清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」で語られた、温故知新なためになる話とヤバい話とは?[まとめ]

清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」
清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」
2024年5月10日から4回に分けモーターファン.jpにて公開した【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】。アフリカの大地に注目しているジャーナリストふたりは、アフリカには何があるというのだろうか? その1~4をまとめて紹介する。
TALK:清水和夫(Kazuo SHIMIZU)、高平高輝(Kouki TAKAHIRA)/PHOTO:前田惠介(Keisuke MAEDA)、清水和夫、レーシングオン誌/ASSIST:永光やすの(Yasuno NAGAMITSU)

目次

■清水和夫と高平高輝が自動車業界の過去/現在/未来を語る

南南西に進路を取れ!
清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」

政治、経済、科学、IT、スポーツ…多方面にアンテナを張り巡らせ、世界の自動車業界に日々想いを馳せる清水和夫氏と高平高輝氏。このふたりのジャーナリストが「未来はアフリカにある!」とトークを始めたのは、神奈川県座間にある「日産ヘリテージコレクション」のサファリなどを走ったラリー車たちの前。
日本から南南西…アフリカの大地には何があるというのだろう?
かつて、アフリカの大地で行われるラリーという過酷な世界に身を投じ、自動車開発を繰り広げていた日産自動車の意味、意義から語り始めた。


【清水和夫(Kazuo SHIMIZU) PROFILE】
清水和夫
1954年生まれ東京出身/武蔵工業大学電子通信工学科卒業。1972年のラリーデビュー以来、N1耐久や全日本ツーリングカー選手権、ル・マン、スパ24時間など国内外のレースに参戦する一方、国際自動車ジャーナリストとして活動。自動車の運動理論・安全技術・環境技術などを中心に多方面のメディアで執筆し、TV番組のコメンテーターやシンポジウムのモデレーターとして多数の出演経験を持つ。自身のYouTubeチャンネル「StartYourEnginesX」では試乗他、様々な発信をしている。2024年も引き続き全日本ラリー選手権JN-6クラスに「SYE YARIS HEV」にて参戦。

【高平高輝 (Kouki TAKAHIRA)PROFILE】
高平高輝
大学卒業後、二玄社カーグラフィック編集部とナビ編集部に通算4半世紀在籍、自動車業界を広く勉強させていただきました。1980年代末から2000年ぐらいの間はWRCを取材していたので、世界の僻地はだいたい走ったことあり。コロナ禍直前にはオランダから北京まで旧いボルボでシルクロードの天山南路を辿りました。西欧からイラン、トルクメニスタン、ウズベク、キルギス、そして中国カシュガルへ、個人では入国すら難しい地域の道を自分で走ると、北京や上海のモーターショー会場では見えないことも見えてきます。清水さんをサーキットとフェアウェイ上で抜くのが見果てぬ野望。

■日産がサファリラリー挑戦で得たものとは? 未来はアフリカを見ろ!? その真実をベテランジャーナリストが語る その1【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】

その1
日産がサファリラリー挑戦で得たものとは? 未来はアフリカを見ろ!? その真実をベテランジャーナリストが語る その1【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】

日産自動車はかつて、市販車開発のテストやプロモーションの場として、アフリカで開催されるサファリラリーに何度も挑戦していた。サーキットはもちろんだが、なぜ一般道…といっても過酷なアフリカの大地をテストステージに選んだのだろうか。
また清水さんは、2024年で70歳、古希を迎えた今でも全日本ラリー選手権に参戦。歳関係なく、モータースポーツがとにかく楽しいのだそうだ。

●「モータースポーツ文化論」は徳大寺有恒氏も嫌い

清水:亡くなった徳さん(徳大寺有恒氏)も「モータースポーツを文化論で語っちゃいけない」って言っていたね。「リヤカー作るか、クルマ作るか」って。レースとかラリーは特殊なものではなく、文化でもなく、自動車を作る人たちのもっと基本中の基本じゃないかなと思う
高平;本物の自動車メーカーは、モータースポーツを文化としてやるんじゃなくて、止むに止まれずやってきた、その熱意と技術が形になるって常におっしゃっていました。

日産ヘリテージコレクション
日産ヘリテージコレクションのマシンたち

●なぜ南南西? アフリカの手前には中東もインドもインドネシアもある

高平:サウスバイサウスウエストは、日本から見ればもちろんサファリもだけど、その手前には。中東もインドもインドネシアもある!
清水:豆粒みたいな日本だけど、アメリカ、ヨーロッパを北北西で見ちゃダメ。南南西を見ると、これからの日本の自動車産業が向かうべき方向があるのかな?と思う。

●清水少年が憧れた映画の中のラリー、レースの世界

清水:ボクが高校生の頃、石原裕次郎のサファリラリーの映画『栄光への5000キロ』を見た。あと山崎豊子さんの小説「沈まぬ太陽」。太陽がアフリカの地平線に陽が沈む、地平線から太陽が昇る。モンテカルロになると、今度は映画『男と女』、あの辺に影響を受けているね。

清水和夫
清水さんと高平さんのトークは内容濃過ぎて…難しい?

●日本GPでポルシェを抜いたスカイライン

清水:第2回日本グランプリでスカイライン2000GTの生沢徹さんが式場壮吉さんのポルシェ904を1周だけ抜いたという伝説。1周だけだけど、スカイラインがグランドスタンドを駆け降りてきた時にスタンドは総立ちになった。戦後復興の自動車っていうところから、すごく熱量が上がった瞬間だった。日産って、なんでレースとラリーに愚直に取り組んでいったんだろうね。やっぱり技術で世界一を目指したいっていう気持ちが強かったのかな。
高平:技術もだけど、一番オープンでバタ臭いというか、西洋とか世界を最初から考えていたメーカーだったんじゃないでしょうか。時代に先駆けていたことを戦前からやっていたメーカーですよね。

■バブル到来、日産イケイケ時代に生み出されたものとは? アフリカには何がある? その2【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】

その2
バブル到来、日産イケイケ時代に生み出されたものとは? アフリカには何がある? その2【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】

プリンス、ダットサン、ニッサン。60~70年代にサファリラリーに果敢に挑戦していた日産自動車はその後の80年代~は「日産901運動=1990年代までに技術世界一を目指す」とし、技術の日産を掲げ邁進していた。そして生み出されたものとは…。

●なぜ世界はアフリカを目指すのか、アフリカにあるものとは?

清水:なぜ日本人がみんなアフリカを目指したか。今、希少金属見れば全部アフリカ。コバルト、マンガン、ニッケル、アルミも石油も。アフリカの赤道挟んだあの辺、コンゴとか。
高平:赤道直下がそういうレアメタルの産出地。

南南西に進路を取れ
南南西には何があるのか?

●イケイケなバブル時代~バブル崩壊、そのとき日産は?

高平:80年代からパルサーGTI-Rの90年代頭ぐらいは、バブルだからもう日産もどこもイケイケ。その頃になると、日産はすごく早いうちに海外に工場を作って現地生産に乗り出した。そして日産901活動に続く。だから日本車は本当に飛ぶ鳥を落とす勢いだった。それの尖兵が日産。
清水:あの頃、アウディはまだやっていなかったから、FFでマルチリンクができたのは日産が先だった。じゃ“飛ぶ鳥を落とす勢い”だった日産はどこでつまずいたのか…? 諸説あるけど、 トヨタみたいに事業で儲けることが下手だった。オタク系なんだよね日産は。
高平:日産はステアリングホイールだけで50種類以上作っていたって言われていたじゃないですか。コストを管理するっていうのが、膨張の間にいつの間にかすっかり抜け落ちていたんですよ。エンジン、トランスミッションと、あらゆるそういうユニットが、物凄い種類になっていたんです。イケイケどんどんでしょ! でも、そのおかげで評価を得たことは間違いない。ただ、やっぱり今考えてみると、プリメーラクラスにフロント・マルチリンクサスっているの?みたいな話はあります。
清水:やりすぎちゃダメなんだよな。儲からないし。

■南南西…どころじゃない、希少金属求めて宇宙へ飛び出すって!? その3【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】

その3
南南西…どころじゃない、希少金属求めて宇宙へ飛び出すって!? その3【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】

対談の数日前に日本で初めて開催されたフォーミュラE第5戦「東京E-Prix」を観戦した清水さん。そこで感じたものは、南南西に位置するインドの躍進だった。アメリカでも欧州でもなく、なぜインドなのか。そして今、BEV(バッテリーEV)化へと進む日本への警鐘も。

●どこでどういう事業をするのが賢い方法なのか

清水:90年代以降、ずっと「グローバリズム」っていう言葉の中で、 国境を越えて輸出産業が花咲いた時期がずっと続いてきた。ただ、最近はどちらかというと、なんかこう、右傾化してるじゃない。それにずいぶん前から、ヨーロッパはビジネスが厳しいし、関税もあるし、為替もあるし。為替的には円安だからいいんだけど。新しい電動化車両は電池規制法とか、国境炭素税とか、バッテリーパスポートとか。多分ヨーロッパではなかなか日本のOEMは事業がしにくい。スバルもダイハツもスズキも撤退して。まぁ日産はルノーとのアライアンスがあるから。 でも決して順風満帆ではないよね。
高平:もう商売の場所としてはちょっとこう、なんか本当に大丈夫かなぁ。
清水:世界地図見て、どこに次のビジネスの新天地があるかって見たら、やっぱり2050年のメガシティ化になるのはナイジェリアとかキンシャサ(コンゴ民主共和国の首都)とか。インドとバングラディシュとパキスタン、旧インドグループで、あそこだけで25億人くらいいそう。あと20年後はもうどんどん人口が増えるから、そこに日本車が安くて壊れなくて、もう一回出す。

高平高輝
ラリーを取材してン十年の高平氏。話は尽きない

●希少金属が生み出せない日本は軽BEV「サクラ」を見ろ

清水:イランがイスラエルにロケット打ったりしてるでしょ。ホルムズ海峡を閉鎖されたら、日本の石油は95%アソコを通っているから、もうそのモデルはサステナブルじゃない。だから、やっぱりバッテリーにいくんだったら、希少金属をちゃんと確保して、回収、リサイクルっていうモデルをやらないと。でかいバッテリーはもうダメで、バッテリーは小さく作る。そういう意味じゃ日産「サクラ」、日本の国民車・軽自動車でBEV。ああいうようなモデルをどんどん作って、で、South by Southwest、南南西に進路を取ればいいのかな。
高平:南南西の途中には紛争や、世界的に今問題になっている地域っていうのがいっぱいあったりして。やっぱりそんな、なんかバッテリーEVだ! いやいやハイブリッドだ!とか。そりゃまぁ、飲み屋で「くちプロレス」の種にはいいかもしれませんけど。

●希少金属がまったく採れない日本よ、さぁどーする?

清水:キジャン イノーバベースの車がインドネシア・ジャカルタのカラワン工場で作られて、でもあれは中東まで。その先の西の南、そこには希少金属が大量にある。
高平:地政学的っていう言葉がすぐ出てくるような。こんなにEVって言ってる国で必要なものが何も採れない国って珍しい。
清水:エネルギーもない、石油もない、希少金属もない! それでよくEVって言うよな。

■バッテリーを賢く使うにはどうする? その答もモータースポーツにある? その4【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】

その4
バッテリーを賢く使うにはどうする? その答もモータースポーツにある? その4【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】

希少金属が全く無い日本は、希少金属、バッテリーの回収、リサイクルを本気になって取り組まないといけないと語ったその3から続き、フォーミュラEや清水さんが参戦している全日本ラリー選手権JN-6(電動車クラス)での、電気を上手く使う運転法へと話は進んでいく。

●フォーミュラEは左脳で楽しむ?

清水:日本初開催したフォーミュラE(2024年3月30日/東京・お台場)を見て思ったのは、左脳が面白かったね。左脳っていうのは頭を使うじゃない。バッテリーの残量を見せたりとか、今ピットとドライバーはこういうことをやっているんだろうなとか。オレ、ヤリス・ハイブリッドでラリーやっているからよくわかる。
高平: TV画面に時々パッと出てくるエネルギー使用率とかってホントなのかな? 残量0.2%とか画面に出ていて、でも0.2%なんてありえない?って思うくらい、物凄く緻密で正確。エネルギーは回生ブレーキで増えている。一瞬0%になるけど、コーナーでまた1%に増えたり。とかをやって、最後0.?%でゴールとかをやっている。

フォーミュラE
フォーミュラEは左脳で楽しむ?

●バッテリーの温度を測るなんてのは日本人の得意ドコロ

清水:電池の中の温度って誰もわからない。だから周辺の電流値の変化と電圧値の変化と、あらゆるデータから予測しているに過ぎない。だけど、それは日産が当たっているので、そこが実は競争領域になっているところもある。日本はLEV(Low Emission Vehicles)やっているじゃない。排ガスの細かいところのデータを取って燃焼の予測をする。だからバッテリーの残量を予測するっていうことは温度を予測することになるから。そういう細かいことをやったら日本は得意だよ。
高平:周りから演算してAIで出すみたいな、そういうの持っているんだね、多分。

ダットサンブルーバード 1600SSS 1970年 第18回東アフリカ・サファリラリー総合優勝車
【ダットサンブルーバード 1600SSS 1970年 第18回東アフリカ・サファリラリー総合優勝車】 1967年8 月に3 代目にフルモデルチェンジをしたダットサンブルーバード510 。1970年の第18回東アフリカ・サファリラリーにて、この1600SSSが総合/クラス/チームの各部門を制し、国産車として初の3 冠完全制覇を達成。日産が同ラリーに初挑戦してから8 年目の快挙となった。
ダットサン240Z 1972年第41回モンテカルロラリー 総合3位
【ダットサン240Z 1972年第41回モンテカルロラリー 総合3位】 フェアレディZ(ダットサン240Z)はモンテカルロラリーにも参戦。1972年の第41回では総合3位に入賞。「FRは氷雪路では不利」をくつがえした。このクルマは第41 回モンテカルロラリー3 位入賞車の実車 (R.アルトーネン/J.トッド組)。
ダットサンブルーバード 1300SS 1966年第14回東アフリカサファリラリー クラス優勝車
【ダットサンブルーバード 1300SS 1966年第14回東アフリカサファリラリー クラス優勝車】 1963年発売の2代目410型ダットサンブルーバード。このクルマは1966年の第14回東アフリカ・サファリラリーで、日本車初のクラス優勝を果たしたマシン。完走は88台中わずか9台という過酷なウエットコンディションの中、ブルーバードは2台完走の快挙だった。この時の日産チームの活躍を当時の実験部長・笠原剛三氏が著書『栄光への5000キロ』にまとめ、後の1969(昭和44)年に石原裕次郎主演で映画化された。
ダットサンブルーバードU 1800SSS
【ダットサンブルーバードU 1800SSS】 1971年に誕生した4代目ブルーバードシリーズが610型系。第21回東アフリカサファリラリー(1973年)に挑戦し、日産チームのフェアレディ240Zの総合優勝&クラス優勝。
ダットサン240Z 1973年 第21回東アフリカ・サファリラリー総合優勝車
【ダットサン240Z 1973年 第21回東アフリカ・サファリラリー総合優勝車】 大人気のS30型フェアレディZが発売されたのは1969年。1971年にL24型エンジン搭載の通称240Zを追加。1971年と1973年のサファリラリーでは総合優勝を飾た。このZは1973年、S・メッタ/L・ドリューズ組優勝のマシン。
バイオレット 1977年第12回サザンクロスラリー総合優勝車
【バイオレット 1977年第12回サザンクロスラリー総合優勝車】 初代バイオレットは1973年1月に登場。1977年、ラリー用チューンを施したLZ18型(直4 DOHC 1991cc、最高出力200ps以上)を搭載し、第12回サザンクロスラリー(オーストラリア)で見事優勝(R・アルトーネン/J・ビューム組)を果たした。
バイオレットGT 1982年 第30回サファリラリー総合優勝車
【バイオレットGT 1982年 第30回サファリラリー総合優勝車】 1982年第30回サファリラリーで総合優勝。日産はシェカー・メッタ/マイク・ドウティ組で同ラリー史上初の4連覇(1979年~1982年)を達成。グループ4仕様のLZ20B型は、直4 DOHC 1975ccで230ps。最後のグループ4規定を締め括った。
シルビア(バイオレットGTS) 第30回サファリラリー出場車
【シルビア(バイオレットGTS) 第30回サファリラリー出場車】 3代目 S110型シルビアは1979年3月にデビュー。直4 DOHC 1975cc、215psにチューニングされたLZ20B型エンジンを搭載されたこのマシンは、1982年のサファリラリーで総合3位(M.カークランド/A.レヴィタン組)を獲得。
ニッサン240RS 1983年モンテカルロラリー仕様
【ニッサン240RS 1983年モンテカルロラリー仕様】 3代目シルビア(S110型)は1979年登場。240RSは、当時のWRCグループB規定に基づく競技用車両としてS110型シルビアをベースに開発、ホモロゲーションとして200台ほどが生産された。FJ24型2,340ccのNAエンジンは、50φソレックスツインキャブで240ps、ワークスカーのFJ24改は275psにまでチューンアップし、1983年ニュージーランドラリーで2位、1985年サファリラリーで3位などの戦績を残した。このクルマは2006年、デビュー戦の1983年モンテカルロラリー仕様として日産名車再生クラブの手で初めてレストアされたマシン。
シルビア 200SX 1988年第36回サファリラリー出場車
【シルビア 200SX 1988年第36回サファリラリー出場車】 1987年、WRC規定がグループBからグループAに切り替わったことを受け、シルビア3L仕様「200SX」を選択。200SXはラリー用に250ps以上となる3000ccのV6 OHCエンジンを搭載。このクルマは、1988年の第36回サファリラリーで総合2位(M・カークランド/R・ニクソン組)となり、A4クラス(2000cc以上の2WD車)優勝を成し遂げたシルビア(RVS12型)。

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清水和夫氏と高平高輝氏によるトークは、ほっといたら果てしなく続いてしまう。温故知新、経済や世界事情までをも理解していないと、忖度無きふたりの話は…チョイ難しい?
しかし、電動化へと進む現在の自動車社会への、ふたりからの提案、展望、そして警鐘を知っておけば、日々流れてくるニュースも理解でき、楽しくなってくるカモしれない。

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清水和夫 近影

清水和夫

1954年生まれ東京出身/武蔵工業大学電子通信工学科卒業。1972年のラリーデビュー以来、N1耐久や全日本ツ…