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ラリーとは切っても切れないセリカ・ヒストリー
2023年10月に富士スピードウェイで開催されたラリーファンミーティング2023。その会場で独特の存在感を放つセリカST205を発見。ラリーに興味がない人から見れば単なる旧いセリカにしか見えないかもしれないが、ルーフのベンチレーターや絶妙な車高加減、ボンネットのロックピン、リヤゲートのストッパー、なによりドアやリヤウインドーに貼られた「RECCE 3」の文字。オーナーに話を聞いてみると、やはりただの旧いセリカではないことがわかった。
本題に入る前にトヨタ・セリカとラリーについて少し振り返ってみよう。
トヨタ・セリカが誕生したのは1970年。これまでのスポーツカーとは異なる、日本で初めての「スペシャリティカー」というジャンルで誕生した。1964年にアメリカで発売されたフォード・マスタングを参考に、エンジンやミッション、内装色などを自由に選ぶことができる「フルチョイスシステム」を採用していた。最も高性能な1600GTだけは専用のエンジンである1600ccDOHCの2T-Gが搭載され、専用の内装が採用されるなど、フルチョイスシステムの対象ではなかった。
ちなみにセリカが発売された1970年はトヨタが本格的にWRCにチャレンジを始めた年で、モンテカルロ・ラリーに2台のコロナ・マークⅡGSSを投入。しかし、クラッチのトラブルによりリタイアとなってしまった。
1972年に再びWRCへ参戦したトヨタは、マシンをコロナ・マークⅡからセリカへと変更。ドライバーにはのちにTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)で監督としても活躍したオベ・アンダーソンを起用した。初年度のRACラリーでは総合9位、翌年のアルパインで7位、RACラリーで12位と健闘するものの、オイルショックの影響によりトヨタは国内外全てのモータースポーツ活動から撤退した。
しかし、これまで活動してきたマシンやサービスカーなどを、オベ・アンダーソンに託す形でチーム・アンダーソンが発足。このチームがのちにTTEへと発展することとなる。
1974年からはTE27レビンを投入。1975年のノルドランドラリーではオベ・アンダーソン選手が優勝。1000湖ラリーではハンヌ・ミッコラ選手が優勝し、トヨタの性能の高さを世界にアピールすることとなった。1978年には二代目セリカ(RA40型)が投入されるものの、ホモロゲーションの関係で4バルブ 2.0Lのレース仕様の18R-Gを搭載することができず、戦績は振るわなかった。
WRCのレギュレーションが大きく変化した1983年(レギュレーション発効は1982年)、トヨタは三代目セリカをベースとしたグループBマシンを投入した。ホモロゲーションを獲得するため、1791ccのDOHCターボユニット4T-GTEUを搭載したモデルGT-TSを200台限定で発売。このモデルをベースにTTEがレース車両を製作した。
アウディが4WDのクワトロ(1981年〜1986年)、ランチアはミッドシップのラリー037(1982年〜1986年)、プジョーはミッドシップ4WDの205ターボ16(1984年〜1986年)とモンスターマシンを用意する中、市販車ベースのFRでありながらセリカは耐久色の強いラリーで特に善戦。1984年には初参加となるサファリラリーで優勝。1985年1986年にも優勝を奪取し、3連覇を達成している。
1987年からはWRCは改造範囲の少ない市販車ベースのグループAマシンへと変更となった。突然のレギュレーションの変更にトヨタはスープラ(A70型)で急場を凌ぎつつ、1988年に満を持して投入したのが四代目セリカ(ST165)2000GT-FOUR。直列4気筒DOHC4バルブ+ターボの3S-GTEエンジンを搭載し、トヨタ初のフルタイム4WDを採用している。
実戦投入の当初こそトラブルに見舞われたが、1989年からはWRCにフル参戦を行い、1000湖ラリーで3、4位、ラリー・オーストラリアでは1位、2位、RACラリーでは2位と好成績を残している。1990年には4度の優勝を記録し、ドライバーのカルロス・サインツが日本メーカー初のドライバーズチャンピオンに輝いている。1991年にも5勝を挙げたものの、王者ランチアの逆襲の前に連覇はならなかった。
1992年からはベース車両を五代目セリカのST185型にスイッチ。搭載エンジンは引き続き3S-GTEながらインタークーラーを搭載。ホモロゲーション獲得のために、5000台限定でGT-FOUR RC(海外ではカルロス・サインツリミテッド)として販売された。カルロス・サインツが3勝、マッツ・ヨンソンが1勝し、サインツが2度目のドライバーズチャンピオンを獲得。
1993年はサインツがトヨタから去ってしまうものの、ユハ・カンクネンがランチアからトヨタに復帰して4戦を制し戴冠。デディエ・オリオール、マッツ・ヨンソンとともに合計6勝を掲げ、トヨタが日本メーカー初のマニファクチャラーズ・タイトルを獲得すると共にダブルタイトルを制覇するに至った。
1994年には六代目セリカGT-FOUR(ST205型)が投入されるが、チャンピオンを争うオリオールはST185型を継続使用。結果、オリオールが3勝してフランス人初のチャンピオンに。加えてカンクネンが1勝、イアン・ダンカンが1勝し、合計5勝を獲得したトヨタは、2年連続でダブルタイトル獲得している。
しかし、翌年の1995年レギュレーション違反が発覚したことにより、全ポイントが剥奪された上、翌1996年の参戦が禁止されるという厳しい処分が言い渡された。1998年からWRCへ正式に復帰することになるが、マシンは大柄なセリカからコンパクトなカローラに変更されたことで、セリカのWRCでの活躍は途絶えることとなったが、ERC(ヨーロッパラリー選手権)ではWRC参戦休止中の1996年に総合優勝を果たしている。
左ハンドルのST205はTEINが使用した”レッキカー”
前置きが長くなってしまったが、ラリーファンミーティング2023で見かけたセリカST205に話を戻そう。一見すると少しくたびれたセリカにしか見えないが、よく見れば左ハンドル仕様で、TTEのホイールを履いている。レプリカだとしてもレアな車両なのは間違いない。
オーナーのれっき@ときさんにお話を伺うと、この車両はTEINが1997年のアジアパシフィックラリーに参戦した時に、レッキカーとして用意された本物の車両だそう。
レッキカーとは事前の走行で使用される車両で、事前走行のレッキでは本戦用の車両を使用することが禁止されているため、そのために用意された車両のことで、この時には3台のレッキカーが用意され、この車両には3号車を表す「RECCE3」のステッカーが貼られている。この時のレッキカーで現存しているのはこの1台のみだとのこと。
グループNなので市販のGT-FOURと大きく変更されている部分は少ないが、大型のルーフベンチレーションや市販されていないTTEのロゴが入るダイマグ製のホイール、室内のラリーコンピューターなど、当時のままの本物の装備が只者ではない雰囲気を醸し出している。
維持に関してはグループN仕様ということもあり、ある程度のパーツは入手可能だが、左ハンドル仕様のために国内でパーツが手に入りにくかったり、すでに車齢も20年を超えてだんだんと厳しくなっているのだとか。
なにより専用パーツを壊さないように気をつけているが、大切にガレージにしまっておくのではなく、ほどほどにドライビングを楽しんでいる。以前、ラリータイヤを履いている時に、バーストしてスピンした経験もあるのだとか。くれぐれもコースアウトにはご注意を。