなふうになっている。樹脂製の内装パーツが用意されていて、純正っぽい雰囲気。
グループN仕様なので内装はそのまま装着されている。ナビゲーター側にはラリーコンピューターがそのまま装着されている。

維持に関してはグループN仕様ということもあり、ある程度のパーツは入手可能だが、左ハンドル仕様のために国内でパーツが手に入りにくかったり、すでに車齢も20年を超えてだんだんと厳しくなっているのだとか。

シートはRECARO製のフルバケット。ロールバーがあるので乗り降りは大変。
ロールバーとの接触を避けるため、ドアの内張はロールバーに合わせてカットされている。ラジオはないのでスピーカーもない。
リヤのラゲッジにはスペアタイヤとタイヤレンチが専用のブラケットで固定されている。

なにより専用パーツを壊さないように気をつけているが、大切にガレージにしまっておくのではなく、ほどほどにドライビングを楽しんでいる。以前、ラリータイヤを履いている時に、バーストしてスピンした経験もあるのだとか。くれぐれもコースアウトにはご注意を。

フロントグリル内にもTTEのエンブレムが。
オーナーのれっき@ときさん。この車両は2000年にTEINがラリー活動を一時休止したタイミングで放出されたものを入手した。以来24年にわたって維持している。

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著者プロフィール

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橘祐一

神奈川県川崎市出身。雑誌編集者からフリーランスカメラマンを経て、現在はライター業がメイン。360ccの軽…