C105登場時の60年代が4MINIカスタム創世記
モンキー、カブ、ダックス、シャリィ等々のゼロハンたち「4MINI(ヨンミニ:4ストミニミッションの略)」を語る上で〝カスタム〞というワードは、決して切り離せないものだろう。
1958年(昭和33年)8月、初代スーパーカブ「C100(原付一種の49cc)」が誕生。4MINIカスタムの起源は、3年後の1961年にリリースされたスーパーカブ「C105(原付二種の54cc)」までさかのぼる。C105はC100のボア径を2mm拡大し、タンデムステップを装着して二人乗りを可能にしたモデルだが、走行性能アップを狙い、C100の車体にC105用エンジンをスワップする(載せ替える)ユーザーが現れた。
モンキー、カブ、ダックス、シャリィなどに搭載されたホンダの横型エンジンは、クラッチ等を除いて基本的に共通。つまり横型エンジンを積んだモデルならば、どの車両にも適合するのが特徴だ。
1967年、前後8インチの小径タイヤを装備したモンキーのZ50M。2年後の1969年には、前後10インチタイヤを採用したダックス(発売時の正式名称はダックスホンダ)がリリース。ともに横型エンジンを搭載した2台のレジャーモデルは、原付免許を取得したばかりの若者を中心に大ヒットした。
〝速さ〞を求める彼らの間で流行したのが、原付二種に該当するスーパーカブ70や90などのエンジンを、49ccのモンキーやダックスに丸ごとスワップ。もしくはスーパーカブ70の腰上(シリンダーヘッド・シリンダー・ピストン)に交換してボアアップ(ボア39mmを47mmに拡大して72cc化)する純正パーツ流用のチューニング術だった。
1970年代になると中古車のタマ数が増え、解体屋などでホンダ横型エンジン搭載車の中古パーツが安価で入手できるようになると、他車用パーツを流用したカスタム術の人気はさらに加速。同時に「アフターパーツメーカー」も誕生する。
80年代は4MINIカスタムの成長期だった
4MINIカスタムパーツの老舗「スペシャルパーツ武川」は1972年、「キタコ」は1971年に創業。
その他にも様々なパーツメーカーが誕生し、4MINIのアフターパーツ市場に参入した。
活性化に拍車をかけたのは、80年代に巻き起こったバイクブームとミニバイクレースの人気。レースではモンキー改やスズキGAG改などが参加できる「4ストクラス」が設置。エンジンや足周り、マフラーなどをアフターパーツ群でチューンしたマシンが続々と参戦。アフターパーツメーカーもワークス体制で参戦するなど、当時は勝つために(レースに勝てば売り上げも伸びる)、各社がしのぎを削って競い合った。

超高性能パーツが続々登場カスタムが熱かった90年代
各アフターパーツメーカーの開発が過熱し、もっとも熱かったのは90年代後半〜00年代初頭。
この時代、スペシャルパーツ武川はモンキー用の超高性能シリンダーヘッド「スーパーヘッド」に続き、ツインプラグヘッド、DOHCヘッド、デスモヘッドを。キタコは1万8000rpmまで回るモンキー用ウルトラヘッドや縦型エンジン用のDOHCヘッド。デイトナはモンキー用のツインカムヘッド、また市販化には至らなかったがモンキー用スーパーチャージャーの研究など、熾烈なパーツ開発が展開された。
90年代後半は、4MINI用の足周りパーツも大幅に進化。当時新進のアフターパーツメーカーだった「Gクラフト(ジークラフト)」は、標準タイプ〜超ロングタイプまで様々なサイズのアルミ製スイングアームをリリース。さらに太足化カスタムに欠かせないアルミ製ワイドホイールに加えて専用ワイドスイングアームやアルミステムを発売。同社はその後、モンキー用アルミ削り出しフレーム、またモンキー用アルミ削り出しクランクケースの市販化も実現した。
90年代の特徴は、ドラッグレーサー風の「マグナフィフティ」など、個性的なモデルを輩出したこと。1997年には伝説のCR110カブレーシングの再来であるDOHC4バルブ49ccエンジン搭載の「ドリーム50」がリリース。ホンダのレース部門であるHRCからは各種レース専用キット。また専用キットをフル投入したレース専用の「ドリーム50R」も発売。90年代は4MINI好きにとって、刺激的で充実した時代だった。
バイクブームが去り、原付の販売台数も次第に減少。それでも4MINIカスタムシーンは盛り上がりを見せていた90年代。その理由は……。ブームに沸いた80年代、売れに売れた車両が90年代に入り、カスタムベース車として中古で安価に入手できたこと。また中古パーツが豊富で安価だったのも要因のひとつだろう。
「絶版車は高額」というイマドキとは、まさに真逆の現象。90年代はお金に余裕のない若年層でも、工夫次第で4MINIカスタムが楽しめる土壌が存在していたのである。

90年代後半ふたたび4MINIがブレイク!
筆者がモトチャンプ編集部に来たのは、1998年1月。配属時、風の便りで「モンキーやゴリラなどの4MINIブームはもう終わった」と聞いた。幸か不幸か、すでに終わった(らしい)4MINI担当となった筆者は、「再び盛り上げるため、いいアイデアはないか?」と模索していた。
編集部では、過去に4MINIフリークを集めた「4ストミニミーティング」を何度か開催。そんな中、当時のCHAI編集長が「猪名川サーキット(兵庫県)で開催予定の4ストミニミーティングで、試しに競技イベントも開催してはどうか?」と提案。筆者が陣頭指揮を取り、猪名川サーキットでの4ストミニミーティングでは、0-50m タイムアタック(2001年より開催されるSS1/32マイルの前身)や、パワーチェック大会を実施してみた。
この時のミーティングは参加者や出展ショップにもまずまず好評。12月にサーキット秋ヶ瀬(埼玉県)。翌1999年5月にTIサーキット英田(現在の岡山国際サーキット)。8月に筑波サーキット(茨城県)。11月に那須サーキット(栃木県)。翌2000年5月にエビスサーキット(福島県)で開催。8月にはバイクメーカー・ホンダの協力や協賛を得て、鈴鹿8時間耐久レース決勝の前日にバイクの聖地・鈴鹿サーキットにて4ストミニミーティングが開催できた(2001年より4MINIパラダイスに名称変更)。
そして同年8月には、バイクメーカー・ホンダの協力・協賛を得て、鈴鹿8時間耐久レース決勝前日に“バイクの聖地”鈴鹿サーキットで4ストミニミーティングを開催。
このイベントは、2001年より「4MINIパラダイス」へと名称を変更し、発展を遂げていくこととなる。
300台以上の4MINIたちが伝統ある鈴鹿8耐の前夜祭にて、しかも翌日熱きバトルが繰り広げられる本コースでパレードランした時は、「異端児(一部ではゲテモノと呼ばれていた)だった4MINIカスタムが、ようやく市民権を得たかも」と感慨深かった。


4MINIチームも発足 イベントは出会いと交流の場へ
当時はインターネットもSNSもYouTubeもなかった時代。4ストミニミーティングが好評だったのは、カスタマーたちが現地で生のカスタム情報を獲得できたこと。これがひとつの理由だろう。
筆者が携わった初期の4MINIユーザーは、全般的に〝群れること〞を嫌う傾向があった。彼らは1つのことをトコトン追求する、理数系の学者肌。言い換えればオタク系が多かった。しかしミーティングの開催を重ねるにつれ、毎回参加してくれる読者の中で顔なじみ、つまり小さなコミュニティが誕生。それらはやがて「チーム」と呼ばれる〝仲間〞に発展。チーム員とチーム員が独自に拵えたステッカーを交換する姿を見た時は、かつての4MINIユーザーを知る筆者にとっては何とも不思議であり、喜ばしい光景だった。

仲間同士でレースに参加 レースも身近なものに!
当時のモトチャンプ杯ミニバイクレースでは、4MINIレースとしてモンキーやR&P(縦型エンジン)をベースに改造した「4ストクラス」が設定された。ただしこのレースはカートコースを利用した、筆者から見てもかなり過激なスプリントレース。バイクビギナーや高年齢層には「出場なんて絶対に無理」と思わせる極めて敷居の高いものだった。
2000年に縦型エンジンを搭載したレジャーモデルのエイプ、翌2001年にエイプ100が誕生。2003年には125ccに排気量アップしたエイプ100改がメインとなる(排気量は125cc以下)7時間耐レース「DE耐(現在は「もて耐」として実施)」がツインリンクもてぎ(現在は「モビリティリゾートもてぎ」に名称変更)本コースでスタート。
2005年には〝DE耐仕様車〞とも呼ばれた、縦型エンジン+前後ディスクブレーキ+12インチキャストホイール採用のXR100モタードが登場。同年に鈴鹿サーキット本コースで4MINIを対象にした4時間耐久レース「鈴鹿Mini-moto4時間耐久ロードレース(2023年まで開催)」も開催され、国際コースを使った耐久レースは盛り上がりをみせた。広大な国際コースを使ったDE耐などの4MINI耐久レースは、ビギナーでも気軽に参加できる〝門戸の広さ〞を示した。キャンプ感覚で楽しめ複数人でエントリー可能。仲間同士でお金を出し合い、参加する人が多いのも特徴だった。


※この記事は月刊モトチャンプ2024年11月号のものです