北海道・宗谷岬まで、あと少し。日本最北端の碑はまだ見えていない。それなのに、ホンダ・ゴリラのハンドルを握る後藤洋一郎さんの目から、涙が止まらなくなった。会社経営のストレスから精神疾患を患い、入院生活も経験した後藤さんにとって、2015年の日本一周は単なる冒険ではなかった。社会生活へ戻るためのリハビリであり、自分にもう一度「できる」と言い聞かせる旅だった。その旅は北米大陸横断へ、さらにアフリカ大陸約1万kmの縦断へとつながった。パンクやエンジントラブル、延々と続く未舗装路、国境での足止め、武装した男たちとの遭遇まで経験した。自らを「旅ごりら」と名乗り、五大陸の走破を目指す理由を聞いてみることにした。

リハビリで始めた日本一周

後藤さんは会社の事業に追われるなかで心身のバランスを崩し、精神疾患を発症して入院した。退院後も長く薬を服用しながら生活を続けていた。そんな時、目にしたのが、ひとりの女性がスーパーカブで日本を一周した旅行記だった。
「そのブログを読んで、すごく感動したんです。自分も旅をしてみたい。ただ、同じことをするより、もう少し小さいバイクの方が、過酷で面白いやろうな、と思いました」
候補にしたのはホンダ・モンキーだった。しかし中古車を探すうち、兄弟車のゴリラの方が燃料タンクが大きく、長距離に向いていることを知る。「カブより小さく、長く走れそうなバイク」を探した結果、ゴリラにたどり着いたわけだが、その選択が、後に本人の活動名そのものになる。
2015年7月19日、後藤さんは三重県を出発した。31日間をかけた日本一周は、社会生活に再びなじむためのリハビリという意味合いも強かった。当時の旅程は、医師から処方された薬を持ち出せる期間によって決まった。行きたい場所だけでなく、「手元の薬がなくならないうちに帰る」というリミットがあった。

秋田で止まったエンジンが世界への入口

旅は順調ではなかった。三重県から北上し、秋田県までたどり着いたところでエンジンの調子が悪化した。当時の後藤さんには、バイクを自分で修理する知識も経験もほとんどなかった。故障したら誰かに助けを求めるしかないと思っていたほどである。それでも旅を終わらせたくないという一心でインターネットオークションの中古エンジンを探し出すことに成功。現地で知り合った人たちの力を借り、エンジンを載せ替えて旅を続けた。

「そのときに初めて、ゴリラは構造がシンプルで、意外と何とかなるバイクなんやと気づきました」
高度な電子制御を持たない横型エンジンは、修理しやすい。そしてこのトラブルで学んだ最も大きなことは、助けてくれる人がいれば旅の思い出も大きくなるということ。その後の大陸横断で何度も繰り返される「人に助けられる旅」の原型が、秋田でできあがった。
色々なトラブルを乗り越え、ついに宗谷岬が目前に迫ってきたとき、涙が止まらなくなった、そこへ向かって自分が走っているという事実そのものが、胸に迫った。

「まだ宗谷岬に着いてへんのに、涙が出てきたんです。自分でも、やればできるんやなって。病気になって、入院して、社会に戻れるんかなと思っていた人間が、こんな小さいバイクでここまで来られた。あれは大きかったです」
最北端を制覇してからは南へ向かった走った。沖縄ではゴリラを那覇に置き、船で波照間島へ渡った。最北端から最南端までをゴリラと自分の足でつないだ達成感は大きかった。日本一周後、雑誌の取材で「次はどこへ行くのですか」と尋ねられた。後藤さんは「次はアメリカですかね」と深く考えることもなく応えたのだが、その言葉が記事になったことで、引っ込みがつかなくなった。「自分で口にしたのなら、やってみよう」 そんな勢いが、後藤さんを北米横断へと向かわせることになった。
カリフォルニアには妹夫婦が暮らしており、現地での拠点づくりに協力してくれた。ゴリラは日本でパーツ単位に分解し、現地へ送って組み立てた。海外を走らせるための国際ナンバーも取得した。

ルートは細かく決め込まなかった。西海岸から東へ向かい、走りたい方向へ走るという、いかにもアメリカ的なおおらかな方法で、ニューヨークまで約7500kmを走破した(2017年6月20日から7月20日までの30日間)。州によっては小排気量車でフリーウェイを走れないため、基本的には一般道を使ったが、信号が少なく、道幅も広いことから距離を伸ばしやすかったという。

 

後藤さんが北米で強く印象に残っているのは、人々との距離の近さだ。田舎町のガソリンスタンドで給油しているだけで、見知らぬ人が次々と声をかけてくる。あるときはスーツ姿のビジネスマンが近づき、食事代にしろと現金を手渡してくれた。
「英語はほとんど話せませんでした。旅をしながら覚えた、赤ちゃん英語みたいなもんです。でも、単語と身振りで何とかなる。ちゃんとした文章を話せなくても、こっちが笑って、相手の話を聞こうとすれば通じるんやなと思いました」
ニューヨークでは再びゴリラを分解し、日本へ送り返した。自分で組み、走り、壊れたら直し、最後はまた箱に入れて送り返す。ゴリラという旅の道具を後藤さんは使いこなせるようになっていた。

次の旅のきっかけとなったのは帰国便で見た『A United Kingdom』という映画だった。ボツワナ初代大統領となるセレツェ・カーマと、英国人女性ルース・ウィリアムズの実話を基にした作品である。人種や政治の壁を越えて結婚し、国の未来を切り開いた物語に心を動かされた。

「映画を見て、ものすごく感動したんです。こんな人がつくった国なら、一度行ってみたい。じゃあ次はアフリカやな、と。帰りの飛行機の中で、もう次の旅が始まっていました」
しかしアフリカのツーリングは日本や北米とは比べ物にならないほどハードルが高い。勢いだけで実現させることは不可能だ。輸送費を用意し、車両を受け取ってくれる現地の協力者を探し、国境やビザ、通貨、保険を調べる。準備には約2年を費やした。最終的に南アフリカでレーシングカートに関係する現地企業の協力を得て、分解して送ったゴリラを受け取り、組み立てたてることになり、2019年8月5日から10月25日までの81日間、南アフリカからエジプトのギザまで約1万kmを縦断するのである。

ボツワナでセレツェ・カーマゆかりの場所を訪れたとき、後藤さんは自然に涙がこぼれたとブログに記している。映画で知った人物の国を、自分のゴリラで走っている。「信じたことを貫けば、形にできる」。そんな思いが強くなっていった。

アフリカの道は、北米とはまるで違った。硬く波打った洗濯板状のダートが何百kmも続く。大きな穴を避けきれず衝撃を受けた結果、荷物を支えるキャリアが少しずつ曲がっていった。路面の穴、砂、泥、倒木、飛び出してくる動物。夜間に走れば、ゴリラの小さなヘッドライトの先に障害物が次々と現れる。燃料を売る店では英語が通じず、身振り手振りだけで給油した。道路沿いの保護区でカバを見つけ、写真を撮るには30ドルが必要だと言われたこともある。写真を消したふりをして削除済みフォルダーに残していた、という投稿をする頃には、アフリカという見知らぬ土地で行きていく方法が少しずつ分かるようになっていた。

一方で、バイクの限界は容赦なく襲ってきた。アフリカ北上の序盤、長年使った中古エンジンに大きなトラブルが発生した。日本からピストンやシリンダーを含む補修部品を送ってもらい、SNSでつながっていた人の紹介を頼りに現地の修理先へ持ち込んだ。部品が届くまでには約2週間を要したという。

パンク修理中、周囲に集まってきた子どもたちが、タイヤに刺さった細い針金を一緒に探してくれたこともあった。後藤さんのブログには、ひとりの少女が「ここだ」と熱心に指し示す姿が残っている。後藤さんが旅先で感じたのは、「アフリカ」という一語でくくられるイメージと、実際に出会った人々との隔たりだった。街には車が行き交い、商店があり、子どもたちは道端から手を振る。こちらが手を振り返せば、大人も笑う。まるでマラソンのランナーが沿道から声援を受けているようだったと振り返っている。

「村へ入ると、珍しいから人が一気に集まってくる。怖いと感じる場面もあるけど、最初から相手を敵やと思ったら、たぶん何も始まらない。笑顔と挨拶が一番の武器でした」
すべての出会いが穏やかだったわけではない。通過する車両に石を投げ、止まったところで金銭を求める村がある、という情報を旅人仲間から聞いた。そこで後藤さんは、石が飛んでくる前にポケットの飴を道路脇へ放り、子どもたちが拾っている間に走り抜けた。ゴリラの旅で身につけた、独特のかわし方だった。
警察や検問で金銭を求められることもあった。国境の規則が事前情報と違うことは日常茶飯事だった。昨日まで通れた方法が今日は使えず、大使館で書類を取れと言われる。遠く離れた首都へ戻るだけで、数百kmの移動になる。正論をぶつけても状況は動かない。相手の機嫌や、その場の慣習を読みながら、どこまで受け入れ、どこで引くかを判断する必要があった。

最も危険を感じたのは、エチオピアからスーダンへ向かう一帯だった。途中の兵士には「安全だ」と言われたものの、道路脇では大型トレーラーが何台も横転している。進んでいくと空気が変わり、「絶対に大丈夫ではない」と感じたという。
やがて道路にロープが張られ、進路をふさがれた。止まった先には銃を持つ男たちがいる。後藤さんは逃げたり、にらみつけたりせず、大きく手を振って友好的な態度を示した。握手をし、地図を広げ、ゴリラでエジプトまで向かっていると説明すると男たちの態度が一変し、友好的になった。隣国の様子を尋ね、旅の話を聞き、食べ物を渡して「気をつけろ」と送り出してくれたという。危険と友情が紙一重。それがアフリカ縦断だった。
「たまたま運が良かっただけです。下手に逆らわず、まず友達になるしかない。最悪、お金だけで済むならそれでええと思っていました」
武勇伝として語るには、あまりに危うい。後藤さん自身も、もう一度同じことをしろと言われて即答できるような旅ではないと話す。

国境で一週間足止め

旅の序盤では非常時用に米ドルを持っていた。だが国境や検問、宿泊、修理を重ねるうちに減り、スーダンへ入る頃には余裕がなくなっていた。国によっては現地通貨より米ドルのほうが強く、カードが使える街から外れれば、紙幣を持っているかどうかが移動の可否を決める。最新の装備より、現金が重要になる場面もある。
スーダンからエジプトへ進む国境では、手続きに必要な米ドルが足りなくなった。現地通貨はATMで引き出せても、銀行がドルへ交換してくれない。必要額は25ドルほど。しかし、その25ドルを用意できず、後藤さんは国境付近で一週間近く足止めされた。
手持ちが乏しくなり、食堂の人から食事を分けてもらった。事情を知った料理人が、表立っては教えられない非公式の両替方法をそっと伝えてくれた。ようやく25ドルを手にしたとき、後藤さんは涙が止まらなかった。金額の大小ではない。自分ひとりでは動かせなかった状況が、誰かの善意によってもう一度動き出したことがうれしかった。

エジプトへ入ってからの検問では、兵士から「銃を持っているか」と聞かれた。持っていないと答えると、そんな状態で走ってはいけないと言われた。翌朝6時、兵士と警察の車両が迎えに来た。大使館とも連絡が取られ、後藤さんのゴリラには長距離の護衛が付くことになった。移動距離は約800kmに及んだ。
南部の検問所では兵士が防弾チョッキを着け、建物の上には狙撃手の姿もあった。小さなゴリラ一台を通すだけでも、現場は物々しい。護衛側は親切で、「困ったことがあれば何でも言ってくれ」と声をかけてくれたという。恐ろしさと親切が同時に存在する土地。その状況もまた、現地へ行かなければ分からない感覚だった。

後藤さんはアフリカで、見返りを求めず食べ物や寝る場所を提供してくれる人に何度も出会った。「なぜ、ここまでしてくれるのか」と尋ねると、「旅人を親切にもてなすのは宗教的な教えだから」と答える人もいれば、「自分の国を信用して帰ってほしい」と話す人もいた。
「インシャーアッラー、神が望むなら、という言葉をよく聞きました。ものすごくロマンチックで、優しい人が多い。あれだけ親切にされたら、宗教を理由に争うニュースが同じ世界の話に思えなくなることもありました」
日本から見れば「危険地域」「貧しい地域」とひとまとめにされやすい場所にも、ひとりずつ違う生活があり、誇りがあり、旅人を守ろうとする気持ちがある。そんな人々のことを知ってほしいから、後藤さんは旅先で涙を流した話を何度も語る。

アフリカ縦断の約3か月は、担当医に相談して用意できる薬の上限でもあった。帰国後も体調を崩し、入院を経験している。
一方で、子どもが生まれたことは生活を大きく変えた。後藤さんは、子どもと過ごす時間が心を落ち着かせ、長く続けていた服薬をやめるきっかけになったと話す。服薬による旅程の制限がなくなったとき、「リハビリとしての旅は、もう終わってもいいのかもしれない」と思った時期もあった。だが、走る理由は治療だけではなくなっていた。
「精神疾患で悩んでいる人から、旅を見て勇気が出たと言ってもらうことがあります。自分の旅が誰かの背中を少しでも押すなら、やる価値はあると思う。ただ、無理をすればええという話ではない。自分の体調と相談しながら、一大陸ずつならできると思っています」
後藤さんは「世界で通用するなら、日本で少しくらい浮いていてもええやないか」と笑う。社会にうまくなじめないと感じていた人が、言葉も文化も違う土地で、身振りと笑顔だけで友人をつくった。その経験は、帰国後の自分を支えるベースになっている。

次はユーラシア。約2万kmの最長ルートへ

後藤さんが営むTrippin Gorrira cafe 〒510-8037 三重県四日市市垂坂町201−1 営業時間 火~土 10:00~17:00 金・土(18:00~22:00) 定休日 日曜日・月曜日

次に考えているのは、ユーラシア大陸横断だ。構想ではウラジオストク方面から西へ向かい、ポルトガルまで約2万km。これまでで最も長い距離になる。可能ならイングランドにも足を延ばしたい。国際情勢や輸送ルート、入国条件は変化が大きく、実際の出発地と経路は今後の状況を見て決めることになる。「ユーラシア大陸が呼んどるなあ」と、後藤さんは笑いながら話す。
五大陸制覇に向けて、その先にはオーストラリアと南米が残る。オーストラリアは家族と一緒に走る可能性も考えている。一方、南米は車両輸送が難しく、メキシコから入り、パナマ運河を見て南下する案を検討中だ。

「アフリカを最初に走ったら、あとで刺激がなくなるから、アフリカに行くなら最後のほうがええ、なんていう旅人もいます、確かに危ないこともあったけど、それ以上に親切にしてもらった。だからまた旅に出たいと思います」
もちろんこれからの旅もゴリラで行く。「旅ごりら」として発信してきた以上、車両を変えれば別の旅になると、後藤さんは考える。小さいから苦労する。苦労するから人と話す。人と話すから、忘れられない出来事が起きる。ゴリラは単なる移動手段ではなく、出会いを生む乗り物なのである。

 

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